夢と現実の区別がつかなくなっていた。
先月の休みの日、好きな漫画の新刊を買いに行った。別の本も買おうと思ったが、入荷されていなかった。何週間か前、駅で切符を買い間違えた。それについて、最寄り駅の駅員さんと話をしていた。
気がつけば、そんな些細なことが夢の中の記憶であったか、はたまた現実で起きていたことであったか、あやふやになって思い出せないでいた。
5年前、「夢日記」についての記事を読んだ気がする。
夢で見た内容を日記に書き記すことによって、いつか夢と現実の区別がつかなくなる、そんな内容だった。
当時は「何をそんな馬鹿なことを」と思っていたが、今の自分はまるでその兆しを感じているように思える。
いつか、大切なことさえわからなくなってしまったらどうしよう。誰かとした約束、家族と出かけた記憶、友人とのくだらない時間。すべて、夢だと思ってしまうかもしれない。もしそうなってしまえば、自分の存在すら掴めなくなるのだろうか。
漠然とした不安が、自分の胸を締めつけていた。
夢と現実.
ふるえる両手に、かじかむ心。
あがる息を必死に整えている最中、彼の顔が思い浮かんだ。手紙を受けとった彼は、なにか珍しいものでも見たような表情をしていた気がする。それもそうだ。私が手紙を出すなんて、ありえない。そんなことするはずじゃなかったのに。
これで最後なのだと思うと、いてもたってもいられなかった。
返事はいらないから、ただ私の思いの丈をぶつけたい。私がいかに彼を大切に思っていて、尊敬に値する存在であるかを説きたい。ただそれだけの紙きれだった。
どうやったって今日が終わり明日が来るように、すべての日々にも終わりがある。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。気持ちに終わりがないと知っているから、あの日常がもう少しだけ続けばいいのにな、と思う。願っても意味はないけれど、それでも願わずにはいられなかった。
終わらせないで.
目を閉じなくても思い浮かぶ。
蝉が鳴く初夏、日陰から見たアスファルトに溶ける花の影。陽炎が思い出の中の私たちを連れ去ってしまうような気がしたので、淡く手を伸ばせば、そこには紋黄蝶がとまった。
右手に見える畑にはたくさんの向日葵がゆらめいている。
追憶の情景はいつも無人だった。
懐かしく思うこと.
光と光が繋がるように、私たちもまた繋がっている。
それは人々にやさしい輝きをもたらし、
根拠もない幸せの雨をふらせている。
今日の祈りをありどころも知らぬ光に託し、
その名前を運命に例えて生きよう。
それだけで星のように燃えてゆけるから。
星座.
もうどうあがいても無理だ。
そう思う度に、私は神に救われていた。
逃げ場も解決策もなく、いよいよおしまいなんだと限界を悟って震えていたとき、いつも神は助けてくれた。
なぜ自分を助けてくれるのかわからなかった。
これといって良いことはしていないし、自分はいつも死にたがっている不誠実極まりない人間だった。神は私に「生きろ」とでも言っているのだろうか。
(まるで死なないように救ってくれているみたいだ)
そんなことをされたら、きっと何度も奇跡を祈りたくなってしまうというのに。
奇跡をもう一度.