No.36『虹を渡った黒猫』
散文/掌編小説
空から飴が降ってきて、わたしは思わず空を見上げた。
「ごめーん。大丈夫?」
いや、大丈夫?
そう聞きたいのはこっちのほうだわ。心の中でツッコミを入れつつ、声がしたほうを見やる。見上げた先には、一本の大きな桜の木。そろそろ満開になろうとしているその木の、一番下の太い枝に、小柄な少女が座っていた。
いや、なんでそこにいる?
漫画でありそうなのは、降りられなくなった猫を助けるためだったりするけど、どこにも猫の姿は見当たらない。というか、なんで飴?
それもひとつじゃなく、何個もパラパラと降ってきた。
「それ、あげる」
少女はそう言うと、ぴょんと桜の枝から飛び降りた。受けきれなくて、地面に散らばった数種類の飴玉。もちろん、きちんと包装はされているけど。飴をもらったのは久しぶりだ。地元じゃ、知らないおばちゃんからも、もらっていたけど。
「みーちゃん、それ好きだったよね?」
そう言われて、行ってしまおうとする彼女を思わず振り返った。
みーちゃん。それは、わたしの子どもの頃のあだ名だ。その時、向こうに行ってしまう彼女のおしりに見つけたしっぽ。
真っ黒のワンピースを着て、赤いリボンのチョーカーをした彼女を追い掛け、夢が醒める前に彼女にお礼を言おうとそう思った。
お題:夢が醒める前に
No.35『一方通行』
散文/掌編小説
どうしようもないことがあった時ほど、わたしは笑うようにしている。でもこれって特別なことじゃなく、誰もがみんな、そうしていることで。
「えー、良かったじゃん」
だから、好きなひとに好きな人ができるたび、わたしは笑った。もちろん心からの笑顔ではなかったけれど、その時、その瞬間にでき得る限りの笑顔を見せた。
世間では別れの季節だけれど、有り難いことに、わたしたちが別れることはない。というのもわたしが彼女の親友だからで、この関係を壊さない限り、わたしは彼女と一緒にいられるのだろう。だから、
「え。恋人と別れた?」
彼女が恋人と別れるたび、親友の仮面をかぶって彼女を励ましながら、実は胸が高鳴っていることも、彼女への想いと一緒に胸にしまった。
お題:胸が高鳴る
No.34『朝』
散文/掌編小説
──午前6時58分。
目が覚め、携帯画面を見て驚いた。どうやらわたしは、あのまま寝落ちてしまったらしい。乱れたシーツと床に散らばった二人分の服が、昨夜、自分の身に何が起こったかを教えてくれた。
そっとベッドを抜け出し、自分の服を拾い集める。何故か最初に脱ぎ捨てたであろう上着が足元にあり、最後に脱ぎ捨てたはずの下着が、ドアの真下に落ちていた。
「……っっ」
自分がとった行動を思い出すと顔が熱くなる。何故、それがそこにあるのかも思い出した。勝手知ったる自分の家とはいかない他人の家。トイレと洗面所だけを借りて、彼がいるベッドへ舞い戻る。
「やっちゃったなあ」
彼とわたしは許嫁の間柄だから、誰もわたしと彼の行動を咎めない。生まれる前から許嫁である不条理さに憤っていたのに、初めて顔を合わせたその日に、なんてどうかしている。
ベッドに舞い戻り、彼の背中に顔をうずめると、何故か懐かしいにおいがした。
お題:不条理
No.33『18歳』
散文/掌編小説
卒業証書の入った筒を大切そうに抱えた少女を見掛け、そういえばもうそんな時期なんだなと、まるで他人事のように思う。いや、他人事のようじゃなくて他人事そのものか。最終学歴である高校を卒業してから、気づけばかなりの時が経過しているから。
高校時代、遅刻ギリギリで自転車を走らせた通学路。徒歩通学らしい彼女は、時折、何かを懐かしむかのように空を見上げる。三寒四温の寒い日に当たってしまった今日。溜め息をついたのだろうか。彼女の口から白い息が立ち昇る。
思い出すのは自分の卒業式じゃなく、大好きだった先輩の卒業式。自分の時より、先輩の時のほうが悲しかった。都会に行ってしまう先輩には、もう会えない。そんな気がして、でも必死で涙をこらえて笑ったっけ。
不意に彼女は、真上を見やった。きゅっと唇を噛み締めて。そんな彼女は、まるで「泣かないよ」とでも言っているかのようだった。
お題:泣かないよ
No.32『春雷』
散文 / 掌編小説
午前9時。わたしは本日二度目の眠りから覚めた。今日は珍しく早起きできたと思っていたのに、いつの間にか寝落ちてしまっていたらしい。
「えっ、うそ!」
手にしたままだった携帯を見て、思わず小さく叫んでしまった。そういえば今日は久しぶりに遠出の予定がある。寝落ちてしまったせいで、家を出なくちゃいけない時間が差し迫っていた。
携帯画面の傘マークを見て、傘を持って家を出た。準備万端。二週間ぶりの逢瀬はきっと上手く行く。そう思っていたその時、
「えっ、うそ!」
今朝と同じ台詞を口にしていたわたしの耳に、ゴロゴロと雷の音が聞こえてきて。
ああ、神様。あなたはなんて無慈悲なの。わたしが何か悪いことをしたとでも言うのでしょうか。
世界で一番雷が苦手なわたしは、足早に恋人のもとへと向かう。恋人に「怖がりだなあ」と笑ってもらう、ただそれだけのために。
お題:怖がり