nanagraph

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11/25/2022, 10:21:57 AM

「セーター」

私は、2月のパリを、完全に舐めていた。

1997年から1年間、私はロンドンにいた。特に目的があった訳ではない。強いて言えば、旅行ではなく、異国の地で生活してみたかったのだ。アパートを借り、スーパーで買い物をし、学校帰りに映画館や本屋に行って暇を潰す。公園を散歩したり、ノミの市で古着を見たり、普通に日本でしていることを外国でする。ただそれだけだ。しかしただそれだけのことが、とても刺激的だった。足が棒になるほど歩き回り、夢中で写真を撮った。充実した毎日だったと、今でも思う。

しかしそんな日々も、ずっと続くわけではない。所持金が少なくなるにつれ、日本に戻らなければならない日も近づいてくる。当初半年は語学学校に通い、半年はヨーロッパを放浪する予定だったが、気がつけばもう10ヶ月が過ぎていた。ちょっと長居し過ぎたか。ここまできて、イギリス以外の国を見ずに帰国するのはもったいない。そろそろ移動しよう。行き先は、パリだ。

もともと綿密な計画などない旅だから、パリを選んだのも、単なる気まぐれみたいなものだった。ロンドン・パリ間は、TGV(ユーロスター)という新幹線みたいな列車で2時間半だ。イミグレも簡単だし、「世界の車窓から」のファンだったし。そんなお気楽気分で、意気揚々と出発したのだった。

フランス人の友人は、「そんなに寒ないで。ロンドンよりちょっとマシぐらいちゃう?」(というぐらいフランス語訛りの英語で)と言っていたのに、嘘だった。いやたまたま当たり年だっただけかもしれない。とにかく2月のパリは、極寒だった。パリ北駅で降りた私がまず思ったのは、「パリに着いた!」「まずシャンゼリゼ通りでお茶やな」ではなく、「み、耳が痛い」だった。

旅の始まりは、宿探しからだ。「地球の歩き方」と駅にある観光案内所で安宿地域を探し、あとは行き当たりばったりで宿を決めるのだ。今日泊まる宿も、入口に「英語できます!」って書いてあったので入ったのだけれど、宿主のおばちゃんは何かにつけ「ガッハッハ」と笑ってばかりでほとんど通じない、いい加減宿だった。ちなみにそのガッハッハおばちゃんの娘さんが、英語ができる人だったと後から知って安心したのだが。

このガッハッハおばちゃん曰く、「今年の冬は超寒い」らしい。まずは防寒だ。ロンドンで買ったペラペラのダウンでは、寒くて動く気にもならない。そんなことを、お互いつたない英語で話していると、ガッハッハおばちゃんは「ちょっと待ってろ」と言って、奥の部屋からセーターを持ってきてくれた。なんでも亡くなったご主人が着ていたもので、「お前には少し大きいが着ていけ」と言ってくれたのだ。ガッハッハおばちゃん、いい人じゃないか!いい加減宿とか言ってごめんよ。

それから2日間、私は寒さに震えることなく、パリを歩き回った。ありがとう、ガッハッハおばちゃん。クリーニングとかしないで返すけど、ごめんね。助かったよ。

ちなみにあとでよく見たら、手書きのレシートに「frais supplémentaires(追加料金)」として「location : sweater (レンタル代:セーター)と書いてあった。やるな、ガッハッハおばちゃん。しかも娘さんから、お父さんは亡くなってなどいないと聞いて、ますますこのガッハッハおばちゃんが気に入ったのだった。

11/24/2022, 7:32:13 AM

「落ちていく」

寝かしつけは、ある意味、娘との騙し合いだ。

だいたい同じ時間にお風呂に入れ、ミルクを飲ませ、背中を叩いてゲップをさせる。もう娘の満足度は100%だ。

「やるか。」
私は抱っこして立ち上がる。うちの娘は、添い寝程度で、寝たりはしない。必ず立って抱っこしなければ、グズりだすのだ。初めての娘で、親の経験値は0だったが、毎日の寝かしつけで、私もいろんなことを学んでいく。揺れていないとダメなので、抱っこしながら狭い部屋をウロウロする。もちろん背中トントンも忘れない。娘は割とアップテンポがお気に入りだ。

しばらくすると、娘はうとうとし始める。部屋の電気を、オレンジの豆球だけにして、勝負の時に備える。大丈夫だ。きっと上手くいく。早く寝てくれ感を悟られないように、おもちゃのチャチャチャを、ハミングで小声で歌う。娘はかわいい目を、もう閉じている。寝たか。しかし少し下すと、また目を開ける。危ない危ない。罠だったか。やるな、娘よ。

またしばらく抱っこしたまま、ウロウロする。腕もちょっとダルくなってきた。もうそろそろいいだろう。私は娘用の小さい布団の横に立ち、少しだけ娘を下ろしてみる。いけそうだ。最新の注意を払って、ゆっくりと娘を布団に下ろしていく。焦るな、私。背中が着くまで、あと3cm。2cm。1cm。ランディング!っと思ったその瞬間、娘のグズり声が、部屋中に響く。失敗だ。また騙された。娘は、完全に寝てはいなかったのだ!

私は、娘を再び抱っこして立ち上がる。立ち上がると、娘は泣き止む。実は娘の背中にスイッチが付いていて、布団に下ろすとスイッチが入るのでは?と本気で思いたくなる。これを我が家では、「背中スイッチ」と呼んでいるのだが、本当に厄介な装置だ。皆さんにも、今までの時間はなんだったんだと、怒り心頭になったことは、ないだろうか。私にはある。毎回ある。一度だけ本気で腹を立て、クッションをソファーに叩きつけたことがあるくらいだ。

こんな格闘が、あと2〜3回続く毎日だった。当時娘は、本当に寝なかったのだ。成功したあとは、私も寝かしつけで力尽きてしまい、眠りの世界に落ちていくことが、日課みたいなものだった。ただひたすら、寝不足だったような気がする。

そんな娘も、今では遅刻ギリギリまで寝る子に育ってくれた。本当に、親に苦労、子知らずである。

11/21/2022, 9:43:10 AM

「宝物」

一生懸命に記憶をたどってみるのだが、宝物として何かを大事に持っていたというような記憶がない。

小さい頃、ビー玉やらなんちゃらカードといった子供の宝物になり得るものも、特に興味がなかったように思う。そもそも宝物って一体何なのだ?海賊が7つの海を渡って探し求める金銀財宝のことならまだわかるが、昭和という大量消費の時代に生まれ育ったものとしては、宝物と言ってもピンとくるものがない。

ちなみに私は、物に執着するタイプではないが、ミニマリストのように潔く物を捨てられるタイプでもない。1年間使わなかった物は捨てましょうと断捨離本には書いてあるが、確かにそれができれば、きっとほとんどのものを捨てられて、スッキリした部屋になるだろう。ただ私は、本を読んでなるほどと思うだけの、自己啓発本あるあるの見本のような人なので、実際は無駄な物に囲まれて生活している。そんな部屋に、宝物があろうはずもない。

中田敦彦がYoutube大学で、思い出の品はラスボスと言っていた。そんなものは写真を撮ってクラウドに上げ、思い出の品は捨ててしまえということらしい。すごいよね、ミニマリスト。そこには、思い出が宝物という概念は存在しないようだ。

あなたが私の宝物というのも、いや私って物ちゃうし、とか思ってしまう。そんなものは別冊マーガレットの中だけの話であって、実際に言われたこともないし。それはやはり、私自身に問題があるからだろうか。でもちょっと言われてみたい。誰か言って。

結局宝物なんて、人それぞれだ。なくても別に困りはしない。ただ宝物があるって、なんだかそれだけで心が豊かな人っぽいイメージが、私にはある。ないものねだりで憧れかもしれないが、大切な何かがあるっていいよねと思うのだ。

さあ、ちょっと部屋でも片付けるか。

11/18/2022, 3:59:29 PM

「たくさんの思い出」

たくさんの思い出は、タダではなかった。

先月たくさんの思い出がつまった外付けHDDが、壊れた。その絶望感たるや、凄まじいものがある。娘のあの笑顔も、泣き顔も、誕生日も、運動会も、発表会も、みんな入っていたのに。HDDから発せられる異音は、「もう無理なのよ。さようなら。」と告げているようだ。

我が家ではどうにもならないので、ネットでデータ復旧サービスを検索し、最安値のところに郵送してみたが、物理故障とかで、復旧不可の判定だった。最安値だから、こんなものなのか。仕方なくもう1社に連絡し、状況説明を行う。口頭だが、障害が軽度だった9万円ぐらい、重度だったら30万ぐらいですかね、とのこと。軽く言ってくれるが、はいそうですかと、おいそれと言える金額ではない。思い出2TBが30万か。足元を見られている気がしないでもない。でもそれで娘の笑顔が救えるのなら、高い授業料だと思ってお願いするか。今私は、親として、非常に難しい選択を迫られている。

バックアップはちゃんと取っておかなくちゃと皆言うだろう。賛成だ。私もそう思う。もし取っていない人がいれば、ECサイトですぐにHDDなりSSDなりをポチった方がいい。もうすぐAmazonや楽天で、ブラックフライデーセールをするので、その時でもいいかもしれないが、早いに越したことはないと忠告しておく。

とりあえず1度郵送して、正式見積もりを取ろうかと思っている。めんどくさがったツケが、まさかこんな形で回ってこようとは。

思い出は、高いなあ。

11/15/2022, 4:30:38 AM

「秋風」

秋風が心地よいこの時期、いよいよマラソンシーズンの幕開けだ。

走ることに興味がない方には、どうでもいい話だが、だいたい10月ぐらいから、全国でマラソン大会が開催され始める。しかもここ1〜2年はコロナ禍で中止になった大会も多かっただけに、今年は待ちに待ったという方も多いだろう。ベストタイムを狙って己の限界に挑戦するガチランナーから、その格好で走り切れるんですか?と思わずにはいられない着ぐるみを着た仮装ランナーまで、楽しみ方は人それぞれだ。

マラソンの場合、完走とは、走り続けてゴールすることではない。スタートして、制限時間内にゴールすれば、完走である。疲れたら歩いても、止まって休んでもいいのだ。ちなみに大阪マラソンの制限時間は7時間。そこそこ走れれば、半分くらい歩いてもゴールできる。大会完走率は、97%以上らしい。

大会は、号砲を合図にスタートとなる。ただ東京や大阪といった大都市で開催される大会は、参加者が何万人にもなるので、号砲が鳴っても、後ろの方の列はちっとも進まない。ストレッチをしたり、隣の人とお互い頑張りましょう的な世間話をしていると、少しずつ列が動き出す。号砲が鳴ってから10分後ぐらいにスタートラインを越えて、いよいよスタートである。

最初の5km ぐらいは、天国だ。沿道からの声援に、嬉しいやら恥ずかしいやら。知らない人に手を振ったりする余裕もある。まさに最初からテンション爆上がり状態になるのだが、いやいやここで調子に乗ってはいけないと自分を制する。マラソンはイーブンペースが基本だと、ジェームスも言っていたではないか。後半まで無理をせず、体力を温存するのだと自分に言い聞かせるのだが、そもそも温存する体力なんて最初からないということを、この先嫌というほど思い知らされる。

10kmを過ぎたぐらいから、少し脚に違和感を覚え始める。歩くほどでもないし、まだ大丈夫だと思って走るのだが、実は違和感を感じている方の脚を、少しずつかばって走っていることに気づいていないことが多い。そのうち違和感が痛みに変わってくる。多いのは、膝の外側か内側の痛みだ。20kmぐらいまでに、ちょっと止まって屈伸をしたり、歩いたりすることもあるだろう。でも本当に辛いのはここからだ。

マラソンには、30kmの壁と言われるものがある。普段のランニングでそんなに長い距離を走ったことがない人が、30kmを越えた辺りから、脚や体力が限界に達し、歩いてしまうことが多いのだ。もはやゲームでいうHPは5ぐらい。当然ステータスは赤表示だ。まさに満身創痍。そんな脚を引きずって、それでもなおゴールに向かって歩き続ける。初めのうちは天国だったはずなのに、気がつけば地獄の中をさまよっている。私は修行僧か?

途中でエイドと呼ばれる、水やスポーツドリンク、補給食を提供してくれる所がある。大会によっては、ご当地グルメを提供したりして、それを目当てに参加するランナーも多いとか。でも何万人分も用意できないので、後ろのランナーがエイドに着く頃には、すっかりご当地グルメはなくなっていたりする。仕方なくスポドリをもらって、また進む。托鉢をもらえない修行僧の気分だ。知らんけど。

40kmを越えると残りは2kmちょっとだ。相変わらず脚の状態は最悪だが、あと2kmぐらいでもう歩かなくてもいいかと思うと、薬草程度にHPが回復する。でも所詮薬草だ。ゲーム終盤にHPが10回復しても、表示が赤から白に変わることはない。ラストスパートなんて、無縁の言葉だ。でもここまで頑張ってきた者を、神様は見放したりはしない。最後の最後で、奇跡を用意してくれるのだ。

ゴールまであと数十メートル。ここまできて、ふと気づく。あれほど痛かった脚が動く。痛いのは痛いのだが走れるのだ。ここまで散々歩いてきたのに、最後ぐらいは走ってゴールしたいと思える。いける!いけるぜ、私!そして最後は、まるで歩くことなく、ずっと走ってきたかのように、両手を上げてゴールするのだ。やった、やったよ!私は、普段は感じない達成感とか充実感とかで、いっぱいになる。誰にかわからないが、ありがとうと思えてくる。あんなに苦しんだくせに、もっと練習して、来年は歩かず完走しようとか、早くも来年のことを思ってしまう。マラソン大会には、そんな魅力がいっぱいあるのだ。あなたも来年、一緒に走りませんか?

っというのが、私のマラソン大会のイメージである。ちなみに私は、マラソン大会なんかにエントリーする予定はない。

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