『夜明け前』
夜明けの前の景色はとても良い。
日は昇ってないが真っ暗闇でもない。
朝の匂い、これから始まる予感、静かな空気――。
本当は窓からその夜明け前を堪能したいが
起きれない私は、SNSで夜明け前の写真を検索して見る。
写真越しでもあの夜明け前の光景は私の心を震わせ動かしていく。
この気持ちがわかる人が他にいるだろうか。
言葉では表せないあの高揚感を私は夜明け前の景色に感じている。
ノンフィクション 2023/09/13
(夜明け前の景色への思い入れを語りました)
『胸の鼓動』
胸の鼓動と聞いて真っ先に思い浮かんだのは恋であった。
しかし、考えてみれば何も恋だけではない。
驚いたとき、不安なとき、走ったとき、苦しいとき――。
心臓は激しく動き、その鼓動をこの身で感じる。
だけどそのどんなときでも必ず付き纏うのは、
「今にも心臓が止まってしまうのではないか」
という思いだ。
電池が入ってるわけでもなければ、充電式でもない。
生まれてこの方、自分の体の中で自然に動いている。
この鼓動は何だ?
なぜ鼓動が聴こえる?
なぜ動いていられるんだ?
こんなに激しく動いて、この心臓は止まらないのだろうか?
激しく動いて酷使し続けていれば人より早く止まってしまうのではないか?
この心臓の音が、明日もあるなんて保障などどこにもないのではないか?
様々な思いが頭をよぎるが、それは全て死への恐怖なのかもしれない。
ノンフィクション+創作加味 2023/09/08
(どんなときでも付き纏うという部分が創作。実際は毎回じゃないけど、時々思うことです)
『踊るように』
「まるで踊っているようだ」
呟いたはずの言葉は思いの外、大きかった。
文机でさらさらと筆を滑らせていた先生が、何を言っているんだというような目を向けてくる。
「あ……その……すみません。先生の筆が踊っているように見えたので」
なんでもありませんと言うつもりだったのに、先生の視線には勝てなかった。
踊っているよう、と表現した訳を話すと先生はそっと筆を置いて体をこちらに向けた。
「踊るなんて初めて言われました。具体的にお聞きしたいです」
「え、あの……それは」
まるで責められているかのように感じた。
そんなことを聞かれるなんて思っていなかったから。
何となく焦りはしたが、咄嗟に誤魔化しが思いつかなかったのでもう素直に答えることにした。
「先生の筆の動きが大きかったり小さかったり、早くなったり遅くなったり……時折止まったり……そういう動きが何だか踊っているように見えたのです」
別に先生だけではない。筆を使う時はそうなることが多いので、当たり前のことではある。
しかし先生の筆の動かし方は美しく、落ち着いていて優しく紙の上で自由に踊っている気がしたのだ。
それを包み隠さず伝えると、先生は一瞬だけ驚いたような表情をした。
そして再び文机に向い、筆を手にする。
「嬉しいお言葉です。しかしそこまで見られたと分かると、少々恥ずかしいので……あまり見ないでください」
先生の横顔は少し照れくさそうな顔だった。
創作 2023/09/07
『時を告げる』
(※多少ホラー話注意)
広島に生まれ育った者であるからか、8月6日午前8時15分の鐘の音には敏感だ。
広島の小中学生の平和学習は、語り継がれる原爆の体験談と知識が叩き込まれる。
生まれ育ったこの地で起こったあの出来事を体験してないのに、毎年行われる平和記念式典の鐘の音を聞くと時がまた経過したのだと感じさせる。
話は少しそれるが、原爆ドーム付近には沢山の霊がいるといわれている。
霊感がある者が近付くと気分が悪くなるとの噂も聞くし、近くの学校に通う霊感が強い生徒が視えすぎて学校に行けなくなったという話も聞いた。学校に出るらしい。
私自身も視たわけではないが、原爆ドームにデジカメを向けたところ「動くものがあると表示されるマーク」が画面に出たことがある。肉眼では何も動くものが映っていないのに。
昭和20年8月6日、当時は被爆した人々が水を求めて川へ向かったと聞く。原爆ドーム付近にも川がある。
多くの人が川で亡くなった。
毎年平和記念式典で黙祷を捧げ、平和を祈り、沢山の献花がされるが未だに彷徨っている霊魂があるのだろうか。
彼らはこれから何年経ってもそこに無念の思いを残し続けるのだろうか。
今年はもう過ぎ去ったけど、来年も再来年もまたその次の年も
8月6日には鐘が時を告げるだろう。
彼らの悔しさが癒えるかもわからぬまま何度でも――。
ノンフィクション 2023/09/07
『きらめき』
学生時代が一番きらめいていたと思う。
だけど振り返ってみると、大した青春もない。恋愛だって上手く出来なかったし、友達だって多くはなかった。遊んだ記憶もわいわいとした記憶も少ない。
しかし、興味のあることを直接教えてもらえた。
興味のあることを研究できた。
社会人になってからじゃやること自体が難しい運動だって出来た。
社会人になったら興味のあることは独学。わからないことがあっても聞く先生もいない。
運動も続かないし、学生時代にできてた複数でやる競技も一人じゃ出来ない。
当時は辛いこともあった。HSP気質だとは知らずに過ごした学生時代は集団生活に馴染まなく、体調不良ばかりだった。不登校にはならなかったけれど。
でも、振り返ればあの頃が一番時間があってあの頃が一番きらめいていたと感じる。
刺激には弱いけど、刺激が一番きらめきを感じるのである。
もうあの頃のような刺激は与えられないのだろうか。
ノンフィクション 2023/09/05
(いつもは創作だけど今日は心の声)