──リンリン リンリン 輪となり踊れ
──リンリン リンリン 輪となり歌え
──鐘の音八つ 鳴ったらば
──輪廻の内へ 永久(とこしへ)に
私の住む町は、所謂「ド田舎」だ。地名にはお情け程度に「町」などと付けられてはいるが、「町」などとは程遠くむしろ「村」と表現したって何の違和感もない程度には程よく寂れている。
背後に大きな山、周辺を細い川でぐるりと囲まれており、その川の内側が私達町民の住む居住地だ。川には数箇所に小さな橋が架けられていて、その橋を超えた先を私達は「外」と呼んでいる。
住民の数は、このそう広くもない面積にしてみればそれなりに居る方だと思う。昨今では田舎の若者離れ、過疎化などといったことが問題となっているようだが、幸いこの町はそんな話題とは無縁で、とてもいい場所だと思う。
町民のほとんどは農業や家畜の世話などで生計を立てていて、平和でのどかな田舎町そのもの、といったところだ。もしも気になるならば気軽に田舎ライフを満喫しに············と、お誘いしたい気持ちはやまやまなのだが、田舎というものは大抵の場合は内の結束力が強く、新参者・余所者を嫌う傾向にある。例に漏れず、この町にもそういった側面が勿論ある。
この町には、幾つかの重要な「掟」が定められている。
一つ。外から来た者を内に入れるべからず。
一つ。「掟」は勿論のこと、町の内情を外に漏らすべからず。
一つ。「わらべうた」を外で歌うべからず。内容を町民以外の者に語ることも固く禁ず。
······とまぁこんな感じに、良くも悪くも閉鎖的な場所なのだ、この町は。しかしそれだからこそ、この町の平穏は保たれているとも言える。とにもかくにも、外との繋がりを避け、外からの干渉を極力減らしたいのだ。長年この体制で続いてきた町だ、たった一人でも外の者を内に招いてしまえば、思わぬ所でトラブルの元となるかもしれない。だからこの町の内情も、古くから伝わり歌われ続けてきた「わらべうた」の存在も、その意味も、内部で共有するに留めておきたいのだ。今日に至るまでこの「掟」が守られてきたからこそ、贅沢は出来ずとも平和な暮らしを謳歌する「今」がある。
それに、厳しいのは外の人達に関することだけで、外の者を内に招くのはご法度であるが、逆に内の者が外へ出ることに対してはある程度融通が利くようになっている。とは言っても、それは月に二度程度であれば外の大きなスーパーへ買い出しに出掛けても良い、というレベルのもので、例えば町から出て遠くの大学に進学するだとか、この町を離れ外へ引っ越すだとか、そういった長い期間、または永久にこの町を出る行為に関しては、何となく「やってはいけないこと」として暗黙の了解となりつつある。
······ここまで徹底して外との関わりを避け、内情をひた隠し、見知った顔同士のみで平和を築き上げた我が町であるが。外に知られたくない理由が、内輪のみで話を留めておかなければならない理由が、ちゃんと、しっかり存在している。
何から説明すればよいのやら······ではあるが、まずは簡単な話から。この町の住人の最大寿命は、八十八歳だ。必ず、八十八歳まで生きたら八十九歳を迎えることなく死ぬ。勿論、病や怪我、事故などで八十八歳に満たない年齢で死ぬ者も中には居る。しかし、どう頑張って健康に気を遣い、長生きを心掛けたところで、その努力は八十八歳を迎えれば全て水泡と帰す。科学では証明出来ないものを人はオカルトと呼ぶそうだが、その説に則れば、これは正しくオカルトに寄った現象なのであろう。私達町民は、既に「そういうもの」として何の疑問も抱くことなく受け入れているのだけれど。
オカルト、という単語が出てきたことであるし、次の話に移ろうと思う。八十八歳を迎え、死んだ者たちのその後のことだ。先に言っておくが、きちんと葬儀はするし、墓も用意し、仏壇も飾り、しっかり弔う。死者を無碍に扱うようなことはしない。ただ一つ、この町特有の現象がここでも起こる。例えば誰かの葬儀を終え、数日でも数ヶ月でも数年でもいいが、日が経ち何処かの家に赤ん坊が産まれたとする。その赤ん坊のことを私達は、直近に葬儀をした者の生まれ変わりだとしている。いや、しているという言葉は正しくない。実際、生まれ変わりなのだ。流石に喃語しか話すことの出来ない赤ん坊時代は特に何事もなく過ぎていくのだが、ある程度言葉を喋れるような人間になると、ふとした時に突然、前世に関することを口にする。前世で「最後に大福が食べたかったなぁ」と思いながら死んだとしたら、子供らしからぬ口調で「今すぐ大福が食べたいのう」と言いながら家の戸棚を開け大福がないか探し出す、とか、ざっくり説明すればそんなことが日常的に、そこかしこで当たり前のように起こる。みんな誰かの生まれ変わりで、その前世も誰かの生まれ変わり、そしてその前世も······といった具合で、一つの魂に数多の人生の記憶を宿しながら延々とこの町で生きていく。そういう人間なのだ、私達は。
······まぁ、信じられないのも無理はない。しかし、それがこの町で、それが私達で、それ故に外の者を招いてはならず、外にこの話を持ち出してもいけない。こんな話が世に出回りでもすれば、私達の平穏な暮らしは泥団子をぐしゃりと踏み潰すようにしてあっという間に瓦解してしまうことだろう。
最後に、私が実際にこの町で体験したことを少しばかり。
五歳の時に、曽祖父が亡くなった。八十八歳だった。
それから四年後、曾祖母が亡くなった。八十八歳だった。
それから三年後、祖父が亡くなった。六十五歳だった。死因は癌だった。
そして、それから五年後。町内に唯一ある木造校舎の古い高校に当然のように私は入学し、勉学に励みながら日々の生活を送っていた。そんなある日、学校からの帰り道。幼稚園児ぐらいの年頃の男の子と、我が家の近くでバッタリ鉢合わせた。その子は私をジーッと見つめたあと、口を開いた。
「よう制服が似合うとる」
やはりか、と私は思った。この子のことを私は一方的に知っていた。だってこの子は、祖父の葬儀の後に最初に産まれた子だったから。
私は何の躊躇いもなく会話に応じた。
「久しぶり。最後、だいぶ苦しかったんじゃない?」
「まぁ、それなりになぁ。仕方あるまいて」
「可哀想だからさ、出来ることなら殺してあげたかったよ」
すると目の前の男児は、下卑た表情で口元を吊り上げ笑った。
「俺を川に突き落として殺しておいて、殺してあげたかっただぁ? 地獄の閻魔も聞いて呆れるだろうよ!」
「何世紀も前のことをまだ根に持っているのか? あの頃はまだ殺生も自害も禁止なんてお触れは出ていなかったが、今は違う。だって、気に入らない“生”を授けられたからって理由でホイホイ自殺を繰り返されたんじゃあ、流石に人口の均衡が保てない。殺人も同じ理由で今じゃご法度だ。お前ならよく知っているだろう?」
私ではない私がそう問えば、男児は実に愉快げにほくそ笑んだ。
「山の神を前に“お前”とな? 口の利き方がなっておらぬなぁ」
それを聞き、私は恐怖に身を震え上がらせ······る、真似だけをして。負けじと不敵な笑みを拵え、男児の形をした“何か”を見下ろすようにし、真っ直ぐ視線で射抜く。
「口の利き方がなっておらぬのははたしてどちらか。我を川の神と知っての愚行か?」
男児はその場でケラケラと笑う。それに釣られて、私······いや、“我”も笑った。
「いやはや······久しいのう、川の。いや······こうして外に出ることすら随分と久しい。どうだ、その後は? 仔細、滞りなく、川の流れのように順調であるか?」
「ふむ、以前直接会話をしたのは······ああ、そうか。自害者が増え始めた頃のことであったか? 先にも申した通り、その件はとうに型が付いておる。我らの願い通り、我が子らはこの土地にて平穏無事な暮らしを営んでおるわ。まこと、愛いことよ」
「山の神である儂と、川の神である主。二柱の神より寵愛を賜るこの地の民達のなんと幸福なことよ」
「我らが創りし“まじない”が、よほど馴染んだのであろうよ。いくら我が子らのためとはいえ、我ら二柱揃いも揃って一体幾つの昼と夜とを無駄にした? あの時のこちらを嘲り笑うかのような月の神の態度、今思い出しても腹の臓物が煮えかえる。······が、我が子らの幸福を確たるものとするためだ、何の苦にもならなかった」
我は、小さな山の神の両手を取る。そのまま己の腕ごと横に開き、歪ながらも円を描く。
「折角の再会であるぞ? さあ、今一度」
「······我が子らへ“まじない”を」
──リンリン リンリン 輪となり踊れ
──リンリン リンリン 輪となり歌え
──鐘の音八つ 鳴ったらば
──輪廻の内へ 永久(とこしへ)に
◇◇◇◇◇◇
Ring,Ring
リンリン リングリング ○○ ∞ 8
という連想ゲーム的なところから因習村っぽい話に着地しました。
神様は気まぐれで戯れで身勝手。よほどこの土地の人の子らを気に入ったんでしょうね。
1/8/2025, 1:23:42 PM