「なんか今日、星多くね?」
助手席の男は、窓にほっぺたをくっつけながら言った。「お前も見ろよ」と言われて、フロントガラス越しの空を一瞥する。「今日星多くね」と言われても、俺には夜空の星を数える習慣がないので、いまいちピンとこない。
「なあ、あれってかみのけ座かな?」
男は空のどこかを指さして言った。俺は眠気覚ましのガムを噛みながら「わからん」と答えた。視界を共有してるわけじゃないんだから、"あれ"と言われてもわからない。星座を探そうと思って、いちばんに"かみのけ座"をチョイスするのも不気味である。そんな星座があることを、いま初めて知った。
「12星座って何を基準に選ばれてんのか知らんけど、かみのけ座が含まれてなくて良かったよな」
「なんで?」
「だってほら、プロフ帳の星座の欄に"かみのけ座"って書くの、なんか嫌だろ」
「プロフ帳って、お前は女児か」
成人男性の口から"プロフ帳"という言葉が出てくることなんてあるのか。
「やっぱさ、プロフ帳に書くならカッコいいのがよくね? 射手座とか天秤座とかさ」
「センスは中学2年生だな」
「てかお前って何座だっけ?」
「…………」
唐突に訊かれて、俺は口を噤んだ。このまま無視して運転に集中しようかと思ったが、横から「ねえ何座?」「なんで無視すんの?」「ねえねえねえ」などと、あまりにもうるさい。俺は観念した。
「…………乙女座」
正面を見つめたままなるべく堂々と答えたつもりだったが、それがなんか逆にダサかったかもしれない。隣の男は半笑いで「えっ」と言った。
「乙女座? お前乙女座なの?」
「そうだけど」
「そんなイカつい顔してるくせに?」
「星座に顔は関係ない!」
俺がそう言い放つと、男はいっそうおかしそうに声を震わせた。
「いやまあ、そうだけど。全然いいんだけど」
「……お前な、なんか人のこと馬鹿にして楽しそうだけど。そっちは何座なんだよ」
「俺? 蠍座だけど?」
男は勝ち誇ったように言った。無性に腹が立ったので、俺は「なんか蠍って足多くてキモいよな」と言って反撃に出た。
「は? 蠍カッコいいだろ」
「全然カッコよくない。毒あるし」
「毒あるのがカッコいいんだろ!」
星空の下で車を走らせながら、俺たちはおよそ成人男性とは思えない喧嘩を、小一時間繰り広げ続けたのであった。
【テーマ:星空の下で】
最近の悩み。斜め後ろの席の加藤が、めちゃくちゃ俺を凝視してくること。
授業中はもちろん、合間の休憩時間に友達と駄弁っているときも、昼休みに飯を食っているときも。教室にいる間はずっと、後頭部への視線を感じる。
気のせいではない。振り向くと、加藤と必ず目が合うのだ。かと思えば、加藤は即座に視線を逸らす。
加藤とは同じクラスだが、あまり喋ったことはないし、誰かと親しく喋っている場面も見たことがない。無口だし、表情も乏しいので、何を考えているのかよくわからない。クラス内では浮いていて、いつも一人でぽつんと席に座っている。
そんな加藤が、なぜ俺をじっと見つめてくるのか。シャワーを浴びながら考えた末に、俺は一つの可能性に思い至った。──加藤、俺のこと好き説。
だって、あんなにも熱烈な視線を向けてくるのだ。なぜかって、そんなの「俺のことが好きだから」以外の理由があるか。
けれども、俺には既に好きな人がいる。2組の宮村さんだ。心苦しいが、加藤の気持ちに応えてやることはできない。俺は鏡にうつる自分を睨んだ。俺ってば罪な男だ。あまりにもイケメンなばかりに……。
とにかく、明日加藤にハッキリ言おう。俺が好きなのは宮村さんなのだと。シャンプーを泡立てながら、俺は固く決意したのだった。
翌日、体育館の裏にて。
「というわけで、加藤の気持ちには応えられない」
ごめん、と言って、俺は頭を下げた。
加藤は何も言わずに黙っていたが、やがて「なんの話?」と言った。顔を上げると、目の前に立った加藤は不思議そうに首を傾げている。
「俺の気持ちって?」
「え、だからその、加藤は俺のこと好きなんだろ?」
俺が言うと、加藤はますます怪訝な顔をした。しだいに俺の胸の内に不安がよぎり始める。あれ、これってもしかして。
「加藤ってさ、なんかいつも俺のことすげー見てくるじゃん。だからもしかして俺のこと好きなんかなーとか、思ったん……だけど」
俺の言葉を聞いた加藤は、ばつが悪そうに頭を掻いた。これはもしかしなくても、俺の勘違い。頬がじわじわ熱くなり始める。
「……俺としてはそんなつもりなかった。勘違いさせちゃってごめん」
加藤は言った。勘違いだとハッキリ告げられて、俺は撃沈した。なぜか俺のほうが振られた感じになっている。生き恥晒し真っ只中の俺は、消え入るような声で「そっか」と言った。
「でも、じゃあなんで俺のこと見てたの……?」
まさか、これも勘違いなのか。もしも加藤が見てたのが俺ではなく、俺の後頭部にとまったハエかなんかだったとしたら。などと考える俺をよそに、加藤は「ああ、それは」と言った。
「実験してたんだ」
「……実験?」
「『穴があくほど見る』って言うだろ? ずっと見つめ続けたら、本当に穴があくのかなと思って」
「…………」
加藤はヤバい奴だった。そして俺は知らない間に、実験台にされていたようだ。
【テーマ:見つめられると】
「あっ、ネコ」
染谷はそう言って足を止めた。つられて視線の先を見れば、塀の上でぶち猫が尻尾を揺らしている。
首輪をしていないが、野良だろうか。まるまると太っているし、毛並みもいいから、たぶんこのあたりに住んでいる人たちに可愛がられているのだろう。染谷が手を伸ばしても逃げない。顎の下を撫でられて、気持ちよさそうに目を細めている。
こちらを振り向いて「お前も撫でろよ」と言う染谷に「俺はいい」と首を横に振った。
「制服に毛がつく」
「えー。こんなにかわいいのに」
染谷はそう言うが、このふてぶてしい豆大福みたいなフォルムの猫をかわいいとは思えない。そもそも、俺は生粋の犬派である。
デブ猫を撫でくりまわしている染谷を白々と眺めながら、例えば、と思う。もしも俺が四足歩行で、三角の耳が生えていて、ニャーと鳴く生き物だったなら。その手で頭を撫でてもらえるのだろうか。
あまりに馬鹿馬鹿しいないものねだりだ。自分で自分に呆れて、俺は小さく笑った。塀の上の猫は退屈そうに、大きなあくびをした。
【テーマ:ないものねだり】
「おい深山、大丈夫か」
俺はローテーブルに突っ伏している深山の傍にしゃがみ込み、軽く肩をたたいた。返事はなく、深山は顔を伏せたまま動かない。
俺は小さく息をついて、買ってきた薬の箱とミネラルウォーターをテーブルに置いて「これ買ってきたから」と言った。すると深山はようやく、のそりと顔を上げた。それからだるそうにこめかみを押さえながら、かすれた声で「あけて」と言う。
「え?」
「フタ」
早くしろという目で睨まれる。召使いじゃねえんだぞとでも言いたくなるが、仕方ない。俺はペットボトルを手にとって、フタを開けてやってから手渡した。
深山はお礼も言わずにそれを受け取ると、手のひらに出した2錠の錠剤を口に含み、水で流し込んだ。そのあいだ、俺は波打つ喉仏をなんとなく眺めていた。
半分くらいまで飲むと、深山は無言で俺にペットボトルを差し出した。「もういらないからフタ締めろ」の意だろう。はいはい、と心の中で肩を竦めながらフタを締める。
「水、冷蔵庫いれとく?」と訊けば、深山は力なく首を横に振った。「ここに置きっぱでいい」と言うので、俺は言われたとおりにペットボトルをテーブルに置いた。
深山とは大学で知り合った。授業が被ってなんとなく喋るようになったところから、今はちょくちょく互いの家に行き来するくらいの仲までになった。
深山と付き合う中で知ったのは、こいつは片頭痛持ちだということだ。雨の日は決まってだるそうにしているし、顔色が悪い。ご機嫌もナナメである。
ひどいときは、大学やバイトを休むこともある。そしてそういう場合はたいてい、俺に雑な呼び出しがかかる。ちなみに今日は『頭痛薬切らしたから買ってきて。あと水』というメッセージ。
残り少なくなった時点で買っとけよなと思うが、芯からだらしない男に言い聞かせてもきっと無駄だ。恐らくこいつは「ま、あいつに頼めばなんとかなるし」とか思っている。
実際、なんだかんだでこいつのことを放っておけない俺は、ため息をつきながらも言うことを聞いてしまう。甘やかしている自覚はある。
というのも、深山の「呼び出し」は、単なるパシリというわけでもなさそうなのだ。以前、買ったものを届けてさっさと帰ろうとしたとき、深山は俺の襟首をひっつかんで引き戻してきた。
ぐえっとなりながら「何?」と訊けば、しんどそうな顔で「帰るな」と言う。なんで、と訊いたら、深山は目を伏せた。それから少し間を置いて、ぽつりと言ったのだ。
「一人でいたくない」
「……なんで?」
「雨が降ってるから」
雨の日に一人でいたくない理由が何なのかは知らないが、俺はそのときの深山の顔がどうしてか忘れられない。つめたい雨の中でひとり震える、小さな子どものような顔だった。体調不良のせいで心細くなるというのはよく聞くけれど、深山の場合、なんとなくそれだけではないような気がする。
だから雨の日はこうして、隣にいてやることにしている。窓に吹きつける雨風の音を聞きながら、何をするでもなく。
つけっぱなしのテレビは、夕方のニュースを垂れ流している。明日の天気は、ところにより雨。お天気お姉さんはそう告げた。
【テーマ:ところにより雨】
「パーソナルスペースって知ってるか」
俺の質問に、榎本は首を傾げて「パーソナルスペース?」とオウム返しした。俺はため息をついてから、「あのな、榎本」となるべく優しい声音で言った。
「人には、それ以上他人に近づかれると不快になる距離ってのがあるんだ。それがパーソナルスペース」
「へえ。住野は難しい言葉知ってんだなぁ」
「…………」
難しいも何も常識だと思うが、生憎こいつに常識は通じない。現に俺の質問の意図をまったく理解していない。もうオブラートに包むのはやめて、ストレートに言うことにした。
「つまりお前は近すぎて気持ち悪い」
「えっ」
「距離感がバグってる自覚を持て」
榎本は目を丸くして俺を見ている。その様子だと本当に自覚がないのだろう。
並んで歩くと腕がぶつかる。やたらと肩に手を回してくる。もし大して仲良くもない奴相手にこんな距離感でいたら、何だコイツと思われるに違いない。
それに、例えば相手が、榎本に好意を抱いている女子だったとする。榎本にそのつもりがなくても、その距離の近さは思わせぶりになる。勘違いさせてしまったら、その女子が可哀想だ。
「俺相手なら別にいいけどさ、気をつけろよ」
俺は友人が女泣かせのクズ男にならないよう、榎本のためを思って注意した。決して榎本がモテるのが悔しいからではない。
けれども当の本人は、俺の指摘にあまりピンときていないみたいだった。なんだか腑に落ちない様子で「うーん」とか言っている。
「まあ俺、住野以外には触りたいと思わないし、大丈夫だと思う」
榎本は平然と言った。想定外の答えが返ってきて、俺は思わず固まった。
「ん? 今なんて?」
「住野以外には触りたいと思わないから大丈夫」
「……俺には触りたいと思うの?」
「触りたいっていうか、近いと安心する」
「なんで?」
「…………特別な存在だから?」
ちょっと考えてから、榎本は真顔で答えた。天然ボケの友人は、たまにこんな爆弾発言をする。本人はなんの他意もなく言っているから恐ろしい。
なんだよ、特別な存在って。それはそれで誤解を生むような気がするが。不覚にもほんの少しときめいてしまったことを悟られないよう、俺は「あっそう」と素っ気なく答えた。
【テーマ:特別な存在】