『輝き』
「ほら、早く行くぞ! 料理のさしすせその特売が終わっちゃうって!」
「ま、待って待って!」
私を急かしながら玄関へ走っていく彼。私が株で稼いで買ったこの家は、部屋は広く、廊下はかなり長い。……はずなのだが、彼はもう玄関で靴を履いている。
彼——清廉煌驥ともう一人は人間であり人間じゃない。ある薬が服用者が人間である事を拒絶したから。
組織名——magnum《マグナム》。薬や銃の密売、強盗殺人詐欺などなど手を染めている犯罪、更にはその行動範囲までもその他の組織は桁違い。
magnumは特に薬の製作、密売に力を入れている。だが、その中でも一つ。格が違う薬がある。
薬名——reject《リジェクト》。身体能力、五感などの基本的能力の爆発的な増強はあるが、精神が完全に崩壊する。
そのrejectに耐えられる者は居ないと言われていた。彼と、そして私を除いて。
私はrejectの八割、彼は十割の性能を引き出した。私は一度目の傑作。彼は二度目の英雄。
薬の効果はその名の意味、由来のように凄まじい。それは史上最大の組織と言われたmagnumをたった二人で壊滅させるほどに。
一度は彼の輝きに憧れた。私はその組織に育てられた、要は親の気を引きたい子供心のようなものだ。犯罪なんて噂だけだと思うほどに甘い餓鬼だった。
だからこそ、彼の輝きには追いつけない。あれは人ならざる者《わたし》から見ても未知だから。
「砂糖! 醤油! 酢! せ……は、なんだ?」
「しは塩。せが醤油だよ」
「は? ふざけんなどこがせなんだよ馬鹿野郎」
「私に言わないで。理不尽でしょ」
ぶつぶつと文句を言う彼。ここだけ見ていると普通なのだが、正体は五十メートルを三秒ほどの爆速で走る人間?だ。
彼に、そして彼の輝きに、私の手は届いて届かない。
『君の背中』
『ほら、こうき! はやくいこ!』
幼き日の淡い記憶。笑顔で僕の手を引っ張る彼女。僕はその背中を見続けていた。
その背中は子供故に小さくて、でもその時の僕からすると大きく見えた。届かないと思わされるような、そんなかっこ良くて可愛らしい背中。
いつも引っ張っていってくれる君に、僕は何も出来なかった。話す時もおどおどして小声、引っ張ってくれなきゃ一緒に遊びたいとも言えない意気地なし。
そんな僕に惚れる女の子なんていなかったと思う。勿論彼女も例外じゃないだろう。
冷たい鉄の扉に手をかける。スマホの画面に映っている反応は今いる場所から数メートル先だ。
扉を開けると、あの頃の輝いていた時は正反対の彼女がいた。
「久しぶりだね、小夜」
「え……煌驥?」
だから今度は僕が引っ張るよ。あの日憧れた、輝いていた背中を見習って。君がこれからする事に恐怖を抱かないように。
「なんで……ここに……?」
5階ほどのビルの屋上。冷たい風が肌に突き刺さる中、僕と小夜の視線が交錯する。
「決まってるでしょ? なんの思い出も無いここに来る理由なんて」
小夜の質問に答えると同時に僕は肩を竦める。そしてあの頃は出来なかった笑顔を彼女へ向ける。
「君と一緒に死にに来た。それだけだよ」
『Heart to Heart』
「ねえ、煌驥。久しぶりだね」
雪が降り、吐いた息が白く可視化されている今日。私はある人の元へ来ていた。
「お互い腹を割って話そう? 全部正直に、あの時のことを」
彼からの返答は無い。まあそれも仕方がないけど。
「あの時、酷いこと言ってごめん。煌驥は私の事を考えてくれたんだよね。本当にごめん」
言ってくれたら良いのに、という言葉は流石に言えなかった。自分の事を棚に上げすぎだし、彼はそう言う人だったから。
「助けてくれてありがとう。貴方のお陰で今の私が居る」
手に持っていた花を元々あった花瓶に差し、饅頭を置く。煌驥が大好きだったこしあんだ。
「あと、遅くなってごめん。これはお詫びとお礼だと思って受け取って。また来る」
私がもう少し早く気づけていたら、煌驥と正直に話す事が出来たのかな?
『永遠の花束』
私は自分の部屋の扉を開け、中へ入る。
枯れない生花なんてこの世には無い。現実に魔法なんて無いし時を戻す、止める、その他花を復活させられるような能力は無い。
机に向かって歩き、その上に置いてある一輪の花に軽く触れる。
彼から貰ったこの花も、いずれ枯れる。それが悲しくもあり、枯れたらまたプレゼントしてくれるかなというこの花に失礼な事も考えてしまう。ごめんね、エリザベス。
彼は花束を渡そうとしたが花屋に目的の花が一輪しか無く、どうしてもこの花から変えたくなかった彼はこの一輪だけ買ってきたらしい。
頑固、というか。そうと決めたら一途であるところが私も好きなので微笑ましい。
花が一輪でも、私と彼の想いだけで幾らでも変えられると思っている。
何を言っているんだと言うと思う。私も少しそう思ってるから。
この花にはきっと、花束よりももっと綺麗なものが詰まっているから。
他の人達、もしかしたら彼もかもしれないけど、この花は一輪しか無い。
でも私からすればこの花は枯れても心に残り続ける『永遠の花束』だから
『やさしくしないで』
「あれ、小夜? 今帰るところか? 一緒に帰ろうぜ」
昇降口に向かっている途中、ある人に校舎裏へ呼び出されていた煌驥と鉢合わせた。
何故か機嫌が良さそうだ。やはりあの学校一の美人と言われている侑嘉(ゆうか)さんに呼び出されたからなのかな? 高校生、校舎裏、女性が男性を呼び出す。ここまで揃っているのなら何があったかは想像に難く無い。そして相手が誰かを考えればその返事も容易に推測できる。
「今教室から鞄取ってくるからさ。ちょっと待っててくれない——」
「ごめんなさい。今日は1人で帰りたい気分なの」
彼の普段と変わらない笑顔が私の胸を強く刺す。いつもと変わらないはずの笑顔に逃げたくなってしまった。
「大丈夫か? 顔色が悪そうだ。家まで1人で行けるのか?」
「大丈夫だから。じゃあね」
私は向かう途中だった昇降口に行くため歩き出す。
「……そうか? なら仕方がないな。気をつけろよ」
それ以上は特に追求もせず、煌驥は私を見送る。多分私に気を遣ってくれたのだろう。
そこが煌驥の良いところであり、今の私には少しだけ悲しく思えた。胸の苦しみは更に加速してしまう。
この優しさはもう他の女の物になってしまうのだなと、目頭が熱くなる。
「……それと、一つだけ忠告しておく」
「ん?」
私は足を止め、振り向く。せめてこれくらいの悪戯は許して欲しい。
「彼女がいるのに私を誘うのはどうかと思うわよ?」
「え?」
煌驥の間抜けな返事を聞いて無意識に口角が上がる。私のアプローチを全てスルーした仕返しだ。我ながら性格が悪いなと心中で苦笑する。
踵を返し、今度こそ昇降口へ向かう。これからは距離を考えないと。今まで通りには行かな——
「彼女……? 昔からの付き合いならわかるだろう。俺にそんな相手は居ない」
「……え? でもさっきまで……」
「ああ、あれはライバルが増えただけだ」
「あ、え? ライバル?」
侑嘉さんに? 煌驥に? だとしたら誰がライバル?
混乱しすぎていて頭が回らない。話が全然読めない。
「小夜さん」
その時、近くの階段から件の侑嘉さんが降りてきた。
「チッ」
「あら、煌驥さん。こんにちは。今からここは花園となりますのでトリカブトはどこかに行ってくださらない?」
「……ご挨拶だな、侑嘉さん?」
この感じ……二人の空気……花園……ん?
次の瞬間、二人の視線が私へ向く。
「……私?」