《まだ知らない君》
「……なあ明里、前々から思っていたんだが……、お前、俺に、俺や夏実や春輝や紅野に、何かすごく重大な隠し事をしていないか?」
その問いは、あまりに唐突で、私、熊山明里は目を瞬いた。
だって今はいつもの下校中。たまたま見つけた蒼戒を捕まえて、いつものように私がほぼ一方的に喋りながら歩いてただけだったのに。
「そんなわけ、ないでしょ」
私はなんとか平静を装い、そう答える。
ぶっちゃけ言うと、蒼戒の言っていることは間違いではない。
私は怪盗ブレインだ。今、世間を賑わす大怪盗。まさか、このことがバレている……?
「……そう、だよな。悪い、変なこと聞いた」
だが、意外なほど蒼戒は追求してこない。
「別にいいわ。気にしてないから」
「ならいいが」
「それにね、女の子にはひとつやふたつ、秘密があるものよ」
「……まあ誰にでも言えないことはあるものだし、無理に聞こうとは思わないが、なんとなく、お前が隠してることはとんでもないことのような気がする」
やっぱ私蒼戒に正体バレてんじゃないかな……。蒼戒ってかなり勘が鋭いし。
「気のせいよ。第一、隠し事してたのは、あなたの方でしょ?」
「……なんのことだか」
「しらばっくれてんじゃないわよ。私あんたの過去話、サイトウから聞いてようやく知ったんだけど?」
「ああ、そのことか。別に話す必要もないかと……」
「あんたねぇ……、知らなかったら何にもできないじゃない」
もっと早く私と出会う前の蒼戒の話を聞いていれば、力になれたことも多いだろうに。
「別に、何もしてくれなくていいんだが。ちなみにどこまで聞いたんだ?」
「え? サイトウの口から言えることは全部聞いたわよ。お姉さんがいたこと、そのお姉さんが死んでからのこと、あと私がそのお姉さんに似てること」
私は指折りしながら答える。
「ったくあいつ……、何勝手に話してるんだか……」
「ちなみに私の推理ではあんたまだ隠してることあるでしょ?」
「さあ、なんのことだか」
やはりしらばっくれる気満々で蒼戒が言う。
「まあいいわ。私も無理に聞くつもりはないし」
誰にでも、言えないこと、言いたくないことはある。それを無理に聞こうとは思わない。私だって、怪盗ブレインである、なんて言えないしね。
この世のどこかに、まだ知らない君がいる。この世のどこかに、まだ知られていない私がいる。
そんな君を、いつか知る日は来るのかな。そんな私を、蒼戒が知る日は、来るのかな。
まあでもそれは、今じゃない。
(おわり)
2025.1.30《まだ知らない君》
《日陰》
※完全に季節外れな話です
「いやー、やっぱ真夏のこの時間に歩くべきじゃないわー。確実に熱中症になって死ぬわねー」
高二、8月上旬のある日の正午頃。私、熊山明里(くまやま あかり)がここ、並木町のシンボルの桜並木を歩いていると、並木の真ん中くらいの大きな桜の木の下にできた小さな日陰で涼んでいる人物を見つけた(正午頃だから、太陽が真上にあってどうしても影が小さくなるのだ)。
「あれ、そこにいるのは蒼戒じゃない。どしたのー? こんな時間にこんなところで」
桜の木の下にいたのは私のクラスメイトで幼馴染の齋藤蒼戒(さいとう あおい)。高身長だし整った顔立ちをしてるし結構なイケメンだが、この涼しげな男に夏は似合わない。
「……ああ、明里か。その台詞、そっくりそのままお前に返す」
「私は部活帰り。暑すぎて熱中症対策で中止になっちゃって。何もこの暑い中帰らせなくてもいいのにさー」
それこそ熱中症になっちゃうってのに。
「そりゃご愁傷様」
「ところであんたは?」
私は蒼戒と同じ桜の木の下の日陰に入る。はー、ちょっとは涼しい。
「大体お前と同じだな。道場で俺と須堂先輩と沖原と師範の4人で剣道してたんだが、どうにも暑いということでお開きになった」
蒼戒のいう道場は、並木の外れにある格闘技の道場で、ありとあらゆる格闘技を極めた師範が経営している。主に剣道と空手を教えていて、希望すればなんでも教えてくれる。そこで私は空手を、蒼戒となつは剣道を習っていた。
ちなみに須堂先輩は梅ヶ丘高校剣道部の歴代最強(男子含む)の女主将で、沖原(先輩)は私たちのひとつ年上で次の主将候補だ。
「最近ホント暑いもんねー。……ってそうじゃなくて! 私が聞きたいのはなんで並木のど真ん中で休憩してるのか、よ! まさか熱中症⁈」
よくよく考えてみたらこんなところに蒼戒がいるなんてただごとじゃない! なんかすごい心配になってきた!
「そう騒ぐな。少し暑かったから軽く休むことにしただけだ」
「嘘つけ! あんたが休もうとする時って相当ヤバいって相場は決まってるの!」
「どんな相場だ」
「経験則よ。ちょっと顔見せてみなさい」
私は蒼戒の正面に回って無理矢理私の方を向かせる。……やっぱり。いつもは青白いくらいの顔が、今は赤い。
「ったくあんたって人は! 水買ってきてあげるからちょっと待ってなさい!」
ギリギリまで休まない、というか倒れるまで休むという発想がないのがこの男。こいつが休んでる時点で早く気付くべきだった……!
というわけで私はダッシュで近くの自販機で冷たいミネラルウォータを買い、また走って蒼戒の元へ戻る。
「ほら蒼戒、水! 大ごとになる前に飲みなさい! どーせあんたのことだから朝からろくに水分とってないでしょ?」
「よくわかったな。あ、いや師範に水を一杯飲まされたような……?」
「どっちでもいいから早く飲め! この暑いのに帽子も被らず水筒も持たず長袖長ズボンでいればそりゃ熱中症にもなるわ! サイトウは何やってるのかしら?」
こういうことに気を使うのは、蒼戒の双子の兄のサイトウこと齋藤春輝(さいとう はるき)の役目のはずなのに。
「わかったわかった」
私が強く言い続けると、蒼戒は観念したように水を受け取る。カチリとペットボトルのキャップを開けて、一口。それから砂漠で水を得た人のように飲み始めたから、私は安心してホッと息をつく。口の端からこぼれた水が、首を伝って溢れていく。こうしてみると、やっぱりちゃんと男の子なんだな……蒼戒。……ってこの期に及んで何考えてんだろ私!
「まったくあんたって人は……。水分塩分はちゃんと摂りなさいってあれほどいろんな人に言われてるのに」
「ふー……、やっぱりこの時期は水分補給しないと駄目だな。ありがとう明里」
「別に気にしなくていいわ。というかこうなる前に自分で水飲め!」
「正直言ってこういうことには執着ないから無理だろうな。そういう思考にならない」
「あんたはもうちょっと自分の体を大切にしなさい。……あら、もう動いて平気なの?」
さて行くか、と立ち上がった蒼戒に私は言う。
「問題ない。……心配かけたな」
「だからそう思ってるなら自分で水飲め。あとあんたの家まで送るわ。途中で倒れられても困るし」
「いや大丈夫だから……」
「この私に心配かけたのはどこの誰かしらねー? あとサイトウに一言物申してやる」
「物申すなら俺だけに。春輝は関係ないだろう」
「大アリよ。そもそもサイトウがちゃんと水持たせてればこんなことにはならなかったのに……!」
「……まあいいか。でも途中まででいい」
「ダーメ! あんたを無事に家に送り届けるまで私帰らないわよ!」
というわけで私は無理矢理蒼戒を家まで送り届け、サイトウに一言文句を言う。
最近の夏はマジで暑いから、皆さん熱中症にはお気をつけて。ヘタしたら死ぬわよ。
(おわり)
2025.1.30《日陰》
《帽子かぶって》
「あれ蒼戒ー、帽子かぶってこんな朝早くからどこ行くのー?」
高一の夏休みのとある日の朝7時半過ぎ。俺、齋藤春輝が朝ごはんのトーストを食べていたところ、双子の弟、蒼戒が出かけようとしていたので声をかける。
「道場。須堂先輩から自主練に誘われるんだ。というかもうそんなに早くないぞ?」
須堂先輩とは蒼戒や紅野、夏実が所属するうちの高校の剣道部の男子込みで歴代最強と謳われる現女主将だ。男勝りでさっぱりした性格だがとても強く、俺は時折女であることを忘れそうになる。
「いや早いって。まだ7時半だぞ? つーか珍しく学校じゃなくて道場でやるんだな」
道場、ということは並木の近くのありとあらゆる格闘技を極めた師範がいるとこでやるんだな。
「学校の格技室は今日空手部が使うんだと」
「ふーん。ところでなんで帽子? つーかそれ俺のじゃねーか!」
なんか見覚えがあると思ったら!
「ああこれか。そこにあったから借りた。この前昼過ぎからの練習に帽子を被らず行ったら『この暑いのに外出歩く時帽子がなかったら死ぬぞ⁈』と言われてな」
「まあ連日猛暑日越えを叩き出しとるし熱中症になって死ぬわな」
「というわけでこれ借りてくぞ」
「いやいやいやちょーっと待て!」
蒼戒が被ってるのはオレンジ色の帽子。蒼戒は元々帽子が似合わねーが、オレンジはゼッテーアウトだ。さすがに似合わなすぎる。
「お前これじゃなくてこっち使え。多分こっちの方が似合う」
俺はダッシュで自分の部屋に行って、別の帽子を持って来て蒼戒に渡す。
「……そうか?」
「そうそう。オメーがファッションに興味ねーのは知ってっけどさすがにオレンジはない」
俺が今持って来たのは真っ黒でワンポイントだけ白の刺繍が入った帽子。多分こっちの方が似合う。
「いや直射日光が防げればなんでもいいんだが……」
「だったらこっち使えよ。つーかこれお前にやる」
「わかったわかった。とりあえず行ってくる」
蒼戒はそう言って帽子を被り、防具や竹刀などの荷物を持つ。
うん、やっぱ俺の予想通り黒の方が似合ってる。
「いってらー。ちなみに俺も今日部活ー」
「了解。俺は夕方には戻ると思うがお前は?」
「今日は一日部活だから俺も夕方かな」
「わかった。帰ってきたら買い出しに行くか。夕飯の材料が何もない」
「りょうかーい。んじゃ、いってらっしゃい」
「行ってくる」
短いやり取りをして蒼戒が出かける。俺は玄関まで行って、蒼戒を見送る。
蒼戒を見送ったあとは、食べかけだったトーストを食べ切って、俺も部活へ行く。
そうだ、俺はさっき蒼戒がかぶって行きかけたオレンジの帽子をかぶって出かけよう。そうしよう。
(おわり)
2025.1.28《帽子かぶって》
《小さな勇気》
「もー、お母さんどこ行っちゃったのー……?」
ある秋の日、あたし、中川夏実がこの町のシンボル、桜並木を歩いていると、小学生くらいの男の子がいた。
「迷子、かな」
声をかけるか迷うこと約数秒。あたしは少しだけ勇気を出して男の子に声をかけることにする。
「どうしたの、ボク。迷子?」
男の子と目線が同じになるようにしゃがんで、なるべく怖がらせないようにあたしは言う。
「……うん、迷子……。お母さんが」
「お母さんが?!」
思いもしない言葉にあたしは目を見開く。
「ぼくのお母さん、すっごい方向オンチなんだ」
「そ、そっかあ……。ボク、お名前は?」
「そうま」
「そうまくん、ね。もしかしてそうまくんはキャッチボールをしようとしてたの?」
あたしはそうまくんが持っている野球のボールとグローブを見て言う。
「うん……」
「そっかそっかー」
待てよ、確かこの辺りの空き地でさっきハルと紅野くんがキャッチボールしていたような。よし、あの2人に相手してもらおう。
「ねぇそうまくん。あたし、一緒にキャッチボールしてくれそうなお兄さん知ってるんだけど一緒にやる?」
「い、いいの?!」
そうまくんの顔がパッと明るくなる。
「うん。ま、やるのはあたしじゃないんだけど。こっち来て!」
あたしはそうまくんを連れて並木と川の間の空き地を目指す。
「あー、やっぱりいた! ハルー、紅野くーん!」
空き地に着くと、やっぱりハルと紅野くんがキャッチボールをしていたのであたしは並木から声を張り上げる。
「おー、夏実じゃねーか。どーしたー?」
「キャッチボールしたいって子がいるんだけど一緒にやってあげてくれなーい?」
「あれ、そうまじゃねーか! オメーの母さんまた迷子になったのかー?」
ハルがそうまくんに気づいて言う。
「あれ、春輝にーちゃんと紅野にーちゃんだ!」
そうまくんがそう言って空き地に向かって走り出したので、あたしは慌ててそれを追いかける。
「なーんだ、ハル、知り合い?」
「んまあ、ちょっとな」
「つい2週間くらい前、迷子になってたところを助けたことがありまして」
「へー」
「ところでそうま、オメーの母ちゃんまた迷子か?」
「うん。気づいたらいなくなってて……」
「そうまくんのお母さんはものすごい方向音痴なんです」
紅野くんが補足で言う。
「そりゃ参ったね。どーしようか。お母さん探す?」
「うーん、紅野、お前ホームズ行って彩咲さんにこの件伝えてこい。ホームズなら多分なんとかなる」
ホームズは県警の向かいにあるカフェで、常連も多いためそこに行けばなんとかなるとハルは考えたのだろう。ちなみに彩咲さんはそこの顔馴染みのウェイトレスだ。
「ですね」
紅野くんがそう言って駆け出そうとしたその時。
「うーん、多分この辺りにいると思うんだけどなー」
とよーく聞き慣れた声がした。
「あれ、明里!」
声の主はあたしの親友の明里。30歳くらいの女の人を連れている。
「お母さん!!」
そうまくんがそう言って駆け出していく。お母さん?
「おー、なつー、それにサイトウに紅野くんも。お、もしかしてこの少年がそうまくん?」
「そうだけどなんで明里が知ってるの?」
「この人そうまくんのお母さんだよ。キャッチボールをしようとしてた男の子と逸れちゃったって聞いて、もしかしてサイトウたちと一緒にいるんじゃないかとあたりをつけて来たらビンゴだったね」
「なるほど〜。さすが明里」
「まあねー」
褒められて満更でもなさそうな明里。
「一度ならず二度もすみません……。私本当に方向音痴なものでして……」
そうまくんのお母さんが申し訳なさそうに言う。
「いーっていーって。また遊ぼうな、そうま!」
ハルはそう言ってそうまくんに笑顔を向ける。
「うん! またね、春輝にーちゃん、紅野にーちゃん! あと……」
そうまくんがあたしに視線を送る。そういえばまだ名乗ってなかったっけ。
「あたしは夏実。こっちのお母さん連れて来てくれたおねーさんが明里だよ」
「夏実ねーちゃん、明里ねーちゃんもまたね! ありがとう!」
「またねー」
「お母さんも、またー」
みんなで手を振り合って、そうまくんとお母さんと別れる。
「それじゃー紅野、俺らは改めてキャッチボールするか!」
「ですね」
「んじゃあ明里はあたしとその辺ブラブラしてこよー」
「はいはい」
そんなわけでみんなそれぞれ動き始める。
あたしの小さな勇気から始まった今の一件。たまには人助けも大切だね。
(おわり)
2025.1.27《小さな勇気》
《わぁ!》
「わぁっ!」
ある日の放課後、僕、紅野龍希が部活に行こうと格技室に向かって歩いていると、後ろから誰かにアタックされた。
「うわっ! だっ、誰ですかっ! って……夏実さん?!」
振り向くと、そこにいたのは同じクラスで僕と同じ剣道部員の中川夏実さん。ちなみに彼女とは共に県警に出入りして警察見習いのようなことをしているので、他の人よりは距離が近い。
「あははっ、びっくりしたー?」
「そりゃびっくりしますよ! なんですかいきなり!」
「いやー、ちょっとやってみたかったんだよねー」
「なんなんですかホント……」
「ごめんごめん。ちょっと面白そうだったんだもん」
夏実さんが少しシュンとして言う。そういえば夏実さんは僕たち5人(僕、ハル、蒼戒くん、夏実さん、熊山さん)の中では1番無邪気なんですよね……。
「別にいいですけど……。ところで夏実さんもこれから部活ですか?」
「そう。そろそろ大会も近いから頑張んないとねー」
「ですねぇ……。そういえば団体戦のメンバー発表もそろそろですよね」
僕たちは一緒に格技室に向かって歩きながら話をする。
「うんうん。あたし団体戦入れるかなー」
なんの話かと言うと、来年の頭に行われる剣道の親善大会のメンバーの話だ。
団体戦は大将、副将、中堅、次鋒、先鋒と補欠2人で、この中に入れるかが問題なのである。ちなみに蒼戒くんいわく個人戦は3枠あるそうで、できればこっちにも入りたいところである。
「夏実さんも結構強いですし大丈夫じゃないでしょうか」
「そうだけどさー、上には上がいるじゃない」
「女子で言うと……、河井さん、磯川さん、西荻さん、田村さんとかですか」
「うん。みんな強いんだよねー。男子で言うと、蒼戒、東堂くん、堀江くん、霜月くんあたり?」
「そうですね。蒼戒くん、東堂くん、堀江くんあたりは確実だと思います」
「あの人たち強いもんねー。特に堀江くんなんて一年生なのに紅野くんに張り合えるくらいに強いじゃん」
「そうなんですよ。彼伊達に蒼戒くんのファンやってないですよ」
さっきから話題になっている堀江くんは僕たちのひとつ年下で、蒼戒くんの『ファン』である。よくわからないけど、なぜか蒼戒くんに心酔していて、蒼戒くんをしょっちゅう追いかけている。そのおかげで剣捌きが蒼戒くんにそっくりで、かなり強い。
「だよねぇ〜」
そんなことを話していると、キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴った。
「嘘、もうこんな時間?!」
「急ぎましょう! 遅れたら何言われるか……!」
「もう遅れてるけど急ごう!」
というわけで僕と夏実さんは格技室まで猛ダッシュする羽目になった。
(おわり)
2025.1.26《わぁ!》