川瀬りん

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『踊るように』


「まるで踊っているようだ」

呟いたはずの言葉は思いの外、大きかった。
文机でさらさらと筆を滑らせていた先生が、何を言っているんだというような目を向けてくる。

「あ……その……すみません。先生の筆が踊っているように見えたので」

なんでもありませんと言うつもりだったのに、先生の視線には勝てなかった。
踊っているよう、と表現した訳を話すと先生はそっと筆を置いて体をこちらに向けた。

「踊るなんて初めて言われました。具体的にお聞きしたいです」
「え、あの……それは」

まるで責められているかのように感じた。
そんなことを聞かれるなんて思っていなかったから。
何となく焦りはしたが、咄嗟に誤魔化しが思いつかなかったのでもう素直に答えることにした。

「先生の筆の動きが大きかったり小さかったり、早くなったり遅くなったり……時折止まったり……そういう動きが何だか踊っているように見えたのです」

別に先生だけではない。筆を使う時はそうなることが多いので、当たり前のことではある。
しかし先生の筆の動かし方は美しく、落ち着いていて優しく紙の上で自由に踊っている気がしたのだ。
それを包み隠さず伝えると、先生は一瞬だけ驚いたような表情をした。
そして再び文机に向い、筆を手にする。

「嬉しいお言葉です。しかしそこまで見られたと分かると、少々恥ずかしいので……あまり見ないでください」

先生の横顔は少し照れくさそうな顔だった。




創作 2023/09/07

9/7/2023, 11:49:08 AM