「飛べない翼」
今日のテーマに、少し違和感を覚える。
飛べない翼。しかし「飛べない」のは、翼を持つ何かであって、「翼」が飛べないのではないはずだ。日本語としてどうなのかと思う。
例えば、飛べない「飛行機の」翼だったらわかる。それは故障しているので、修理してほしい。とても危険だ。飛べない「鳥の」翼も、かわいそうなので、手当てをしてあげてほしい。ただ、鳥の場合は、もう一つの可能性もある。そう、「退化」だ。
退化とは、進化の過程で、生物体の器官や組織などが、縮小したり衰退したりすることだ。ペンギンやダチョウが飛べないのも、これにあたる。飛ぶより泳いだり走ったりする方が効率的だったので、翼を使わなかったら、そのうち飛べなくなりましたというわけだ。
人間だって、猿から進化する過程で、いろんなものが退化してきた。ただこれは、単にしっぽがなくなりました的な話だけでは済まないかもしれない。
世の中が便利になればなるほど、人間は動かなくなり、考えなくなってきている。ググればたいていのことはわかるので、辞書を引いたり、図書館に行って調べたりすることもない。スマホがあれば、知らない土地でも迷うことはないし、連絡帳に入力しているので、電話番号を覚える必要もない。漢字をどんどん忘れていってるのも、老化のせいだけではないような気がするのだ。
退化するかしないかは、生き延びる為に、必要かどうかだ。不必要な組織や器官にエネルギーを使うより、使わないものは切り捨てて、必要なものにエネルギーをまわした方が、生き延びる可能性が上がる。企業が、経営資源の集中とか、生産性の向上とかいう大義名分でリストラするように、生物も不必要な組織や器官を、何億年もかけて退化させてきたのだ。そしてそれは、これからも続く。
何もしなくても、何も考えなくても、機械が、システムが、AIが、人間をはるかに上回る精度でやってくれる世界。そんな世界で、人類は退化の一途を辿るしかないのではないだろうか。
未来の世界では、人間は人間ではないかもしれない。知らんけど。
「脳裏」
エリザベス女王の葬儀のニュースを観ている時、私の脳裏に浮かんでいたのは、餡かけチャーハンだった。
餡かけチャーハン。
「チャーハンはパラパラが王道」という方には、もう正面切ってケンカを売っているとしか思えない代物だが、意外と街の中華屋さんのメニューにはない。天津飯とも少し違う。私の中の餡かけチャーハンは、餡にお酢は入っておらず、どちらかと言うと中華スープを餡状にしてかけました、みたいな味だ。
1997〜1998年の間、私はロンドンで過ごしていた。少ない給料をコツコツと貯め、半年は語学学校、もう半年は放浪という計画だった。安アパートを借り、節約に為に、もっぱら自炊という生活だったが、月に1-2回ほど外食も楽しんでいた。
その時通っていたのが、チャイナタウンにあったWong Kei (ワンケイ)という店だ。「地球の歩き方」にも載っていて、「安くて美味いが、接客は最低」という評判だったが、私は気にしたことがない。3ポンドほどで、山盛りの餡かけチャーハンが食べられるのだ。貧乏学生にとって、これ以上に望むものはない。接客なんて、二の次三の次で十分だ。その Wong Kei で、私は、態度の悪い店員に、毎回餡かけチャーハンを頼むのだった。
お腹がいっぱいになれば、グリーンパークで昼寝をしているか、客の少ないギャラリーを見てまわるかという、お金はないけど時間はたっぷりというお気楽さ。
偶然にも滞在中にダイアナ妃の葬儀が行われ、バッキンガム宮殿周辺の群衆にまぎれて、悲しくもないのに悲しそうな顔をして見ていたりもした。
いろんな国の人と出会い、いろんな考え方を知り、いろんなことを体験したロンドン。
今でもロンドンと聞くと、楽しかった日々と共に、あの悪名高き Wong Kei を思い出す。エリザベス女王の葬儀で餡かけチャーハンというのも、そういうことだ。
死ぬまでに、もう1度ロンドンに行きたいと思う。その時まだ、Wong Kei はあるだろうか。
「あなたとわたし」
これを読んでくださっているあなた。
私はあなたを知らないし、あなたも私を知らない。私が知っていることといえば、多分あなたは人間で、多分生きている人だということぐらいだ。
でもふと思う。
それって本当か?
では、あなたのあの素晴らしい文章は、誰が書いたのか?そう、「AI」だ。AIが書いたものではないと、誰が否定できるだろうか。
AI技術は目覚ましい進歩を遂げている。もはやアメリカ(だったっけ?)では、人事考査をAIが行なって訴訟になったり、AIが従業員に解雇通知を出したりしているのだ。
「○○年後、AIに取って代わられる仕事」リストを見て、自分の仕事は大丈夫と安心したり、逆にリストに載っていてやばいと思ったりしたことがあると思う。ちなみに私の仕事は、このやばい組だ。
今やAIによるチャットbotで、会話が普通にできるらしいし、AIが書いた小説が、星新一賞の第一選考に残るくらいのレベルにはなっているのだ。私の書く、なんの取り柄もない文章なんて、お茶の子サイサイなのかもしれない。
私には「えっ?このお題、マジ?」と思うことが、かなりの確率である。毎日頑張ろうという目標は、忘却の彼方に追いやられ、代わりに「書けへん時は、無理せんと書かんとこ」というマイルールに変わってから、「今日も書けへんかった」という自己嫌悪みたいな負の感情が少し減った。それはそれで、よかったのだが、AIだったら、きっとこんな心配も不要なのだろう。
また、「もっと読みたい」を押してくれる方がいて、「どこのどなたか存じませんが、ありがとうございます」と思うのだが、それもAIが機械的に判断してるとしたら、それでもありがたく思うだろうか。
もちろん今私は、あなたを人間だと思っている。でもそう遠くない将来、そういう世界になっていても不思議ではないかも。
ちなみに私はbotではありませんと言っておく。
「一筋の光」
夜空を見上げていると、不意に一筋の光が、横切ることがある。
流れ星だ。
しかし、その美しさと儚さ故に、あ〜‼︎ぐらいにしか言葉が出ない。そしてその後いつも「ちっ」って思うのだ。お願いするのを忘れてたよ。
そもそも流れ星に願いを唱えると叶ういう言い伝えは、チコちゃんでいう「諸説あります」なのだが、もとはキリスト教や古代ヨーロッパのウライ・アルタイ系民族の言い伝えが元になっていると言われている。
「神がときどき下界の様子を見るために、天界を開ける。その時に天界の光として星が流れ落ちる。だからその時に願い事を唱えれば、その希望は神の耳に届き、神は願いを叶えてくれる」(渡辺美和・長沢工「流れ星の文化誌」より)というものだ。
ただこの神様はとても小心者なのか、天界をちょっとの時間しか開けてくれない。その僅かな時間で3回も願うなんて、欲深いわたしは、無理無理無理、絶対無理。そんなの早口言葉王でも無理だよう、とか思うのだ。
それでも、どうしても3回唱えたいという方のために、1つのアプリを紹介しよう。その名も「流れ星に3回願い事を唱えるのをただひたすら練習するアプリ」だ。
使い方は簡単だ。1分の間に画面に流れ星が流れる。その間に願い事を3回唱える。願い事は録音されており、言えたか言えなかったかは、その録音を聴いて自己採点という超アナログ判定。しかもそれだけのアプリという潔さ。
来月になれば、双子座流星群を見ることができる。このアプリで練習して、ぜひ夢を叶えてもらえれば、嬉しい。
ちなみに私は、2回やっただけで、速攻アプリを削除したことを付け加えておく。
「鏡の中の自分」
日本神話では、鏡は神と非常に深い関わりをもつ。
三種の神器の1つに数えられ、天皇の皇位継承の必須アイテムだ。かがみ(鏡)から、が(我)を取ると、かみ(神)になるという、言葉遊びみたいな言い伝えもある。
そしてこの鏡、とても謎多き品であることを、ご存知でしょうか。
三種の神器の鏡は、八咫鏡(やたのかがみ)という。神話を簡単に言うとこんな感じだ。
アマテラスオオミカミが洞窟に閉じこもった時、なんとか出てきてもらおうと、洞窟の外で神様たちがドンチャン騒ぎをする。なんだ?と気を引かれ、岩戸を少し開けたアマテラスの目の前に八咫鏡を置く。鏡の中の自分を他の神様と見間違えたアマテラスは、もっとよく見ようと身を乗り出したところを、引っ張り出されるというお話だ。
さてそんな八咫鏡は、現在伊勢神宮の内宮にあるとされているが、実は今生きている人の中で、実物を見た人はいない。最後に見たのは明治天皇らしいが、見たことについて口外してはならない決まりがあり、本当に見たのかどうかも分からない。分からないのに、なぜか形代と呼ばれるレプリカのようなものが、宮中にある。一体どうやって作ったのか。
また天皇家以外で見たという人がいて、鏡の裏にヘブライ語が書かれてあったという話もある。そのことから日ユ同祖論を語る学者も多いとか。でも誰も見たことがないので、その信憑性は、都市伝説よりちょっとマシぐらいに思うのだ。
ググれば、そんな話は山のように出てくる。
秋の夜長、神話を読みふけるのもいいかもしれない。