おさしみ泥棒

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⚠︎ちょっと長め⚠︎

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「あの、すみません」

 ふいに頭上から声が降ってきた。顔を上げれば、見覚えのある青年が、こちらを見下ろしている。

 基本的に彼とは、週に一回のペースで顔を合わせている。けれども、名前は知らない。なぜなら、そのコンビニで働く店員の名札には、名前が書かれていないからだ。いわゆるカスハラ防止のためなのか、"スタッフ"とだけ表記されている。
 ちなみに俺は、心の中で彼を勝手に「ねむい君」と呼んでいる。いつも眠そうな目をしているから。

 今日も変わらず、ねむい君は眠たげだ。いつもと違う点といえば、ねむい君の着ている服がコンビニの制服ではなく、ラフなパーカーであること。それから、ここが夜のコンビニではなく、夜の公園であること。
 コンビニ以外の空間でねむい君と会うのは初めてだった。ついでに、ねむい君の口から「いらっしゃいませ」「袋いりますか」「〇円になります」「ありがとうございました」以外の言葉を聞いたのも初めてだ。

 俺は毎週金曜日は必ず、仕事帰りにコンビニに寄ると決めている。そうして、自分へのささやかなご褒美として、チョコ味のアイスを買うのだ。それを食べながら駅まで歩くのが、俺のルーティンである。
 俺の「いつもの金曜日の夜」を構成するもののうちの一つが、ねむい君。俺がアイスを買いにコンビニに寄れば、レジに立っているのはだいたい彼だった。

 けれども先週から、そうじゃなくなった。先週の金曜日、いつものように自動ドアを通り抜け、なにとはなしにレジのほうに目を向ければ、なんとそこには、金髪のギャルが立っているではないか。
 俺の金曜日から、突如としてねむい君が消えたのだ。代わりにギャルが現れた。

 どうやら、ねむい君はバイトをやめたらしい。見たところ大学生くらいの年代だから、課題やら就活やらが忙しいのかもしれない。
 俺とねむい君は、会計のやりとり以外の会話をしたことがない。ねむい君のほうが俺を認知しているかどうかもわからない。だからべつに、いなくなって寂しいとか、そんな感情は特にない。
 ただ、違和感はある。一夜にして、黒髪のけだるげな青年が、ウニみたいな睫毛をした金髪ギャルになったから。

 慣れないなと思いながら、今日もアイスを買った。元気な「ありがとうございましたー」を背中に浴びつつ、コンビニを出た。そしてふと、足を止めた。やわらかな夜風が頬を撫でて、なんだか春の兆しを感じたのだ。このまま電車に乗って、ひとり暮らしの寂しいアパートにまっすぐ帰るのが惜しくなった。
 ほのかな心の浮つきに身を任せて、俺はちょうど目に入った公園に入った。片隅の小さな木を見上げると、街灯の光に照らされて、枝の先で淡いピンクが小さく咲いているのが見えた。俺は近くのベンチに腰を下ろして、アイスの袋を開けた。声をかけられたのはその瞬間だった。

 彼の顔を見て、俺は思わず「ねむい君」と言ってしまった。ねむい君が不思議そうに目を瞬いたのを見て、俺はハッと口元を押さえた。

「あ、いや、今のは……」
「ネムイクンって俺のことすか」
「いやその、いつも眠そうだから……」

 目を泳がせながらも答えると、ねむい君は「ああ、よく言われます」と言った。気を悪くしている様子はなく、ひとまず安心する。

「すみません、なんか、変なあだ名」
「大丈夫です。俺もあんたのこと、チョコアイスソムリエって呼んでたんで」
「ええ!? そ、そうなの?」

 彼がこちらを認識していたことも意外だったが、まさか知らないうちにソムリエにされていたとは。

「あの、君は……」
「ねむい君でいいですよ」
「……ねむい君は、バイトやめたの?」

 この際だから訊いてみたら、ねむい君は「はい」とうなずいた。やっぱりやめたのか。

「でも心残りがあって」
「心残り?」
「はい。ソムリエさんにずっと言いたかったことがあるんです」
「えっ、俺に?」
「やめる前に言おうと思ったんですけど、結局言えなくて……だけどやっぱり言いたかったから、今日、バイトやめたのに来ちゃったんです」
「お……俺に何かを伝えるために?」
「はい」

 ねむい君はふたたびうなずく。そこまでして俺に言いたかったことって、いったい何なんだ。なんだか怖くなってきた。

「な……何を伝えようと……?」
「ソムリエさん」

 ねむい君はがしりと俺の肩を掴んだ。ぐいっと近づいた顔が端正だったから、思わずちょっとだけドキッとした。

「このチョコアイスの、ホワイトチョコバージョンって食べたことあります?」

 俺の目をまっすぐに見つめ、真剣なトーンで、ねむい君は俺にそう尋ねた。

「え……? 」
「ありますか?」
「え、いや、な……ない、けど」

 狼狽えながら答えると、ねむい君はちょっと目を伏せて「そうですか」と言った。

「そ、それが何か?」
「……俺、そのホワイトチョコ味が、この世で一番好きなんです」
「そうなんだ……」
「もうほんと、美味すぎて、初めて食ったとき涙出ました。今はこのアイス作ってる会社に就職したいと思ってて」
「そ、そうなの」
「ホワイトチョコ味の美味さ、ソムリエさんは知ってるのかなって、ずっと思ってて」

 たしかにこのアイスは美味い。ねむい君ほどまではいかないけれど、俺も毎週欠かさず買って食べるくらいには、このアイスの虜になっている。
 俺は小さい頃から、気に入ったものだけを飽きるまで繰り返し食べるタイプの人間なので、ミルクチョコレート味の隣のホワイトチョコレート味はまったく眼中になかった。
 それを彼は、ずっともどかしい気持ちで見ていたのだろう。このおっさんは、ホワイトチョコ味の美味さを知らないのかもしれない。知らずに人生を終えるなんてもったいない。教えてあげたい。
 そんな思いで、バイトをやめたにもかかわらず、彼は俺に伝えに来てくれたのだ。俺はそのことに感動して、泣きそうになってしまった。毎朝満員電車に揺られ、上司には理不尽に怒鳴られ、部下には舐め腐られる。そんな灰色の日々の中で、ねむい君の奇妙な情熱とやさしさが、やけに胸に染みた。

 そういえば俺は、これに似た感覚を知っている。まだ入社して間もない頃にミスをして、ひどく落ち込んでいたときだ。なんとなく立ち寄ったコンビニで、チョコアイスを買ってみた。くちどけのよいやさしい甘さがじんわりと染み入って、俺は夜道で少し泣いた。

 俺はどうもおかしなノスタルジーとセンチメンタルによってうっすら滲んできた涙をこっそり拭って、笑ってみせた。

「ねむい君、ありがとう。たまにはホワイトチョコ味も食べることにするよ」
「ほんとですか」
「ああ。ソムリエを名乗るからにはね」

 俺がそう言うと、ねむい君は嬉しそうに笑った。笑うとけっこう可愛いんだなと、ぼんやり思った。

【テーマ(?):たまには】

3/5/2026, 1:55:00 PM