谷間のクマ

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《小さな勇気》

「もー、お母さんどこ行っちゃったのー……?」
 ある秋の日、あたし、中川夏実がこの町のシンボル、桜並木を歩いていると、小学生くらいの男の子がいた。
「迷子、かな」
 声をかけるか迷うこと約数秒。あたしは少しだけ勇気を出して男の子に声をかけることにする。
「どうしたの、ボク。迷子?」
 男の子と目線が同じになるようにしゃがんで、なるべく怖がらせないようにあたしは言う。
「……うん、迷子……。お母さんが」
「お母さんが?!」
 思いもしない言葉にあたしは目を見開く。
「ぼくのお母さん、すっごい方向オンチなんだ」
「そ、そっかあ……。ボク、お名前は?」
「そうま」
「そうまくん、ね。もしかしてそうまくんはキャッチボールをしようとしてたの?」
 あたしはそうまくんが持っている野球のボールとグローブを見て言う。
「うん……」
「そっかそっかー」
 待てよ、確かこの辺りの空き地でさっきハルと紅野くんがキャッチボールしていたような。よし、あの2人に相手してもらおう。
「ねぇそうまくん。あたし、一緒にキャッチボールしてくれそうなお兄さん知ってるんだけど一緒にやる?」
「い、いいの?!」
 そうまくんの顔がパッと明るくなる。
「うん。ま、やるのはあたしじゃないんだけど。こっち来て!」
 あたしはそうまくんを連れて並木と川の間の空き地を目指す。
「あー、やっぱりいた! ハルー、紅野くーん!」
 空き地に着くと、やっぱりハルと紅野くんがキャッチボールをしていたのであたしは並木から声を張り上げる。
「おー、夏実じゃねーか。どーしたー?」
「キャッチボールしたいって子がいるんだけど一緒にやってあげてくれなーい?」
「あれ、そうまじゃねーか! オメーの母さんまた迷子になったのかー?」
 ハルがそうまくんに気づいて言う。
「あれ、春輝にーちゃんと紅野にーちゃんだ!」
 そうまくんがそう言って空き地に向かって走り出したので、あたしは慌ててそれを追いかける。
「なーんだ、ハル、知り合い?」
「んまあ、ちょっとな」
「つい2週間くらい前、迷子になってたところを助けたことがありまして」
「へー」
「ところでそうま、オメーの母ちゃんまた迷子か?」
「うん。気づいたらいなくなってて……」
「そうまくんのお母さんはものすごい方向音痴なんです」
 紅野くんが補足で言う。
「そりゃ参ったね。どーしようか。お母さん探す?」
「うーん、紅野、お前ホームズ行って彩咲さんにこの件伝えてこい。ホームズなら多分なんとかなる」
 ホームズは県警の向かいにあるカフェで、常連も多いためそこに行けばなんとかなるとハルは考えたのだろう。ちなみに彩咲さんはそこの顔馴染みのウェイトレスだ。
「ですね」
 紅野くんがそう言って駆け出そうとしたその時。
「うーん、多分この辺りにいると思うんだけどなー」
とよーく聞き慣れた声がした。
「あれ、明里!」
 声の主はあたしの親友の明里。30歳くらいの女の人を連れている。
「お母さん!!」
 そうまくんがそう言って駆け出していく。お母さん?
「おー、なつー、それにサイトウに紅野くんも。お、もしかしてこの少年がそうまくん?」
「そうだけどなんで明里が知ってるの?」
「この人そうまくんのお母さんだよ。キャッチボールをしようとしてた男の子と逸れちゃったって聞いて、もしかしてサイトウたちと一緒にいるんじゃないかとあたりをつけて来たらビンゴだったね」
「なるほど〜。さすが明里」
「まあねー」
 褒められて満更でもなさそうな明里。
「一度ならず二度もすみません……。私本当に方向音痴なものでして……」
 そうまくんのお母さんが申し訳なさそうに言う。
「いーっていーって。また遊ぼうな、そうま!」
 ハルはそう言ってそうまくんに笑顔を向ける。
「うん! またね、春輝にーちゃん、紅野にーちゃん! あと……」
 そうまくんがあたしに視線を送る。そういえばまだ名乗ってなかったっけ。
「あたしは夏実。こっちのお母さん連れて来てくれたおねーさんが明里だよ」
「夏実ねーちゃん、明里ねーちゃんもまたね! ありがとう!」
「またねー」
「お母さんも、またー」
 みんなで手を振り合って、そうまくんとお母さんと別れる。
「それじゃー紅野、俺らは改めてキャッチボールするか!」
「ですね」
「んじゃあ明里はあたしとその辺ブラブラしてこよー」
「はいはい」
 そんなわけでみんなそれぞれ動き始める。
 あたしの小さな勇気から始まった今の一件。たまには人助けも大切だね。
(おわり)

2025.1.27《小さな勇気》

1/27/2025, 5:01:57 PM