「10年後の私から届いた手紙」
前略、私殿。
突然こんな手紙が届いて、さぞ驚いていることだろう。私は40歳の君だ。君は今30歳だから、ちょうど10年前の私になる。
どこをどうしたらこんな手紙が届くのか、君は不思議に思うだろう。いやそれよりも、これから先10年経ってもまだ手紙なのかと、せめてメールにしろよと思っているだろう。
私も10年前、同じように思った。時空が途中でねじ曲がっているのか? 詳しいことは、10年経ってもわからない。なので10年前の君に、わかる術はない。諦めろ。
私は今後10年間で、確実に起こる未来を君に教えよう。
まず君は32歳でうつ病になる。原因はT課長のパワハラだ。それによって君は休職に追い込まれ、1年半後に退職することになる。
断っておくが、これは君にとって確実に起こる未来の話だ。気分転換にジョギングしたり、睡眠をしっかりとったり、はたまたいい人をやめたとしても、避けられない事実だ。なぜなら私が32歳でうつ病になって苦しんだからだ。
悪いことだけではないぞ。35歳で君は初めてフルマラソンに出場し、見事完走することが決まっている。タイムは5時間28分12秒だ。大した記録ではないが、先におめでとうと言っておく。
38歳で富士山登頂を目指すが、残念ながら8合目で高山病になり無念の下山となる。くどいようだが、ゆっくり登っても結果は同じだ。諦めろ。
40歳になって、君は短編小説で新人賞を取り、作家デビューを果たす。念願の作家デビューが決まってるんだ。もっと喜べよ。まあ10年前、私も疑心暗鬼になったので、不安な気持ちも理解できる。
作家には憧れるが、書く習慣アプリでも♡がつかないし、自信がないんだろう。でも大丈夫だ。40歳になった私は、今作家になっているし、次回作の執筆も順調だ。
なぜそんなことができるのかって?
10年後の未来では、作家は書く才能も、タイピングさえも不要だからだ。未来の世界はすごいぞ。ストーリーは、なんとAIが勝手に書いてくれるのだ。
実はこの文章だって、Chat GPTというサービスで書いたものを、ちょっと修正しただけだ。
なに、みんなやっていることだ。お互い様なので、バレはしない。
安心しろ。君の未来は安泰だ。
「バレンタイン」
やっと終わったよ、この日が。
別にもらった、もらわないで一喜一憂する歳でもないが、毎年この日のために、それなりの金額が動くイベントではあると思う。
私の頃は、せいぜい本命と義理チョコぐらいだったけど、今ではなに、友チョコ?義理チョコと同じでいいじゃね?自分へのご褒美チョコ?大人はプレモルでしょ?小栗旬が言ってたよ?
何が迷惑って、台所が占領されることだ。娘よ。こっちは食事の用意とか、弁当の準備とかあるのだよ。それらを全部見逃してくれるなら、いくらでも使ってくれてもいいが、後片付けぐらいはしろ。
あと、チョコが足りなくなったので、夜中に親を24時間スーパーに板チョコを買いに行かせるのも、来年はやめてほしい。
ついでに言っておくが、クラスと部活分で68個のラッピングも、来年は手伝いません。そんなこと前日になってするなよ。メッセージカード?書きません!
嫁はサラッとKALDIで買って済ませてた。さすが大人。労力をお金で解決してた。
今年もいろいろあったバレンタイン。
でも娘の本命級が2個あったのは、なぜ?
ちょっと小悪魔的で、ちょっと打算的な娘を見た気がした。こわいこわい。
「時計の針」
もし時計の針を合わせるように、時間を進めたり戻したりすることができたなら、あなたはどこにその針を合わせますか?
たまにはこんな空想もいいだろう。時間の旅を楽しもうじゃないか。
私なら、まずは過去に行くだろう。後悔ばかりの人生ではなかったが、もし叶うなら、こうしておけばよかったかもと思うことがない訳ではない。
私にだって、あの時ちゃんと想いを伝えていればと思う青春あるあるみたいな話があるのだ。
彼女はかおりちゃんという同じ高校に通う同級生で、部活も一緒だった。家も同じ方向だったので、よく自転車で話をしながら帰ったものだ。
私は密かにかおりちゃんが好きだったが、告白する勇気が持てずに月日だけが流れていった。
そのうちかおりちゃんに別の好きな人ができてしまうという連ドラあるあるになるのだが、こともあろうか、その彼のことでかおりちゃんから相談を受けるという、これまた恋愛漫画あるあるみたいな展開になってしまう。けっきょく応援する立場になってしまったお人好し100%の私は、今更好きですとも言えず、私の青春は終わってしまったのだった。
さて、ここで例の時計の登場だ。
かおりちゃんがその彼に出会う前に私が告白していれば?もしうまくいって付き合うことになっていたなら?
人生変わっていたかもしれない。少なくとも高校時代はハッピーだっただろう。でもそれはその後もうまくいっていたかどうかはわからない。なんだかんだいって結局今の妻と結婚して、娘が産まれて大はしゃぎしている自分がいるような気もする。
妻がかおりちゃんになるということは、娘も違う子になってしまうということだ。その子は、もっと頭が良くて、優しくて、素直な子だったかもしれない。かおりちゃんの子だから、間違っても今の娘のように、何かといえばボケ倒して、宿題もせずにToutubeばかり見ているアホな子ではなかっただろう。
でもこの先何年かして今の娘が生まれてくるとわかっていたら、もうかおりちゃんへの告白も、うきうきデートもなしでいいと思うのだ。
だってそれ以上に、嬉しくて、楽しくて、時にめっちゃ腹も立つけれど、かわいい娘との生活が待っているのだから。
実際過去は変えられない。でも未来はまだ変えられるような気がする。
娘と、家族と、これからも笑っていたいと思う。
時を操る時計なんて、なくてもいいか。
それよりも未来に向けて、まずは蓄えてしまったこのお腹の肉を、なんとかしよう。
それが一番現実的だ。
「1000年先も」
1000年なんて、一瞬だ。
例えばアンドロメダ銀河までの距離は、およそ250万光年。光の速さ、秒速30万kmで移動しても、250万年もかかるのだ。
つまり今、望遠鏡で見ているアンドロメダ銀河は、250万年前の姿ということだ。1000年先も、大して変わっていないと思う。
それよりも、250万年かけて光が地球に届く間に、途中で遮るものが全くなかったということの方が驚きだ。宇宙って、本当に広くて、本当に何もないんだな。
物事を俯瞰して見るということは大切だ。もっと広い視野をもって見てみれば、日常の悩みなんて、大したことないのかもしれない。
いや違う!
体重がたった1年で1.3倍になってしまったのに、大したことないなんて、そんなわけないだろう。
食事制限だ。有酸素運動だ。250万年かかっても、絶対元に戻ってみせる!
私の悩みは、宇宙よりも大きいのだ。
「ブランコ」
誰もが知っている公園の人気者だ。
いや、私はすべり台、ジャングルジムなど並みいる競合を抑えて、公園のトップスターだとさえ思っている
都市公園の場合、その管轄は国交相だ。令和元年で全国に54,000台設置されており、しかもそのうち約半数が、設置後20〜30年以上経過しているものだそうだ。毎年一定数のブランコが、撤去又は修繕されてる。結構対応年数が長いのね。
子供の遊具かといえば、そうでもない。東リベでタケミっちとナオトが握手するのもブランコだ。
公園で待ち合わせをする場合も、何に乗って待つかといえば、ブランコではないだろうか。
また若い女性が一人で乗れば「失恋ですか?」となり、中年男性だったら「リストラですか?」となる。
これがすべり台だったら、こうはいかない。中年男性が一人ですべり台。怪しすぎではないだろうか。絶対声をかけたくないし、すべり台の上から手を振って呼ばれても、完全無視だ。
これは何もすべり台が悪いわけではない。ジャングルジムだってシーソーだって同じことだ。つまりこの哀愁感は、ブランコのみが持つ才能であり、トップスターたる所以はここにあるのだ。
今日も一人でブランコに乗ってみた。気がつくと周りの子供たちが、いなくなっていたのはなぜ?
ブランコの哀愁、恐るべし。