おさしみ泥棒

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2/6/2026, 11:07:21 AM

 さっきから、仏頂面で黙りこくっている。見かねた俺がわざと明るい調子で「いつまでへこんでんだよ」と声をかければ、青木は食い気味に「うるさい」と吐き捨てた。

「自分だけいい気になりやがってクソが」
「別になってないけど」
「いやどっからどう見てもなってんじゃん」

 大層な荒れ具合だ。先程の合コンにて、俺と青木の身長差を見た女の子が放った「なんか時計の長針と短針みたい」という一言が、相当堪えたらしい。そのときは場の空気を壊さないように振る舞っていたが、解散して俺と二人きりになった矢先のこれである。

 小学校からの友人である俺だから知っているが、低身長いじりは青木の中で地雷中の地雷である。例えば高一のとき、青木は身長のことをいじってきたクラスメイトをぶん殴って停学になった。
 小さいけれども中身は凶暴な青木とは反対に、俺は背丈ばかりでかい小心者だ。気弱な性格と無駄に目立ってしまう見てくれが災いして、ガキ大将に絡まれることも多々あった。そのたびに、なぜか俺を庇ってくれるのが青木だった。

 正直、青木が低身長と馬鹿にされるのは、自他ともに認めるノッポである俺と一緒にいるせいもあると思う。今日の一件なんてまさにそうだ。
 俺とセットで身長をいじられるたび、青木はこんなふうに俺に文句を言うけれど、それでもなんだかんだ、俺と一緒にいることをやめようとしない。
 あるとき、一度だけ「俺といるの嫌じゃないの」と尋ねてみたことがある。青木は怪訝な顔で「なんで一緒にいるの嫌な奴とラーメン食いに来てんだよ」と言ってから、替え玉を頼んでいた。それもそうかと思って、それ以来、特に気にすることもなくなった。

「だいたいさ、顔は俺のほうがイケメンだからな。お前は身長高いだけで顔は普通だから」
「はいはい。もうそれでいいです」
「おいその余裕ある感じ腹立つからやめろ」

 キャンキャン吠えるチワワのようだ。口に出したら殴られるから言わないけど。

 青木のいいところが、身長ごときで損なわれるなんてことはないと思う。女の子の目は揃って節穴だ。
 本当に見る目のある女の子が青木の前に現れるまでは、青木の隣は俺の特等席ということになる。それはほんの少しだけ気分がいい。絶対、言えないけど。

【テーマ:時計の針】

2/5/2026, 2:05:39 PM

「好きです」

 ちょうど、ハンバーガーに食らいつこうと大口を開けた瞬間だった。向かいに座った彼が言った四文字を頭の中で処理するのに、丸二十秒かかった。私はちょっと迷った末に、手に持ったハンバーガーをしずしずとトレーの上に置いてから「え?」と聞き返した。

「あなたが好きなので、つき合ってくれませんか」

 岸くんは私の目をまっすぐに見て、はっきりとそう言った。そんな彼の鼻の頭には、バーベキューソースがついている。指摘するべきだろうか。いや、告白をされたそばから「鼻にソースついてますよ」と言うのは、いささか失礼すぎるのではないか。
 というか、どうして今なんだろう。ここはシンデレラのお城の前でも、花火大会の会場でもない。駅ナカのファーストフード店だ。
 私と岸くんは、同じ文芸サークルに所属している。好きな作家が同じだったから、わりとすぐに仲良くなった。
 その作家の作品が映画化されたということで、岸くんは一緒に観に行こうと誘ってくれた。私はもちろん快諾した。
 映画はとても面白かった。感想を語り合いながら映画館を出て、そろそろランチにしようかと入ったハンバーガーチェーン。
 ハンバーガーをひとくち食べて飲み込んでから「それにしてもあのシーンはさ」なんて言おうと思っていた。その矢先に、岸くんがあの四文字を言ったのだ。
 ポテトが揚がったことを告げる軽快なメロディをBGMに、私たちは見つめ合う。岸くんはじっと、私の言葉を待っているようだった。鼻先にソースをつけたまま、神妙な面持ちで。

「えっと……今?」

 私はとりあえず、正直に思ったことを口にした。すると岸くんは「うん、それは俺も思った」とうなずいた。言った本人も、私と同じ気持ちだったらしい。

「本当はもう少しいい感じの場所で、言おうと思ってたんだけど」

 岸くんはちょっと照れくさそうに目を伏せた。

「ハンバーガーを両手で持ってる田川さんを見てたら愛おしくなって」
「…………」
「気づいたら気持ちが溢れてた」

 ハンバーガーを両手で持っている私を見て、岸くんは「愛おしい」と思ったらしい。たしかにハムスターなんかが小さな両手でひまわりの種を食べている姿は愛おしいけれど、私は人間である。「愛おしい」と思う要素は一体どこにあるのだろうか。
 けれども思い返せば、かく言う私も、岸くんに対して愛おしさにも似た感情を抱いたことが何度かあった気がする。
 たとえば、チャックが半開きになっているリュックを気づかずに背負っている後ろ姿。教室で眠たげにあくびをする横顔。お気に入りの本について語るときは、いつもより少しだけ早口になるところ。それから、鼻先にソースをつけたまま大真面目な顔をしている、今この瞬間の彼のことも。
 取るに足らない、ちいさな愛おしさが積み重なり、やがて溢れ出す。恋ってそういうものなのかもしれない。ハンバーガーの匂いに包まれながら、齢十九歳にして、私は春を知ったのだった。

【テーマ:溢れる気持ち】

2/4/2026, 11:24:26 AM

 今日はツイてない。俺は深くため息をついてから、Yシャツの袖をまくった。躊躇っていても仕方がないので、腹をくくってトイレブラシを手に取る。
 まず「床のモップがけと便器掃除、それぞれどちらが担当するか」をじゃんけんで決めることになった。その結果、俺はパーを出し、佐倉はチョキを出した。ただでさえ、トイレの掃除当番というだけで憂鬱なのに、俺は便器磨き担当になってしまった。
 モップ担当の佐倉が、さっきから上機嫌に口笛を吹いているのが腹立たしい。けれども俺がパーを出した事実は変えられないので、俺は黙って便器をこする他なかった。
 と、ふいにムカつく口笛がやんだ。と思ったら佐倉は「そういえばさあ」と切り出した。

「尾上ってさ、アレしたことあるの?」
「アレってなに?」
「だからアレだよアレ。人間と人間がさ、口と口をこう、合わせるやつ」
「……え、キスのこと?」
「そう。Kissのこと」
「なんだよそのキモい言い方」

 便器を磨く手を止めて「何急に?」と聞けば「いいから答えろよ。あるの、ないの」と返ってくる。いったい何なんだ、藪から棒に。

「いやまあ、ないけど」
「あーやっぱりね」
「やっぱりってなんだよ失礼だな」
「予想どおりって感じ」
「てかお前はどうなの。したことあんの?」
「……ま、ね。ないけど、俺も」
「ねえのかよ。何なんだよお前」

 まじで何なんだ。キスをしたことがないことを、互いに発表し合っただけの時間。

「いやさ、どんな感じなんかなぁと思って」
「……何が?」
「Kissが」
「だからやめろってその言い方」
「なんか一説によると、キスの感触ってマシュマロに似てるらしい」

 思春期か。いやまあ、17歳は思春期か。
 とにかく真面目に聞く価値はないと判断して、俺はトイレ掃除を再開する。

「俺たちってさ、やっぱキスの感覚も知らないまま死んでいくのかな?」
「おい『俺たち』ってなんだよ。一緒にすんな」
「いや一緒だろ。俺ら目くそ鼻くそだよ」

 カチンときて、俺は手に持ったブラシをスイングした。飛び散った水に、佐倉は「ぎゃあ」と悲鳴を上げて飛び退いた。

「お前っ……やっていいことと悪いことがあんだろ!」
「お前が先に喧嘩売ってきたんだろうが」
「ああ!?」

 佐倉はモップを放り出して、俺に掴みかかろうとしてきた。すかさず応戦しようと一歩踏み出した瞬間、うっかり濡れたところを踏んでしまって、ずるりと足が滑った。勢い余って、佐倉を巻き込んで倒れ込む。

「…………」
「…………」

 下敷きにした佐倉と目が合う。佐倉は、呆然とした顔で俺を見ていた。しばらく見つめ合ってから、佐倉は「尾上」と口を開いた。

「俺らさ、やっぱ一生Kissできないよ」
「……そうだな」

 俺は素直に認めた。トイレで取っ組みあった挙句に、二人揃って床にすっ転んでいる奴らに、そんな甘酸っぱい青春がもたらされるはずがない。そう思ったらなんだかどうでもよくなって、さっきまでの怒りが嘘のように、心が凪いできた。

「なんかごめん、佐倉」
「……いや、俺の方こそ言い過ぎた。ごめん」

 タイルに倒れたまま、俺たちは謝罪し合った。そして、どちらからともなく笑った。
 その日、俺たちはたしかに、本当の親友になったのであった。

【テーマ:Kiss】

2/4/2026, 9:26:55 AM

「いつまでも焼肉を腹いっぱい食える俺でありたい」

 隣を歩いていた山野は、突如として切実な願望を吐露した。俺はそれ以外の言葉も特に思いつかず「あ、そう」と返した。ミント味のガムを噛みながら、こいつまた何か言い出したぞ、と思う。

「でも生きてたらさ、いつかは終わりが来るよな。カルビなんてすぐ食えなくなっちゃうんだよ俺たち」

 そう語る山野の声音には、悲壮感が滲んでいる。
 たしかに、今でこそ俺たちは若い。ピチピチの20歳であるので、胃も強い。今日だって、食べ放題でばっちり元を取ってきた。
 けれども歳を重ねるにつれて、俺たちはだんだんとカルビから遠のいていき、たぶん最果てにはぬか漬けとかに行き着くのだろう。
 夜道を歩きながら、俺は「それもまた人生なんじゃない」と言った。明滅する街灯の横を通り過ぎる。

「それでも俺は、10年先も100年先も1000年先も、ずっと焼肉を食い続けたい」

 山野は言った。それなら勝手にすればいい。元気なおじいちゃんを目指してくれ。1000年も経ったら、さすがに飽きてしまう気もするけど。

「1000年後の焼肉屋ってどんな感じかな」
「全自動肉焼きロボットが肉焼いてくれる」
「技術進歩してるなぁ」
「もしくはゼリー状の肉もどきが出てくる」
「ディストピアになってるじゃん」

 妙な方向に話が転がっていく。例えば、こいつとこんなふうに意味のない会話をして、いたずらに時間を溶かす夜は、あと何年続くのだろうか。そんなことをふと思った。

【テーマ:1000年先も】

2/2/2026, 12:03:01 PM

 店先に、やけに目を引く花があった。かといって、別に見目が派手なわけではない。むしろそれは、人目を忍ぶように、ひっそりと花を咲かせていた。

「かわいいでしょう、そのお花」

 しゃがみこんでじっと見ていたら、声が降ってきた。顔を上げると、人の良さそうな微笑を浮かべた、初老の店主が立っている。
 勿忘草っていうんですよ──店主は、花の名前を教えてくれた。ワスレナグサ。名前を聞いたことはあるけれど、実物を見たことはなかった。雨催いの色をした小さな花びらを眺めていると、どういうわけか、うら寂しい気持ちが込み上げてくる。

「わたしを忘れないで、って」

 そんな花言葉が有名ですね。店主はのんびりとした声音で、そう言った。
 甚く健気な言葉だと思った。だれにも気づかれず、ただ秘めやかに咲くちいさな命の、切なる願いに思いを馳せる。するとふいに、あのひとの言葉が脳裏を過ぎった。

 震える俺の手を、その白い手は、やさしく握り返した。馬鹿みたいに泣きじゃくる俺を見て、ちょっと困ったように笑った。それから俺の名前を呼んで、あのひとは言ったのだ。どうか忘れてください、と。
 そんなのいやだと俺が言ったら、あのひとは「きみはやさしいなあ」なんて言った。そうして、俺の頭にそっと手を置いて、寂しげに笑ってみせたのだった。

「やさしいきみには泣いてほしくないな」

 そう言うあのひとこそ、最期までどうしようもないくらい、やさしいひとだった。
 あのとき、あのひとは、忘れてくれと言ったのだ。けれども、きっと、本当は。

 俺は花鉢を抱えて、店をあとにした。
 いまだにあなたの夢を見ると言ったら、あのひとは怒るだろうか。それとも、ちょっと困ったように眉を下げて、笑ってくれるだろうか。

【テーマ:勿忘草】

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