8.街 黒大
蝉の声もほとんど聞こえなくなってきた頃、俺は街へ繰り出していた。目的は特になく、ただ街を散策するだけだ。普段の買い物は近所のスーパーやホームセンターで済ませているので、こういった大きな街に来るのは久しぶりだった。街並みも結構変わっていたりして面白い。流行りのスイーツ屋何かは入れ替わりが激しいようで、前来た時はタピオカミルクティーのお店だったところに、今度は食パン専門店ができていた。
とちう
7.やりたいこと 黒大
「黒尾、今日は倒れるまで食うぞ」
突然のことに俺は面食らってしまう。澤村の手に掴まれているチラシを見るに今日近くの河原で納涼祭があるようだ。チラシには、納涼祭らしくかき氷やヨーヨー釣りのイラストが書かれている。ただ、澤村曰く「他にも焼き鳥とかたこ焼きみたいな屋台も沢山あるから」との事。
納涼祭が始まるのが17時のようなので、16時半に家を出ることになった。家を出るまであと2時間ほど、澤村は先程から祭りが待ち遠しそうに部屋をウロウロしている。その姿がなんだか面白くて、何となく体重のことを持ち出してみると割と怖い顔でゴヅムされてしまった。
出発の時間になったので、財布や携帯の確認をして問題ないことを確認し家を出る。歩いていると、同じく納涼祭に参加するのであろう浴衣を着た人達がポツポツと合流してくる。浴衣と言えば澤村は絶対に浴衣が似合うだろうから、来年は必ず浴衣を用意しておこうと誓う。
河原に着くと既に多くの人が来ていた。俺達も早速雑踏の一部となり、屋台の食べ物を堪能しに行く。澤村は次々と屋台をめぐり色んな食べ物を味わっていた。少し目を離していた隙に手に持っているものが変わっていて驚かされたりもした。その間に何度かはぐれそうになったが、俺の背が頭ひとつ抜けて高いおかげで何とか合流できた。その度に澤村に「黒尾の背が高くて助かった」と、とてもいい笑顔で言われた。祭りを堪能できているようで何よりデスヨ。まったく。
祭りも終盤、どうやら打ち上げ花火が上がるようだ。両手にりんご飴や綿菓子、フランクフルト、更には焼き鳥を持っている澤村と近場の高台に移動する。
「祭り、久しぶりだったが楽しかったな」
「そうだな。俺も充分祭りを堪能できた」
「ただ屋台を制覇できなかったのだけは心残りだな。来年はお前も手伝えよ」
ニヤリと笑いながら「お手柔らかにお願いシマス」と短く返す。澤村もまた来年も一緒に来るつもりのようでとても嬉しくなる。ただ、澤村に付き合って倒れるまで食うのはごめんだ。
6.朝日の温もり 黒大
朝、窓から差し込んでくる曙色の光に起こされる。過ごしやすくなってきた今日、布団に離して貰えないことは随分減ってきた。ただベットに寝っ転がることが気持ちいいことに変わりはなく、起き上がることが憂鬱であることに変わりは無いが。しかし、今日はいつもとは違う要因で起き上がることができない。というか体を十分に動かすことも出来ない。
黒尾が今晩泊めてくれと押しかけてきたのが昨日の晩のこと。俺もベットで寝たいと潜り込んできたのが夜半のこと。そして俺を抱き枕にして気持ちよさそうに寝ているのが明け方、つまり今だ。下半身は動かせるが上半身はがっちりホールドされていて動かすことができない。そういえば黒尾に、澤村さんは体の大きさと太さ的に抱き心地抜群ですよねなんてことを言われたことがあった気がする。
そろそろ体が痛くなってきたが、これから抜け出すのは叶わない望みなのだろう。ならば仕方ないと抵抗をやめ顔を黒尾の胸元に埋める。そうすれば全身が黒尾に包まれているようで、幸せな気持ちになる。こういうのもたまには悪くないと想っているうちにだんだんと微睡んできた。先の抵抗によって掛け布団はどこかへ行ってしまったが、朝日に照らされた東雲色の腕はとても暖かかった。
5.岐路 わき道 黒大
俺が東京に出てきた事で黒尾と過ごすことの出来る時間は前とは比べ物にならないくらい増えた。ただそれでも住居はそこそこ離れているので黒尾が泊まりに来たり、俺が泊まりに行ったりしない限りは夕方には解散しないといけなかった。
秋の暮れ、イチョウの葉が赤く照らされ橙色の絨毯をこしらえている。秋の静けさに人恋しくなったのは先刻のことだ。今は黒尾のバイト先に歩いて向かっている。終わるまであと1、2時間はかかることは知っている。ただ、1人部屋で過ごしていられなかった。ふと目に入った自販機で温かい缶コーヒーを購入して目の前の公園のベンチに腰かける。すぐそこの道路を車が通り過ぎていく。東京も都心から少し離れればそこそこ落ち着いている。普段は心地いい静けさの町から今はなんだかうら淋しい空気が放たれている。もう東京に来て3年になる。今さらホームシックかななんて自己嫌悪に陥りそうになる。どうも今日は気分が沈んでならない。少しぬるくなっているコーヒーをグビっと飲み干すと立ち上がる。辺りはすっかり闇に包まれているが少しは気持ちも晴れたか。とはいえ今からひとりで家に帰る気にもならないので黒尾に連絡を入れバイト先の近くのファミレスで時間を潰すことにする。そのあとは途中まで一緒に家へ帰ろう。こっそり岐路を通ってより多くの時間を共有しよう。こんな自分勝手なことも今日くらい許してもらえるだろう。
4.世界の終わりに君と
夢を見た。世界が壊れる夢。今まで築き上げてきたものが全てなくなる夢。
それは突然のことだった。突然目の前が真っ暗になる。視覚、聴覚、触覚、どこからも情報は得られないが何かが壊れた、崩壊したことを漠然と理解している。もはや恐怖などない。ただもうあいつに会えないと思うと少し心痛い。そこで意識を手放した。
目が覚めると、夢の中では落ち着いていたように感じたが現実では汗をかき、心臓がうるさくなっている。相当怖かったんだなと他人事のように思いながら息を整える。今にも大声を張り上げようとしているスマホが曙色に照らされている。
振り返ってみてもアイツはいない。ただ一つ行ってきますと書かれた紙が存在感を放っている。仕事が繁忙期を迎えたと言っていたから会社に泊まり込むのかと思っていたがどうやら一度帰宅はできたようだ。もうしばらく碌に話せていないが辛くは無い。あいつが仕事に本気で取り組んでいることは知っているし、ここは夢の中ではないのだから。