【どうしても…】
ニコラスは魔法学校の落ちこぼれ。防御はできても攻撃魔法がまともに使えない……はずだった。
「危ない!」
魔獣が棲む森での実戦訓練中、よそ見をしていたサミュエルに飛びかかってきた大きなネズミを、一撃で倒したのはニコラスだった。
「え。どうして」
「ちゃんと警戒して」
「ああ、うん……ありがとう」
その日、ニコラスは他の誰よりも多くの魔獣を倒した。その姿は普段の落ちこぼれと同一人物だとは思えないくらいだった。
それなのに。
ほんの数日後に行われた模擬戦で、ニコラスはまた攻撃魔法の発動に失敗し、逃げ回るばかりの落ちこぼれに戻ってしまっていた。
「一体何なの、お前」
少し苛立ちながらサミュエルは聞いた。
「模擬戦、ふざけてるの?」
「違うよ。そんなつもりはないんだ」
ニコラスは困ったような顔をしていた。
「僕は人間を傷付けるのが怖いんだ。嫌なんだよ、どうしても……」
「だから対人の模擬戦は苦手だって?」
「だって、魔獣と違って死なせるわけにはいかないだろ」
サミュエルは眉を寄せてニコラスを睨んだ。
「俺やクラスメイトが、お前に簡単に殺されると思ってるのか?」
「いや、それは……僕、実戦訓練はかなり手加減してたし」
確かに実戦訓練の時のニコラスは強かった。まるで別人のように見えた。それでも、サミュエルたち魔法学校の生徒はちゃんと防御魔法を身につけているし、治癒の魔法が使える生徒もいる。
「考えすぎ。心配しすぎ。そんなの気にして攻撃魔法が使えないとか……」
「情けないよね。自分でもそう思う」
サミュエルは腹を立てていた。何より、へらっと笑ったニコラスを許せないと思った。実力はあるのに。ちゃんと努力をすればいいのに。
「決めた。俺が練習付き合ってやる」
「え?」
「対人で攻撃魔法使う練習だよ」
「……しなきゃ、だめかな」
「だめ」
でも、とニコラスはためらった。落ちこぼれのニコラスはクラスで孤立している。そのニコラスにかまえばサミュエルまでクラスメイトから敬遠されてしまうかもしれない……
「そんなの。見返してやればいいだろう」
「見返すって……」
「お前が落ちこぼれじゃなくなればいい」
「無理だよ」
「やってみる前から諦めるな」
サミュエルはほとんど毎日、放課後にニコラスを魔法練習場に連れていって、攻撃魔法の練習をさせた。
ニコラスは少しずつ少しずつ、人間相手に攻撃魔法を使うことに慣れていき、気付けば模擬戦の成績は常に上位に食い込むようになっていた。
案の定、サミュエルから離れる生徒もいたけれど、今までとは別の生徒たちから声をかけられるようになり、ニコラスにも話し相手が増えていった。
「ありがとう、サミュエル。君のおかげだね」
「まあな。ところで、どうしてあんなに人間を傷付けることを怖がってたんだ?」
「ええと……荒唐無稽な話になるんだけど」
ニコラスは別の世界で生きた記憶があるのだと打ち明けた。
「ここよりずっと平和な世界で、人ひとりの命が重くて、魔法も魔獣も存在しなくて……その世界での常識が僕には残ってて……信じてくれる?」
「信じるよ」
サミュエルはそう断言した。
「だってお前、嘘をつく時には顔に触る癖があるからな」
【まって】
「ひらがなの『ま』ってさ、ちょっと可愛い気がする」
『は?』
「まって、この下の丸い感じとか、なんだか可愛くない?」
『ごめん、よくわからない』
「そう? ああでも『ほ』の方が可愛いかな」
『……どこが?』
「『ほわほわ』とか『ほんのり』とか、なんか全体的に可愛いと思うんだよね」
『それは『ふわふわ』とは違うの?』
「『ふ』はあざといっていうか、ちょっとやり過ぎ感あるから、違う」
『…………わからん』
「そうかー残念」
【まだ知らない世界】
私はかつてとある世界を滅ぼし掛けた魔王だったらしい。勇者に倒された後、神々に回収されて、記憶を消された。
今は自分が『勇者』をしている。何度となく転生や転移をさせられて、あちらこちらの世界を助けては、世界の狭間に戻されて、また転生させられる。神々に良いようにこき使われているのだ。
女神のひと柱が言う。
「流石に魔王だっただけあって丈夫ね」
別の女神がクスクスと笑う。
「負の感情もしっかり浄化されているから、従順で良いわ」
「次はあの人間が滅び掛けている世界ね」
「ああ……それならこの子を人間じゃない種族に変えた方が良いかしら」
「そうねぇ。氷竜なんてどうかしら」
「いいわね。可愛らしいわ」
私は竜にされたり、エルフにされたり、人間にされたり、魔族に戻されたり、神々から与えられる姿はコロコロと変わった。そのたびに使える力も変わり、体の動かし方も変わった。
とはいえ、これはひとつの世界を滅ぼし掛けた私に対する罰だと……いや、もうそれ以上に働いてないかな、私は。まあ、逆らうのも面倒だ。好きにしてくれ。
「次に行ってもらうのは世界樹が暴走して植物が支配しつつある世界よ」
「人間が住める土地を取り戻してちょうだい」
焼き払えということなのか、新しい体は炎を操る力を持っていた。
私は必死に働いた。滅び掛けた世界のバランスを取り戻し、存続させるのが私の役目だ。
世界によっては『幸せだ』と思える時間を過ごせた。でも、同じくらいの頻度で『最悪だ』と思うような目にも遭った。
どの世界にも現地の住人たちが居て、交友関係ができて、楽しかったり腹立たしかったり、忌々しかったりした。
流石に私も少しは弱く短命な生き物たちのことを理解できたような気がする。けれど、私が特定の相手のことを特別大事に思っているとわかると、神々が記憶を消そうとしてくる。
おそらく、私がまた魔王になることを警戒しているのだろう。誰かのためにという思いも行き過ぎれば毒になるのかもしれない。
記憶を消されるのは気分が悪い。だから私はいつからか、神々にはあまり自分の感情を打ち明けなくなった。
一体どれだけの世界を助けただろう。突然、私の前に見慣れない神が現れた。いつもの女神たちがいない。
見慣れない神が言った。
「よく頑張ったね。君は沢山の世界を救い、思いやりを知り、暴走せずにここまできた。そろそろ君自身が神を名乗っても良いと思う」
神……私が神になるのか?
「しばらくは私の補佐を頼む。ちょうど新しい世界を作ろうとしているんだ」
見慣れない神が私に力をくれた。世界の狭間から自由に出られる力を。女神や他の神々に抵抗できる力を。
「君は沢山の世界を見てきただろう。次はどんな世界が良いと思う?」
私が世界を作る手伝いをするのか。せっかく作るのなら永く続く世界になると良い。やはり人間に相当する種族は必要だろう。沢山の獣や植物も。ああ、その前に土と水、それに光か。
「さあ新しい世界を創ろう。君も見たことのない、まだ知らない世界を……邪神になんてならないでおくれよ?」
【手放す勇気】
馬鹿なことをしているという自覚はあった。平穏な暮らしを投げ捨てて、自ら面倒事に巻き込まれることを選んだ。
だって放っておけなかったのだ。まだ幼い甥が異母弟の母親から命を狙われているなんて。
王妃になった妹が唯一遺した忘れ形見。その子を守るために、私は罪を犯した。
王子である甥をさらって逃げたのだ。第一王子は継母である現王妃に毒を盛られて亡くなった……そう偽装した。おそらく表向きは病死と発表されるだろう。
私は妹と甥を失ったことに意気消沈したように装い、宮廷魔法士の職を辞して国を出た。僅かな従者とその家族を連れて。甥をその中に紛れ込ませて。
甥は王の子でもあるけれど、やはり妹に似たのだろう。私が少し教えただけで、あっという間に魔法の使い方を覚えていった。乾いた土が水を吸うかのように。
甥の様子がおかしいと気付いたのは、国をひとつ横断している最中。いくらなんでも落ち着き過ぎていた。周囲の環境の変化にもっと戸惑うだろうと思っていた。
時間を取って話を聞いた。すると、甥はとんでもないことを言い出した。別の世界で生きた前世の記憶と神々の加護があるというのだ。
信じ難い話だ。けれど、そういうことなら今の状況に説明がつく。実際、甥は王子の立場では縁がなかったはずの知識を持っていた。誰にも習わず、料理をしてみせた。
とはいえ、まだ10歳にもならない子供だ。当分は保護者が必要である。
私は名前も身分も捨てて別人として暮らし始めた。甥のことは弟子として扱った。
とても優秀な弟子だ。私より優れた魔法士になるかもしれない。いつかは独り立ちして、王子でもなく私の甥でもない何者かになっていくのだろう。
その時はこの子を手放す勇気と守る力を持っていられたら良いと思う。
【光輝け、暗闇で】
迷宮の管理は本来なら冒険者ギルドの仕事である。それなのに、このリドの街では、騎士団が迷宮に関わっている。
俺は騎士団に入ったはずで、冒険者ギルドの職員になった記憶はない。けれど、リド砦に配属されてからは、迷宮関係の仕事ばかりだ。
リドの街の周囲には迷宮が複数あって、冒険者ギルドだけでは手が足りないというのは知っている。けれど、迷宮の入り口の見張りなんていうのは、騎士の役目か?
まあ……犯罪者が迷宮を勝手に拠点にしたら困るという意見は無視できない。迷宮の管理が街の治安維持に影響すると言われたら、確かにその通りだ。
入り口だけではない。浅い階層の見廻りもしている。特に初心者が多い迷宮では、遭難者の救助が騎士の仕事なのだ。
冒険者なんて、本来なら遭難しようが全滅しようが自己責任だ。けれど、俺よりも若い連中が再起不能になっていく様子をただ放って置くのは気分が悪い。
今までここで働いていた他の騎士たちも同意見だったようで、昔は有志だけが行っていた見廻りが、いつからか通常業務に組み込まれるようになったらしい。
見廻るついでに迷宮の中に目印を書いてやったりもする。出口はこっちだとか、次の階層はここからとか、休憩場所はあちらとか。
少し世話を焼きすぎな気もするが、俺たちがこうして助けた中から、将来強い冒険者が現れてくれれば、迷宮の管理が楽になる。
迷宮というのは、放置しすぎると中から魔獣が溢れ出るのだ。それを防ぐには冒険者に探索と討伐を続けてもらうしかない。
街を守る騎士たちと迷宮を攻略する冒険者たちは、一見まったく別物に見えて、実は密に関わっているのである。
だからと言って、何故、騎士である俺が仕事で土いじりをしなければならないのか……
「ああ、雑に扱わないでよ。貴重な植物なんだからね」
冒険者ギルドから派遣されてきたとかいう男が顔をしかめている。そんなことを言われても、花の植え替えなんてしたことがない。
俺が今植え替えているのは『夜光草』という植物だ。これは暗い場所でも枯れずに育ち、自ら光を放つらしい。
周囲の魔素を吸収しているとか言っていたけど、詳しいことは知らない。説明は聞いたものの右から左へ流れていってしまった。
とにかく。これは光る花が咲く。だから、冒険者ギルドではこれを育てて迷宮内に植え、目印にするのだという。
剣を持つ手を泥だらけにして、俺はいくつもの苗を鉢に植えた。上からたっぷりと水をかけてやる。
ある程度育ったら、迷宮に植えるのも俺たちの仕事だ。せいぜい光輝け、暗闇で。