夏川流美

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8/25/2025, 4:11:37 PM

近付きたい、もう一歩だけ。



手を伸ばしても届かない距離。
私と貴方の目線が交わらない距離。

誰かの影に隠れてしまう、この距離。



電車の中で、外の景色に目を揺らし。時には本に目を落とし。


憂げな長い睫毛。
透き通った白い肌。
膝丈の慎ましいスカート。
丁寧に形作られた胸元のリボン。



その全てに――貴方の全てに、触れてみたくて。


何度も何度も頭の中でイメージしては、何もできずに電車を降りる。



そんな日々の繰り返しの中で、いつもの場所に、貴方の姿が見えない日がやってきた。

あぁ、結局私は一度も行動することができなかったのか。

後悔の念を抱き、ぐ、と飲み込む。



でも、違った。
見かねた神様が背中を押してくれたようだった。



ドアが閉まる直前に駆け込んできた貴方は、いつもの場所が既に埋まっていることを知り、私のほうへ向き直した。

私の隣だけが、空いていたから。

だから貴方は、当然のように何の躊躇もなく隣へ腰掛けた。




もう一歩だけ、近付ければそれで良かったはずなのに。



どうか、私のこの心音が
貴方に聞こえてませんように。







#もう一歩だけ、

6/11/2025, 4:32:19 AM

 美しいなんて感情は、いつだって上辺だけだ。



 水田に映る淡い藍色の朝焼けも。

 太陽の輝きを跳ね返す鮮やかな向日葵も。

 窓辺で珈琲の湯気を眺めながら聴く雨音も。


 美しいなんて思うには、当たり前すぎる。本当はそんなこと思っていなくたって言える。適当に言っても誰かが共感してくれる。


 そんなものより、


 ペットボトルから口を離した時の濡れた唇。

 こめかみから伝った汗が落ちていく首筋。

 ズボンを捲って日焼け止めを塗る露出した太腿。


 夏にしか見られない、好きなあの子の一部分が。

 何よりも美しく
 間違いなく美しい。





#美しい

4/7/2025, 3:23:07 PM

花→花火。

9/18/2023, 12:40:44 PM


 遠い街の、夜景を見る。


 星々の輝きに対抗するように、高層ビルや住宅の窓の明かりが灯っている。


「ねえ、先輩」


 ベランダでそんな景色を見ながら、先輩と横に並ぶ僕は声をかける。先輩はタバコをぷかぷかと吸いながら、黙って顔をこちらに向けた。


「綺麗ですね」


 そう呟くと、先輩はくしゃっと笑った。


「それ、夜景の話?」


 先輩の笑顔に、僕の胸が大きく高鳴る。それを悟られないよう、淡白な物言いで言葉を返す。


「どっちだと思います?」

「ずるいなぁ、その言い方」


 先輩の、どうしようもない、みたいに崩れた笑顔。そよ風でなびく艶のある黒髪。夜景の何倍も綺麗で、僕は見惚れる。


 また、静寂が訪れた。先輩も僕も何も言わない。口をとんがらせて、名残惜しそうに煙を吐く先輩は、夜景を見ているようで、だけどどこかもっと遠くを見ているような、そんな感じがした。


 僕が隣にいるのに、先輩はひとりみたいだった。


「ねえ、後輩」


 不意に呼ばれて、肩を小さく跳ね上がらせる。僕のほうを見ないまま、先輩は続けた。


「私は君よりも先に卒業してしまうけど、君はその後も私のことを、先輩、と呼ぶのかな」


 先輩の言っていることに疑問を覚えながらも、反射的に「はい」と返事をする。

 先に卒業してしまうことと、呼び方になんの関連性があるのか。そして、何故急にそんなことを言ってきたのか。

 でもそうとは聞けず、僕は黙り込んでしまった。

 そんな僕の様子に、先輩が目だけを向けてきた。


「なんだ、名前で呼んでくれないのか」


 子どものような拗ねている声色。慌てる僕を横目に、すぐにそっぽを向いてしまった。

 先輩から、そんなことを言われるなんて、思ったことすらなかった。いつもクールで、どこか他人事で、だけど時々見せる破顔が卑怯な先輩。

 だから、先輩の名前は夢でさえ呼んだことがない。



「よ、呼んでもいいんですか……」



 聞いても、答えてくれない。先輩はそっぽ向いたまま。


 先輩の名前を口に出そうとするだけで、心臓がどんどん煩くなるのが感じられた。頭がぼーっとしていく。指先が凍ったみたいに動かなくなって、目の前がぐるぐる渦を巻く。


 緊張が、すごい。すごい、緊張。


 あぁ、どうしよう。どうしよう。


 呼ばなきゃ。先輩のこと。先輩じゃなくて。


 先輩、じゃ、なくって。


 先輩。



 先輩。




 先輩。




 先輩、




「しおり、せん、ぱい」






 先輩がこちらを向いた。



「先輩って呼んでるじゃん」


「今はこれで、勘弁、してください……」



 顔が熱く、燃えそうだった。先輩と目を合わせられなくて、自分の足に目線を落とす。

 すると影が近付いてきて、先輩が僕の頭を、髪の毛をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。







 そんな先輩のことを、名前だけで呼ぶのは、またいつかの話。







#夜景

9/18/2023, 8:27:19 AM


 遠い昔に見た朧げな記憶の中に、それはそれは広大な花畑があった。

 見渡す限りの向日葵畑。右を見ても、左を見ても、前も後ろも、果てしなく続く花畑。


 何故……そんなところに行ったんだっけ。確か、誰かと一緒に行った気がするが。場所も相手も思い出せない。

 壮観な景色にうっとりして、1日中そこに居たような、居なかったような。


「あぁ……だめだね……この歳になると……」


 まったく、思い出せないことばかりだ。


「ばあさん、なに落ち込んでいるんじゃ」


 湯呑みを持って、爺さんが後ろから声をかけてくる。それで思い出した、あぁそうだ、爺さんと一緒に見に行ったんだっけか。


「昔に見た、向日葵畑のことを考えていたんだよぉ……。あれは、どこだったかね……」


「忘れちゃったのかい。あの向日葵畑は、ワシの土地じゃ。ワシがばあさんに贈ったものじゃよ」


「そうだったか、私に贈ってくれたんだったかい」


「そうじゃ。どうか死ぬまで忘れないでおくれよ」


 爺さんにそう言われて、少しずつ記憶が鮮明になる。あの日、サプライズで連れて行かれた先に向日葵畑があって。そこで爺さんに手紙を貰ったんだ。

 『999本の向日葵を贈る』と書かれていた。不器用なくせにロマンチックな爺さんらしくて、その気持ちが嬉しくて、この人と一生歩いていこうって決めたんだ。


「爺さんや」

「なんだい、ばあさん」

「いつまでも愛しているよ」

「な、なんだい急に! ……ワシも、ずっと想いは変わらんよ」





「いつまでも、私の運命の人は貴方だよ」

「それはそうさ。何度生まれ変わろうとも、愛しているからね」







999本の向日葵

――何度生まれ変わっても君を愛している







#花畑

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