アシロ

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※ほんのりですが児童●待と取れるような描写があり、捉え方によっては酷いバッドエンドとも言えます。苦手な方、地雷の気配を感じた方はご注意ください。



 ある満月の晩。
 リビングの窓越しに見える月があまりにも綺麗だったので、そんなガラではないのに深夜の散歩と洒落こんでみた。
 スマホと鍵、煙草とライターと携帯灰皿をスウェットのポケットに雑に突め込み、玄関を出て施錠をしアパートを出る。
 目的地も定めずに家を出てきてしまったが、ふと、十五分ほど歩いた所に小さな公園があったことを思い出した。大学生にもなれば流石に公園なんて場所には縁がなく、その公園には一度も足を踏み入れたことがなかった。成人した男が一人で深夜に公園って······と、想像した景色は怪しさ満点ではあったが、もう日付も変わりそうな時間帯である。人目にはつかないだろうし、万が一通報されたとしても身分証出して深夜ウォーキングしてました〜で何とか······あ、そういえば財布置いてきたんだった。手元に身分証ねぇわ。
 ······そんなくだらないことをつらつら考えつつ、見慣れたようで見慣れない道をキョロキョロと物珍しげに眺めながら歩いていれば、十五分なんて距離はあっという間だった。夜の空気は冷たく、だからこそ澄んでいて、悪いもんでもないな、なんて思った。
 辿り着いた公園。入口のタイルみたいになってるコンクリートを踏み越え、敷地の中へと歩を進めた。
 ぐるりと見渡せば、滑り台に鉄棒、砂場、ブランコといったド定番中のド定番な遊具しかないものの、小さいしショボイとはいえここは確かに公園だった。きっと昼間だとか夕方前頃には、この近隣に住む子供たちが我が物顔で占領しあちらこちらへと走り回り、活気に溢れていることだろう。
 しかしまぁ、公園で遊ぶのは子供の特権。この歳にもなって、例え深夜で人目が無いと言えども、一人でこれらの遊具を使い遊ぶつもりなどさらさらない。それこそ不審者として通報されかねない。
 入口に突っ立ったままだった俺は、少し離れた右手側にベンチがあるのを確認し、そこを目掛けて歩き出す。じゃり、じゃり、とクロックスが細かな砂を踏みつける音が、静かな世界に響き渡る。
 そうしてベンチに辿り着いた俺は腰を下ろし、ポケットをまさぐって煙草を取り出し、一本口に咥えてライターで火を灯した。煙草を摘んでいる反対側の手でポケットの中の携帯灰皿を出しがてら、煙草を口元から外し夜空へ向けて「ふぅー」と煙を吐き出す。公園は外周を何本もの木に覆われてはいたが、それぞれの枝の先で枯葉が生い茂りあうその中央にはぽっかりと穴が開いていて、そこからあの綺麗な月が顔を覗かせていた。
「うーん、絶景」
 そう独り言ち、再び煙草を咥え直した時······さっき俺が響かせたのより随分と小さかったが、じゃり、じゃり、という他人の足音を耳が拾った。
 こんな時間に誰だ? 不審者か? と自分のことを棚に上げて暫しそのまま上を見上げながら硬直していると、音の出処はどんどん近付いてきて、俺の座っているベンチのすぐ右側辺りで止まった。
 ゆっくりと、そちらへ首を向ける。そこにはなんと不審者が······なんてことはなく──いや、不審という点では間違ってはいないのだが──小学校の低学年ぐらいだろうか? 十歳に到達しているかしていないか、それぐらいの年齢に見える女の子が立っていた。
 それを確認した俺は、そこでまた暫し硬直する。こんな日付けが変わりそうな深夜の時間帯に、公園で一人佇む小さな女の子。明らかに異質だった。俺が異質だと感じたのはそれだけではなく、女の子は異様なまでにニコニコとした笑みを崩さない。逆に無表情だったり、怯えた様子だったりしたならば、何かワケありの子なのかな? というような憶測も立てられようものだが、しかしその子は笑顔なのだ。こんな時間の、男子大学生が一人で煙草を吸っているだけの、そんな地味でつまらない空間に居ながら、ニコニコと嬉しそうに笑っているのだ。
 あんまり関わり合いにならない方がいいかな······なんて考えながら、特にこちらから話し掛けるようなことはせずに煙草の煙を吐き出すと。
「それ!」
 突然上がった幼く高い声に、ビクリと肩を跳ね上げて女の子の方を見る。「それ」が何を指しているのかわからなかったが、女の子は俺の顔目掛けて人差し指を一本、地面と水平になるように伸ばしていた。
「······それ?」
 聞き返してみれば、「うん! それ!」と、よくよく見れば俺の顔ではなく、俺が指に挟んだ煙草を指さしていることに気が付く。
「あのね! それ、お父さんも吸ってた!」
 その子供特有の曖昧な指示語では、「それ」が煙草全般という大きな括りを示しているのか、はたまた銘柄まで絞って「それ」と言っているのかはわからなかったが、あえてここで話を深掘りさせる必要もないだろうと判断し、「へぇ、そうなんだ」と当たり障りない返事を返すに留める。
 そうして訪れる沈黙。俺からは話しかけないぞ、の気持ちをアピールするつもりで、子供の横で悪いとは思いつつひたすら煙草を吸っては煙を吐く。その間に女の子は何を思ったのか、間に人一人分ぐらいの距離を開けてベンチに座ってきていた。別に子供が嫌いなわけではないが、そんな年代の子と接するような機会なんてないし、何を喋ればいいのか全く分からない。いや、わからないぐらいで丁度いい。変に話し掛けたら不審者通報待ったナシかもしれないのだ。世知辛い世の中である。
 そしてまた、沈黙が訪れる。俺は煙草を吸い、女の子はベンチに座ったまま両足をプラプラと揺らしている。ただそれだけの時間。
 ······一本煙草を吸い終わり、携帯灰皿に吸殻を押し付けた俺は、観念したように深い溜息を吐きながら女の子に尋ねた。
「······あの、さ。家。帰らなくていいの?」
 女の子は相変わらずニコニコと口角を上げたまま、両足のプラプラもそのままに、視線を己の爪先辺りに固定して「うん!」と。
「お母さんがね、ちょっとでかけてくるからって! たまにね、ここでしばらく待っててねって言われるときもあってね! 今日は家にいてもお母さんいないから、だからかえらなくてもだいじょうぶなの!」
 子供の話すことは支離滅裂だ。俺の顔を見て必死に言葉を紡いではいるが、きっと俺にはこの子の言っていることの半分も理解出来ていない気しかしない。
 いや、それ以前にだ。何となく今の会話から察するに、この子のお母さんとやらは割とろくでもないのでは? 恐らくこの子は、この時間にこの公園に来ることが初めてなわけではないのだ。むしろ逆に、頻繁に居る確率の方が高いのでは、と感じる。こんな時間に子供を放ったらかしにして、そのお母さんとやらは何処へ行っているのか。自分の子供の安否・生死にすら勝る大事な用があるとでも?
 俺が言葉に詰まり、口ごもっている間も、少女は嬉しそうに俺に向け話し続ける。両の手をちっちゃなグーにして、それを時たま上下に振りつつ、身振り手振りをつけて、必死に。
「あのね! ここでわたしいがいの人と会ったの、はじめてなの! おにいさんがはじめて! とってもうれしい! わたしのお庭にようこそ、おにいさん!」
「あ〜······どうも、お邪魔してます······」
 とりあえず適当に返事をしてやったら、「えへへー」と女の子は照れ臭そうにはにかんだ。
「ねえねえ、おにいさん! 明日、晴れるかなあ?」
 女の子は星空に浮かぶ月を眺めながら、俺に問う。
「明日······?」
 俺は夕方にニュース番組で見た天気予報を脳内で思い返す。確か「明日は全国的に晴れ、温かな冬晴れになるでしょう」なんて言っていたっけ。
「明日は晴れだと思うよ。今日は月もこんなに綺麗に見えてるし」
 女の子は「ほんとー!?」と喜んだかと思えば、次の瞬間には首を傾げて。「お月さまがきれいだと晴れるの?」と疑問を口にする。
「······もし曇ってたら、お月様見えないだろ? 曇ってると雨が降る確率が上がるんだ。だから夜に空を確認して、曇ってなければ大抵次の日は晴れになる」
 今の説明でわかったのかわからなかったのかは不明だが、女の子は難しそうな顔をし、続ける。
「······でもでも、今はくもってないけど、このあとブワァー! ってとつぜんくもってきちゃったらどうしよう······そうしたら、明日雨ふっちゃう······?」
 不安そうな顔を俯かせ、女の子はキュッと両手でワンピースの裾を握り締めた。明日何があるのか知らないが、よほど大事な予定でもあるのだろうか。
 ふと、自分が女の子ぐらいの年齢だった頃を思い出す。ああそうだ、そんなこともしてたっけ。
 俺はベンチから立ち上がり、二歩ほど前に進んで止まる。片方のクロックスを、甲と指の間ぐらいに引っ掛けてプランと浮かせる。
「あーしたてんきになーぁれ」
 そうして控え目に、あくまでも控え目に口ずさんでから、宙ぶらりんだったクロックスを前方へと向けて勢いよく飛ばした。
 片足でケンケンしながら移動し、落下したクロックスを見下ろす。気付けば女の子もベンチから駆けてきたようで、一緒になってクロックス──上を向いて落下したらしいそれ──を見つめていた。
「ん、上向いてる。これが横向いてたら曇りで、裏側だったら雨。だから明日は、やっぱり晴れ」
「そう、なんだ······。ッそうなんだ······!」
 女の子は嬉しさを抑えきれない様子で、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねながら二周半ほどくるくると回った。
「あのね、あのね! 明日晴れたらね! お父さんがどっか遠いところまで遊びにつれていってくれるって! やくそくしたんだよ! ゆびきりげんまん、したの!」
 飛び跳ね回りながら、女の子はそう言い嬉しそうにはしゃいだ。
「お父さんおむかえ早いから、わたし、もうおうち帰ってねるね!」
 女の子はタタタッと一瞬小走りに駆けたあと、一度立ち止まってこちらを振り返り。
「またね! おにいさん!」
 最後まで嬉しそうに、楽しそうにニコニコしながら、走って公園から出ていった。
「······またね、か」
 そう言われても、今日だって本当にただの気まぐれで足を運んだだけだ。それに、俺はよくても、やっぱりあんなに小さい子がこんな時間に外を出歩いているのはおかしいし、あまりにも危なっかしいが過ぎる。でもあの子は、まるでまたここで俺と会えることを信じて疑っていないような口振りだった。そう、まるで······「私はいつでも居るから」と言外に告げているようにも感じられた。
 やはり俺は、あの子と関わらない方がいいと思った。この場所に立ち寄ることもしない方がいい。もしも再びこの時間にこの場所へ訪れる日が来るとしたら、それは······今日みたいに変なきまぐれを起こすか、よほどの何かがあった時ぐらいだろう。
 そう決意し、俺は公園を後にした。その時はまだ、考えもしていなかったのだ。そう遠くない未来に、もう一度この場所を訪れることになるだなんて。

 ──ガードレールに突っ込んだ車、河川へ転落。引き上げられた車内からは男性と少女の遺体発見。無理心中か。

「······やあ」
 月のように白いシラユリの花束を持ち、俺は事故が起こった河川敷······ではなく、あの夜女の子と遭遇した深夜の公園へと足を運んでいた。
 まさか、こんなにあっさり再会することになるだなんて思いもしていなかった。どうしてだろう。本当に、どうしてだろうね。
 俺は、あの日あの子が座っていたベンチ、まさにその場所にそっと花束を置く。好きな花のことなんて聞いてなかったけど、少しでも気に入ってくれればいいのだが。
 ······もしもあの日、雨が降っていたなら。晴れていなければ。クロックスが裏側を向いていたならば。
 あの子は今も、この場所に居たのだろうか?
 そんな「もしも」を打ち消すように首を振る。そうして花束と人一人分ぐらい空けた隣に腰を下ろし、煙草の煙を燻らせる。あの子の存在が、あの夜の思い出が、煙と一緒に溶けてなくなってしまいそうだ、と思った。それが何だか無性に腹が立って、泣きそうになった。
 煙草を吸い終わるとベンチから立ち上がり、隣の花束へと声を掛ける。
「またね」
 そうして俺は公園から出て、自宅への道を歩く。
 冬晴れは、まだ暫く続くそうだ。

1/5/2025, 2:38:32 PM