夏川流美

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9/18/2023, 12:40:44 PM


 遠い街の、夜景を見る。


 星々の輝きに対抗するように、高層ビルや住宅の窓の明かりが灯っている。


「ねえ、先輩」


 ベランダでそんな景色を見ながら、先輩と横に並ぶ僕は声をかける。先輩はタバコをぷかぷかと吸いながら、黙って顔をこちらに向けた。


「綺麗ですね」


 そう呟くと、先輩はくしゃっと笑った。


「それ、夜景の話?」


 先輩の笑顔に、僕の胸が大きく高鳴る。それを悟られないよう、淡白な物言いで言葉を返す。


「どっちだと思います?」

「ずるいなぁ、その言い方」


 先輩の、どうしようもない、みたいに崩れた笑顔。そよ風でなびく艶のある黒髪。夜景の何倍も綺麗で、僕は見惚れる。


 また、静寂が訪れた。先輩も僕も何も言わない。口をとんがらせて、名残惜しそうに煙を吐く先輩は、夜景を見ているようで、だけどどこかもっと遠くを見ているような、そんな感じがした。


 僕が隣にいるのに、先輩はひとりみたいだった。


「ねえ、後輩」


 不意に呼ばれて、肩を小さく跳ね上がらせる。僕のほうを見ないまま、先輩は続けた。


「私は君よりも先に卒業してしまうけど、君はその後も私のことを、先輩、と呼ぶのかな」


 先輩の言っていることに疑問を覚えながらも、反射的に「はい」と返事をする。

 先に卒業してしまうことと、呼び方になんの関連性があるのか。そして、何故急にそんなことを言ってきたのか。

 でもそうとは聞けず、僕は黙り込んでしまった。

 そんな僕の様子に、先輩が目だけを向けてきた。


「なんだ、名前で呼んでくれないのか」


 子どものような拗ねている声色。慌てる僕を横目に、すぐにそっぽを向いてしまった。

 先輩から、そんなことを言われるなんて、思ったことすらなかった。いつもクールで、どこか他人事で、だけど時々見せる破顔が卑怯な先輩。

 だから、先輩の名前は夢でさえ呼んだことがない。



「よ、呼んでもいいんですか……」



 聞いても、答えてくれない。先輩はそっぽ向いたまま。


 先輩の名前を口に出そうとするだけで、心臓がどんどん煩くなるのが感じられた。頭がぼーっとしていく。指先が凍ったみたいに動かなくなって、目の前がぐるぐる渦を巻く。


 緊張が、すごい。すごい、緊張。


 あぁ、どうしよう。どうしよう。


 呼ばなきゃ。先輩のこと。先輩じゃなくて。


 先輩、じゃ、なくって。


 先輩。



 先輩。




 先輩。




 先輩、




「しおり、せん、ぱい」






 先輩がこちらを向いた。



「先輩って呼んでるじゃん」


「今はこれで、勘弁、してください……」



 顔が熱く、燃えそうだった。先輩と目を合わせられなくて、自分の足に目線を落とす。

 すると影が近付いてきて、先輩が僕の頭を、髪の毛をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。







 そんな先輩のことを、名前だけで呼ぶのは、またいつかの話。







#夜景

9/18/2023, 8:27:19 AM


 遠い昔に見た朧げな記憶の中に、それはそれは広大な花畑があった。

 見渡す限りの向日葵畑。右を見ても、左を見ても、前も後ろも、果てしなく続く花畑。


 何故……そんなところに行ったんだっけ。確か、誰かと一緒に行った気がするが。場所も相手も思い出せない。

 壮観な景色にうっとりして、1日中そこに居たような、居なかったような。


「あぁ……だめだね……この歳になると……」


 まったく、思い出せないことばかりだ。


「ばあさん、なに落ち込んでいるんじゃ」


 湯呑みを持って、爺さんが後ろから声をかけてくる。それで思い出した、あぁそうだ、爺さんと一緒に見に行ったんだっけか。


「昔に見た、向日葵畑のことを考えていたんだよぉ……。あれは、どこだったかね……」


「忘れちゃったのかい。あの向日葵畑は、ワシの土地じゃ。ワシがばあさんに贈ったものじゃよ」


「そうだったか、私に贈ってくれたんだったかい」


「そうじゃ。どうか死ぬまで忘れないでおくれよ」


 爺さんにそう言われて、少しずつ記憶が鮮明になる。あの日、サプライズで連れて行かれた先に向日葵畑があって。そこで爺さんに手紙を貰ったんだ。

 『999本の向日葵を贈る』と書かれていた。不器用なくせにロマンチックな爺さんらしくて、その気持ちが嬉しくて、この人と一生歩いていこうって決めたんだ。


「爺さんや」

「なんだい、ばあさん」

「いつまでも愛しているよ」

「な、なんだい急に! ……ワシも、ずっと想いは変わらんよ」





「いつまでも、私の運命の人は貴方だよ」

「それはそうさ。何度生まれ変わろうとも、愛しているからね」







999本の向日葵

――何度生まれ変わっても君を愛している







#花畑

9/16/2023, 2:03:04 PM


 ぽつ、と地面に黒い滲みができた。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。そして、数えられないほど多く増えていった。

 私は傘もささず、そこに佇んでいた。


 髪は濡れ、鞄は濡れ、シャツは体に張り付いた。

 それでも私は動かずに、そこにいた。


 私の頬や首筋を雨が伝っていく。

 地面を見つめ、ぐるぐるとした感情を咀嚼する。



 好きな人がいた。
 ほんの5分か、10分前まで。


 告白した。
 結果は惨敗。

 全く知らなかったけれど、どうやら彼女が居たらしい。

 彼女に悪いから、もう近付かないでほしい。と
 突き放されてしまった。


 こんなことになるのなら。
 話せなくなってしまうのなら。

 告白なんかしないで、好きな気持ちに蓋をして。
 ただの友達として、すれ違ったら挨拶を交わすような、せめてそれくらいの関係で居たかった。



「――っくしゅん」



 くしゃみが出た。ぶる、と身震いをした。
 雨が冷たくて、寒い。


 顔がぐしゃぐしゃに濡れてしまった。
 だから、もう少しだけ雨に打たれよう。


 空が代わりに泣いている、今のうちに。



 



#空が泣く

9/14/2023, 12:03:09 PM

「どうして争わなければならないのですか!」


 宙に留まる我の見下す先に、喚くひとりの人間がおった。左手には人間と同じサイズの盾、右手には人間よりも長い槍を力強く握りしめ、果敢にも我と対峙しておる。



「つい先日まで、私たちはお友達だったじゃないですか! 私が、私だけが友達だと思っていたのですか!?」


「あぁ、そうであったな。我も貴様を友人だと思っておった。だがそれも、先日までの話。貴様は人間で、我は妖怪である。互いに敵になってしまったのだ。こんな世界で、我々ももう、仲良くはできまい」




 我は人間を威嚇する意味で、9本の尾で強風を巻き起こした。人間はたったそれだけで吹き飛びそうに足を崩し、よろめき、それからようやっと体勢を立て直す。



 なんと、愚かな。


 それほどまでに弱いのにも関わらず、我に立ち向かおうとする心意気。

 我の攻撃が一撃でも当たれば、息の根が止まることなど分かってるであろうに、話し合いから試みる心意気。



 それから、何よりも

「人間と妖怪が分かり合える筈はないんだ。妖怪を殲滅せよ!」と、勝手なことを言ってこんな小娘にまで強要する、立派な立派な人間共。


 全てがあまりにも愚かで、あまりにもちっぽけすぎる。我がここで小娘を見逃そうとも、小娘は人間に潰されるだろうな。



 であれば、我がやらなければいけないことはひとつ。

 小娘と真剣に対峙し、口には出せぬ思いを伝えてやるだけだ。


 どちらかの命が、燃え尽きるまで。



 



#命が燃え尽きるまで

9/13/2023, 10:24:40 AM


 ビルの屋上で、前を向く。星の声が聴こえてしまいそうな、夜明け前だった。




 きっと、間近で見れば首が痛くなりそうなくらいに高い高いビル達が、今は小さな影となって景色の一部に溶け込んでいた。

 薄らと色づき始めていく空には、白い星が未だに瞬いていて。全てを包み込むような淡い光の月と、そんな星々と。黒、青、白、橙、赤……と続く、人類にはあまりにも広大すぎる空の中で。




 私は、今日死のうと決めた。




 世界の誰かは、こんな私を「馬鹿だ」と罵るだろう。分かっている。私だってそう思う。

 
 
 だけど、仕方なかったんだ。



 どうしても、上手く生きられない。
 どうしたって、上手く息ができない。



 誰に何を言われても、何をして過ごしていても、「苦しい」という思いから逃れられなかった。もう我慢したくない、とも思った。


 友達ができた。
 上司ができた。
 先輩ができた。
 後輩ができた。


 親友もできた。
 恋人もできた。


 大切だと思えること。大切だと思える人は、たくさんできた。その中で、ずっと自分だけが大切にできなかった。



 だから最期くらいは、自分を大切にしたくて。


 私が何もかもを忘れて、頭も心も空っぽにして、眼前に広がる「綺麗」で私の全てが埋め尽くされる。





 そんな時間で、さよならを。








#夜明け前

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