月明かりが差し込む。
時刻は草木も眠る午前2時。
私の時間はここから始まるの。
大きな音は出してはいけないから、足音も鳴らないように気を配る。
un,deux,trois
un,deux,trois
1人ダンスのステップを踏む。今は人目を忍んでしか踊れないけど、いつか私をエスコートしてくれる人と一緒に踊ることを夢見てーーーー。
私は所謂、地方を治める男爵のひとり娘。
貴族階級では下も下。領地運営に多くの経費を割いているため私達家族は質素な生活をしている。
領民は私達領主一家に好意的で、よく働く人ばかりのため領民の生活は豊かな方だと思う。
私の父は貴族然としているのとが苦手らしく、日々領民と混じっていろいろな仕事をしている。
雑談の中であれが困ってる、これが壊れてるなど聞けばすぐさま修理や改善の手配をするような領民思いな人だ。
母は家の事を進んで行う人で運営会議や外交のみならず、屋敷の維持管理などの掃除まで行うのだ。
母が掃除に参加するのもあり、家の使用人は少数精鋭で多くない。
単に地方なため働きに来てくれる人がほとんどいないっていうのもあるかもしれないが…。
そんなふたりのもとで幼少期を過ごしてきた私は、領民の仕事の手伝いも屋敷の掃除も楽しく行う淑女とは異なる貴族令嬢へ育った。
勉強はそこそこに、淑女教育は最低限のマナーさえあれば問題ないわと家庭教師泣かせな子だった。
そんな私でも舞踏会への憧れはあった。
舞踏会なんて王族から招待されない限り出席しない我が家だけど、いつの時代も女の子として1度は運命の人と舞踏会で踊ることを夢見ることはあるわけで。
領民の子供らと話すときに、年頃の女の子がいるときは必ず舞踏会への憧れの話が上がるのだ。
夜更けに1人、練習するのには訳があった。
淑女教育は放り出してるため、ダンスがからきしなのだ。
ダンスが難しすぎてステップや首の角度など細かいことを覚えながら動くのが私にはどうも合わず放り出す要因なのであった。
苦手でも憧れはあるわけで。
こうして時間を作っては練習をしているのだ。
「いつか、こんな私でも一緒に踊ってくれる人が現れたらいいなあ…」
そんな日々を過ごしていた中、社交シーズンに入った。
社交シーズン開幕を宣言する舞踏会が開催されると、王家より招待を承った我が家は慌しく準備をし参加する運びとなった。
開幕を宣言する舞踏会は初めて社交界へ参加する貴族令嬢のデビュタントを兼ねている。
私はここで社交界デビューするのだ。
緊張で動悸が激しい。足が竦む。ミスは許されない。
舞踏会参加が決まってから今日までの毎日はあっという間に過ぎていった気がする。
気がついたら会場へ入場待機しており、気がついたら開幕宣言を国王陛下がしていた。
私、ミスをせず入場できたってことでいいのよね??
緊張で入場前後の記憶がまっさらだ。
地方貴族の私は、王都に交流のある同年代の貴族がいないため開始早々壁の花になっていた。
『これなら、領民と話ししたり仕事したりしてたほうが楽しいかも…』
ポツリと1人、人々を眺めてると領民とワイワイしてるときのことが浮かんできて早く帰りたいなと思えてきた。
もちろんそれができないことはわかってる。
貴族にとっては社交は立派な仕事の1つだからだ。
父も母も他貴族と話術の応戦をしているなか、娘の私のわがままで退席するわけには行かない。
「中庭にでも行こうかしら…」
中庭は立入禁止とお触れがなかったなら、散策することは可能なはずだ。
私はそっと会場を出て中庭へと進む。
道中、案内役のメイドや見張りをしている騎士があちこちにいた。
そのうちの1人に中庭への道を聞き、中庭を目指す。
「ここなら静かで落ち着くわ。」
中庭に着き、キレイに整えられている薔薇を眺める。
人気はなく、月明かりに照らされてる薔薇はとてもきれいだった。
「…ちょっと踊ろうかしら、もし失敗しても誰もいないし恥ずかしくないわよね。
まだ時間もあるだろうし、やろう」
デビュタントした令嬢は、ダンスホールで1番に踊る慣習があることは知っている。
ただそこで失敗したらデビュタントでダンスを失敗した令嬢とレッテルが貼られるのは確実だろう。
流石にそれは避けたい。
un,deux,trois
un,deux,trois…
いくらテンポについて行けるようになっても、ステップを間違えないようになっても、姿勢がキープできても、所詮1人練習。
パートナーのステップがどう動くかわからないので、相手の足を踏んでしまうかもしれない。
そんな不安はどんなに練習しても拭えなかった。
「はぁ…不安って練習しても拭えないのね…」
思わず心配が溢れる。
くすっと笑い声が聞こえる。
誰かに聞かれた!?
声がした方へ勢い良く振り向く。
そこにはきれいな顔立ちをした同年代と思われる男の子がいた。
正装をしてるためどこかの貴族令息だとは思うが、なにぶん貴族には疎いので誰かわからない。
どう反応すればいいか固まっていると向こうから声をかけられた。
「覗き見するつもりはなかったんだ。失礼した。
ダンスタイム前に夜風に当たりたくて人気がないところを探して歩いてたら、1人踊ってるきみを見かけてね。
つい見入ってしまったんだ」
丁寧に謝罪をいただくも、1人見られた恥ずかしさでそれどころではなかった。
「いや、誰もいないと思ってたので…お恥ずかしい…
今見たこと忘れていただければと存じます」
最低限のマナーじゃだめだと痛感した。
きっと謝罪を受けたときの返事の仕方とかあるのだろうけど、私は知識として持ち合わせてない。
家庭教師は、言葉の言い回し一つで今後の人生を大きく左右するなんて大袈裟なって思ってたけど外の世界では必要でした先生すみません。
慌てる私を見て、また男の子はくすりと笑う。
早くこの場から立ち去りたい!!
相手の方が上位貴族の場合、私からアクションを起こすのは失礼に当たったはず!
どうすればいいかぐるぐる悩んでると、男の子が口を開く。
「ここは公式な場ではないから、ここにいる間は楽にしてくれて構わないよ。
私が不躾に令嬢が1人でいるところを覗いてしまったんだしね」
発言から上位貴族であることが伺えた。
建前で楽にしてって言われたのかわからず戸惑う。
「うーん…いきなり楽にしてって言われても難しいよね。私の配慮不足だごめんね。
お詫びにはならないかもしれないし、デビュタント前の令嬢に提案するには失礼かもしれないがよければ私が練習のお相手をしても?」
意外な提案がとんできてどう答えていいか逡巡する。
「え、と…
魅力的な提案ではあるのですが、私と練習とはいえ踊ることであなた様の婚約者様の気分を害しませんか…??」
男の子は目をぱちくりさせ面くらった表情をする。
え?貴族って幼い頃から婚約者がいることがほとんどって教わったけど違った??もしかして失言!?
反応に慌ててると男の子は大きく笑う。
「あはは!面白いこと言うね!
大丈夫だから気にしないで!
ほら、嫌じゃなけば私の手を取って?」
差し伸べられた手を躊躇いがちに取り、男の子のリードで練習をする。
un,deux,trois
un,deux,trois…
「1人で練習するくらいだから、ダンスにとても苦手意識があるのかと思っていたが中々上手じゃないか」
男の子の感想に嬉しくなる。
「ほんとですか?
私、ダンスの練習時間より領民と仕事をするほうが好きで全然練習してなくて…さすがに人前で見れるくらいには踊れなきゃと思って1人で練習してたんです。」
「へぇー1人で?言われなきゃわからないくらい上手だから自信持っていいと思うよ」
初めて踊った人にこんなに褒められてとても嬉しく、きっと大丈夫と何処かで思えるようになってきた。
「初めて人と踊って、そんなふうに褒めてもらえるなんて思ってなかったです。ありがとうございます。」
踊ってるあいだ、顔をまともに見ることはできなかった。
ダンスのマナーとしては良くないと思うが、きれいな顔立ちを近距離で見る耐性は私には備わってなかった。
「あ、そろそろダンスタイムですよね。
私の練習にお付き合い頂きありがとうございました。
きっとこのあとのダンスも問題なく踊れそうな気がします!
名前も顔も存じ上げない失礼をお許しください。」
お礼も謝罪もそこそこに私は逃げるように会場へは足早に戻る。
不敬だと言われてもおかしくないだろうが、私の精一杯がこれだった。
なんとか開始前に会場へ戻り、姿が見えないことを心配していた父母に中庭で涼んでいたとだけ伝え国王陛下のお言葉を待つ。
「皆のもの、楽しんでいただけてるだろうか。
今宵がデビュタントの令嬢たちよ、このあとのダンスデビューに向け日々練習を重ねてきた努力をここで見せてもらう事となる。
このあとのダンスは一生の出来事になるであろうから楽しんでくれ。
デビュタントの令嬢たちよ、ダンスホールへ」
国王陛下の言葉でデビュタントする私を含む令嬢たちが緊張を含みながらダンスホールへ進み出る。
私のパートナーは父。知り合いの同年代貴族は居ないし、親戚にパートナーを務められる男性がいなかったから。
周囲が少しざわつく。
そうよね。父親がパートナーってなくはないけど珍しいわよね。と思いながらエスコートしに来る父を待つ。
周囲が次々にエスコートされながらダンスホールの中央へ進む中、なかなか来ない父。
不安になり見回すとまっすぐ私に向かってくる人影を見つけた。
だが、父と背格好が異なる。あの方は誰ーーー?
《あの方は王太子殿下では…》
《本日は出席されないと伺っていたのですが…》
《あの方のデビュタントのエスコートをされるのかしら…》
《てことは婚約者…?》
ざわつきの中でいくつか聞こえた声。
王太子殿下って言ってた…???
私へ向かってきてた方は私の前で立ち止まると片膝をつき手を差し伸べる。
「不躾な申し出をお許しください。
今宵のあなたをエスコートする栄誉を私めに賜らせていただけないでしょうか?」
周囲のざわつきが大きくなる。
私でもわかる。この手を取ればもっとざわつきが大きくなる。
戸惑う私に彼はいたずらをするように笑いながら小声で言う。
「私を知らないというのも新鮮だった。
それに先程の時間は私にとって楽しいひと時だった。
あなたが許すなら楽しい時間をまた私に過ごさせてほしい。
ご令嬢、私の手をお取りいただけないでしょうか?」
ゆっくり手を差し伸べる。
夢なのではないかと思いながら。
手が重なった時、彼の体温を感じる。
これは夢ではないんだ。
瞬間、ブワッと湧き上がる感情。
私今、物語のお姫様みたい。
運命の人と舞踏会で踊るってこんな感じなのかな。
「さあ、踊りませんか?」
【踊りませんか?】
「きっと、来世でも私と出会って恋に落ちてね!
約束!」
遠い遠い過去の記憶。
もう顔もぼやけてしまって思い出せない大切な彼女との約束。
僕らは出会って恋に落ち、時を共に過ごした。
彼女が病に冒されて最後のお願いとして言われた約束だ。
ただ、彼女は知らない。
僕がその約束を叶えられない存在であることを。
彼女に最後まで僕のことを話せず、ただ叶えられない約束だけをして彼女と時を違えた。
「懐かしい夢を見たな…」
セミが賑やかに鳴く暑い日の朝、僕は目を覚ましポツリと呟いた。
外は賑やかだが、僕の周りはシンッーと静かだ。
ここは街外れにある神社にある社。
社には神様が祭られる。そう僕は神様だ。
神様である僕は信仰がある限り不老不死である。
夢で見た彼女と最後にあったときから、僕の外見は全く変わらない。
これが彼女との約束を果たせない理由だ。
彼女が記憶を引き継いだまま今世に生まれていたとして、僕と出会ったときに拒絶でもされたら僕はきっとショックで自信を呪ってしまうと思う。
「……暇だし外にでも行こうかな。」
出会えるかどうかもわからない彼女と出会わないように引きこもる選択肢も勿論ある。
ただ、社には娯楽がない。いくら神様だといっても何もしないまま時間がすぎるのを待つのは苦痛なのだ。
「快晴すぎて、眩しいな…」
行き先も決めずに気の向くまま散策してると、ちょうど良さそうな木陰のある公園を見つけた。
誰もいなそうたったので、休憩がてら立ち寄ることにした。
公園は静かで木陰の中はとても心地よく、ここだけ暑さと切り離されたような空間に思えた。
見つけたベンチに腰掛け、目を閉じて耳を澄ます。
時折吹く風が葉を揺らし、葉がサワサワと音を鳴らす。
眠りを誘うような音で目を閉じていたのも加わり、うっかり寝落ちてしまった。
「ぉーぃ………」
意識の遠くで誰かの声がする。
「すいませーん…」
どうやら自分を呼んでいるような雰囲気だ。
意識を引き上げ、ゆっくり目を開ける。
目の前には長い髪を1つにまとめた女性がいた。
「あ、気が付きました??眠ってるかなーとも思ったんですけど、体調が優れないで休んでるのなら手伝えることがあればと思いまして…」
女性は遠慮がちに声をかけた理由を述べる。
なんてことだ。女性はあのときの彼女じゃないか。
いや、正確には彼女の魂を引き継いだ女性、だ。
なんと返せばいいか悩み、当たり障りもない回答をする。
「体調は問題ないので大丈夫です。
お気遣いありがとうございました」
僕の答えを聞いて彼女は安堵する。
「体調不良でないならよかったです!
…あの、不躾な質問で申し訳ないのですがどこかでお会いしたことありませんか?」
ドキリ、とした。頼む。僕のことを拒絶しないでくれ。拒絶するくらいなら忘れていてくれ。
「急にすみません。
なんか、初めて会った気がしなくて…」
「…他人の空似とかじゃないですかね。
少なくとも僕はあなたと面識はありませんよ」
鼓動が早くなる。
頼む。早く立ち去ってくれ。
「んんーー…そうですかねえ…」
彼女は首を傾げて考え込む。
あのときの彼女と考えるときの仕草は同じなのか。
ふと懐かしさを覚えながら、緊張が続く。
「気のせいなんですかね…急に失礼しました。
大丈夫そうなので私はこれで失礼しますね!」
彼女は納得した様で、公園の出口へ向かっていく。
これで、よかったんだ。深く息を吐き出し地面を見る。
彼女の足音が遠のいていく。
一目会えただけで良かったと思おう。
そう納得しようとした。
僕は神様だから。
人と恋には落ちれないんだと再度己に言い聞かせる。
「出会えたから、私と絶対に恋に落ちてね!!
ここからあなたに好きになってもらうために、私頑張るからね!!!」
遠くから大きな声で驚くようなことを告げられ、彼女は走り去っていく。
「えっ…ちょっ、ま」
反射的に立ち上がり、駆け出して行く彼女を追いかける。
彼女は長い長い時間を経て、また僕に会いにいてくれたのだ。
僕の反応を見るために様子をうかがったことはこのあと突き詰めるとして、彼女に追いついて僕のずっと伝えられなかった気持ちを伝えなければ。
僕と巡り会いにきてくれた彼女に、大きな感情をーー
【巡り会えたら】
また出会えたらきみになんて伝えよう。
伝えたいことがたくさんある。
あのとき伝えなきゃいけなかったこともたくさんある。
僕はまだきみに出会う資格がないまま目の前の道を歩き続けるーーー
きみと出会ったのは中学の入学式。
第一印象とかもうとっくに覚えてない。
仲良くなったきっかけとかもわからない。
気がついたら仲がいい友達という認識。
仲良くならない世界線なんてなかったんじゃないかってくらい僕らは気が合う友人だった。
あの頃は毎日が楽しくて、僕らが世界の中心じゃないかってくらい賑やかだった。
周りに人がいてワイワイ話してても、自然と互いの隣が指定ポジションかのように並んでいる。
話が尽きないのかと聞かれても、とてつもなくくだらない話ですら楽しく話せる。
僕らはワンセットのような扱いだった。それが普通の日々だった。
あの日はとてつもなく寒い日で、いつ雪が降ってもおかしくないのではと言われるような日だった。
中学2年生のとき。
きっかけは覚えてない。
ただ、これまでしたことないような大喧嘩をした。
互いに引っ込みがつかなくなってるのを感じていたが、折れることは僕もきみもできなかった。
そんななか売り言葉に買い言葉で僕らは一線を踏み越えた。
「お前なんか嫌いだ!!!」
「ああそうかよ!こっちのセリフだバカ!!!」
その日は別々に帰ったのを覚えてる。
互いに用事がないのに別々に変えるなんて初めてだった。
しかもこの日に限って他の友人とも都合が付かず、1人帰路についた。
歩きながらぐるぐると考えていた。
なんであんなこと言ってしまったんだろう。
僕が素直に途中で謝れば一緒に帰れてたのではないか。
けど、向こうだって悪いところがあるんだから謝るべきじゃないのか。
でも僕がいけないことが多いよな。
1人考えてると思考が負のスパイラルに堕ちていってとめどなくネガティブになっていく。
今日は気持ちの整理がつかないから、明日朝イチで謝ろう。
そう決めて僕は帰宅し早々に就寝することにした。
翌日朝早くに自宅を出る。
家族はいつもと違う僕の様子に気が付いていただろうが、何も聞かずにいつもどおり接してくれてありがたかった。
駆け足で教室へ飛び込む。だが、きみはまだ来ていなかった。
いつ来るかそわそわしながら、登校して来た友人たちと他愛もない話をしながら待つも一向に来ない。
そのうちホームルームの時間となり先生が教室へ入ってくる。
きみはそれでも来なかった。
「ホームルームの前にみんなに伝えなきゃいけないことがある。
〇〇が昨日帰宅途中に交通事故に巻き込まれて入院することになった。
親御さんからは心配いらないのでお見舞い等の気遣いは不要と言伝を預かってるので、押しかけたりしないようにな!
それじゃ連絡事項伝えるぞーーーーー」
きみが事故にあったってところから周りの音が急に遠ざかった。
僕らが喧嘩をしなければ、してたとしてもその場で謝れてれば、一緒に帰宅出来てれば防げたのではないか。
交通事故の原因の一端は僕との喧嘩なのでは…。
その後如何したかはよく覚えてない。
気がついたら放課後になってたくらいの感覚だった。
そんな僕を気遣ってかクラスメイトはそっとしておいてくれた。
「話があるからついて来るように」
放課後、教室を出ようとした僕に先生が声をかける。
連れて行かれたのは生徒指導室。
今日の僕の態度を注意されるのかと、言われても仕方ないなと思っていた。
「お前にだけは伝えておいてほしいとのことだったから伝えるけど、よく聞くように。
〇〇は、外傷こそ軽症なものの意識がないらしい」
意識がない。神様は居ないと思った瞬間だった。
「〇〇のご両親が仲の良かったお前にはって希望で病院の場所も聞いている。
向かうときは周りの奴らに伝えずこっそり行くように」
そこからの僕は行動が早かった。
先生から病院の場所を聞くと一目散に病院に向かった。
病室の前で自分が入室していいのか、ご家族と会ったことないけどなんて声を掛ければいいのだろうかと、うだうだ悩んでいるとガラッとドアが空いた。
「〇〇の仲がいいお友達よね?
先生から聞いて来てくれたのかしら。よかったら顔を見てあげてちょうだい」
おそらくお母さんだろう女性が僕を見て招き入れる。
「来てくれたところ申し訳ないのだけど、まだ意識が戻らなくて顔を見てもらうしかできないのだけれどそれでもよければ話しかけてあげて」
僕は言われるがまま部屋に入る。
息が詰まる。
生きてるのに生きてないように見えるアイツ。
このまま目を覚まさなかったら…なんて想像したくないことを思ってしまう。
「眠ってるみたいでしょ。お医者様が言うには外傷的要因ではなく、精神的要因で意識が戻らないそうよ」
思考してる中で急にかけられた声にビクッと身体が震える。
「ご…めんなさ、い…。
昨日僕が喧嘩なんてっ、しなければ…一緒に、帰っていたら…こんなことには、ならなかったかもしれないの…に、
ごめんなさい…ごめっ、なさ…」
言葉が喉に張り付いてうまく出ない。
言葉を紡ぐたびにぼろぼろと涙が溢れる。
「…道に飛び出した子供を助けるために車道へ飛び出したって警察の人が言ってたわ。
子供は無事で誰も大怪我をしない事故だったって。
この子のお陰だって。
あなたと喧嘩したから事故にあった訳ではないから、そこは気に病まないでちょうだいね。
あなたと会ったら、目が覚めるかもっていう私のエゴなのよ。ごめんなさいね。」
目に涙を溜めながら気丈に振る舞う〇〇の母。
僕はそれを見て決めた。
「…あの、迷惑でなければ毎日顔を見に来てもいいですか?
僕、目が覚めた彼に喧嘩したことを僕から謝りたいんです」
「迷惑も何も、きっとこの子も喜ぶわ。
けど、あなた自身の時間を消費することないのよ。
時間があるたまにでいいからね」
それから僕は毎日毎日、時間が許す限り顔を見に行った。
その日の天気、テストの点数、授業中の面白かったこと、いろんなことを話した。
きみはまだ起きなかった。
「今日は修学旅行について相談したよ。
僕と同じ班になるようにしてもらったから、一緒に行こうな」
そんな他愛無く希望を込めた話を毎日する。
喧嘩をした寒い日から季節が2つ、変わろうとしていた。
僕は全部、話を楽しく聞いていた。
僕の方こそ謝りたかった。
今までの楽しい日々を喧嘩なんてピリオドで終わらせない。終わらせたくない。
僕はきみにもう一度出会うためにひたすら目の前の道を歩く。
きっと終着点について、目を開けたらきみの驚く顔が目の前に広がると信じてーーーーー。
【奇跡をもう一度】
たそがれ。黄昏。誰そ彼。
古くから境界が曖昧になると謂われる時間。
逢魔が時。
暗くなる時間であり、人々の顔の認識がしづらくなる為、人ならざるものがまじっているのではと心に不安を広げる時間ーーー。
「はぁっ、はっ……なんっ…くそ!!!」
俺は帰路を急ぐ人々の間を縫うように、時々躓きながら走り抜ける。
通り過ぎる人たちからは訝しげな視線や、苛立ちの視線を向けられるも特に追求されずに通り過ぎていく。
なぜ俺がこんな目に合わなければならないのか。
なぜ俺だけなのか。わからない。何もわからないがこれだけはわかる。
絶対に立ち止まってはいけない。
立ち止まったら最後、俺は捕まるーーー。
数時間前、俺はいつものように友達と帰宅していた。
今日あった他愛もないことや、他のやつが話してた面白話を馬鹿みたいに大騒ぎしながら帰っていた。
そんな中、友人の1人が急に言い出した。
「この先にある林にさー、丑の刻参りしてる奴がいるって噂知ってる???」
丑の刻参り。
午前2時頃に正装をし、藁人形に呪いをかけたい対象の髪の毛を入れたものを五寸釘で打ち付ける儀式。
人に見られると自分に呪いが返ってくる。
たしかこんな感じのやつ。
「どうせこのあとすることもねーし、ちょっと見に行ってみねえ??」
誰が言っただろうか。今となってはどうでもいい。
その時の俺らはテンションがハイになっており、2つ返事で見に行くことを決めた。
「ひょえー。まだ夕方だっつーのにめちゃくちゃ暗えー!」
噂のことを言いだしたやつは、話すことだけが好きなビビリだった。
人の肩をがっちり掴み、俺を盾になんとか歩いてる。
時刻は16:00。夕方と言うには少し早いかもしれないが、林の中は木が無法地帯となっており殆ど光が届かない状況だった。
「お前ビビりすぎじゃね??人を盾にしてんなよな。
アイツを見習えアイツを」
俺とビビり散らかしてる奴をおいて、スイスイ進んでいくもう一人の友人。
「いやだって噂っつってたろ?
事実かどうかわからないもんに、今からビビってても仕方なくね?」
しれっと答えながらどんどん進んでいく。
林だからもちろん道なんて呼べるような整備した道路はなく、草木をかき分けて歩いていく。
「な、なあ…だいぶ進んだし、ないっぽいから戻ったほうがよくね???結構暗くなってきたしよお」
ビビりまくりながら人の背後で帰宅を提案する奴の言葉を受け時刻を確認する。
時刻は17:45。日が沈みきるか否かの時間だ。
たしかにいい時間だと思ったため、前を歩く友人に声をかける。
「おーい。もう18:00になりそうだぜ。帰ろうぜ」
声をかけると友人は歩みを止め振り返る。暗くて表情はわからない。
「は?お前嘘ついてんじゃねーよ。
俺らがここに入ったのは16:00くれーだろ?
そっから歩いてきて多く見積もっても30分くらいしか進んでねーのに18:00になる訳ないだろ??」
友人の言葉に俺らの動きが止まる。
たしかに俺らはここに入ってそんなに経っていないはずだ。2時間も歩き通したらクタクタになるだろうし、そんな疲れは覚えてない。
じゃあなんでこんなに時間が経ってるんだ???
「な、なあ…ここ、なんか変じゃね??
早く出よう、ぜ…?」
俺の後ろで震えながら早く出ようと友人が急かす。
「そ、そうかもな…。おい、さっさと帰ろーぜ」
ーーーヒヤリーーー
全員の動きが止まったのがわかった。
空気が急激に冷え込んだのだ。
ナニカ、ヰる。
視界の端でゆらり、と何かが動いた気がした。
本能が見るなと警告を出す。見るな見るなと思えば思うほど視線を集中させてしまう。
「走れ!!!!!振り返るな!!!!」
誰が言ったのだろうか。俺か。アイツか。
わからないがみんな一斉に来た道を駆け出して戻る。
走っても走っても変わらない景色に涙を耐えながらひたすらに駆け抜ける。
転びそうになりながら、転んだら終わりだと必死に体制を立て直して只ひたすらに走る。
漸く林を抜けると、俺達は立ち止まりもせずそれぞれ別方向へと散った。
感覚からして、後ろに何か来てる。
ああくそっ。俺に向かってきたか。
人々が行き交う大きな道に出ても俺はまだ走るのをやめられなかった。
振り向けないが背筋に冷や汗が流れる感覚がするからだ。
きっとヰる。
息が苦しくて足が痛い。次躓いたらもう俺は走れないだろう。
ナニカがわからず、わからない故の恐怖から必死に逃げようと疲れ果てた足を気力だけで前に出す。
「あっ……」
とうとう疲れ果てて躓き転んだ。
起き上がれない。痛みからではなく恐怖で、だ。
ジャリッ、ジャリッ、と地面を踏みしめる音が近づいて来る。
心臓の音がひどく大きく聴こえる。呼吸が浅く速くなる。
ジャッ、と俺の近くで足音は止まる。
ゆっくり、ユックリと気配が俺に近づく。
「こんなところで何してんの?」
聞き覚えのある声がした。
ばッと顔を上げるとビビり散らかしてた友人だった。
「おまっ…、驚かすなよ…!
無事だったか」
よく知った相手だとわかった途端、張り詰めていた気が解ける。
「いやいや!?驚かすなよはこっちが言いたいわ!
なんでこんなところではいつくばってんのさ!」
「あれからずっと走り続けてたんだわ!
なんかわかんねーけど止まったら終わり感あったし、全員バラバラに出てきたからお前らがどうなったかわかんねーし!
あいつは無事か?? 」
「んー??無事なんじゃない?
アイツ だよね」
「なんて??よく聞こえなかった」
「いんや?なんでもねーよ。連絡してみたら?
俺もう充電なくてw」
「そう??充電俺もあっかなー…
連絡できそうならしてみるわ」
携帯を開くと充電は30%。
充電が切れないうちに急いで連絡を取ろうとSNSを開く。
すでに向こうから安否を確認する連絡が来ていた。
「アイツ無事だってーーーー」
そう言った瞬間、言葉に詰まる。
『お前無事??
俺らは合流した!!』
目の前にいるはずの友人から、友人といる旨の連絡が入ったのだ。
どういうことだ??俺を驚かそうと2人で企んでいるのか??
ただ、目の前の友人は携帯を触ってなかった。
「ん?どったの??」
俺に向き直り声をかけてくる友人。
暗くて表情は見えない。
そこにいる彼は誰だろう
【たそがれ】
「何度言ったらわかるんだ!!
こんなことすら出来ないならこの仕事は向いてないぞ!!!!」
バンッ!と必死にまとめた資料を乱暴に机に叩きつけながら、上司は私を叱咤する。
ーー向いていない
そんなこと言われなくても、1番自分がわかってる。
「申し訳ありません。至急修正します」
机に投げ出された資料を回収し、頭を下げる。
変に言葉を付け足すと話が長くなるから謝罪だけ言う。
何度もこの上司にダメ出しを貰うたびに身についた早く切り上げる知恵。
こんな知恵つけたくなかったなと思う。
「今日中に訂正して出しに来い。いいな」
は?今日中?
すでに時刻は15:00。この仕事以外に同時進行で進めてる案件も複数あり、どれも締め切りが近しいものばかり。
どれもこれも現在の自分のスキルより少しレベルが高い案件ばかりであったため余裕を持って進めていてもダメ出しで通らず進みが悪いのだ。
「今日中。わかったら早く席に戻って取り掛かるように」
返事がなかったからか、容赦ない言葉を追加でかけてくる上司。
「…わかりました。失礼します」
返事をする以外選択肢がないため憂鬱な気分で自席に戻る。
残業確定コース。最悪だ。
残業にならないよう必死にペース配分して進めてきてるのに、いつもこう。毎回こうだといっそ個人的に嫌われていて嫌がらせされてんじゃないかとさえ思う。
『災難だね。手伝えることあったら遠慮なく言ってね!』
隣席の先輩が社内チャットで気遣いをしてくれた。
気持ちだけでもとてもありがたい。
先輩も大きな案件の企画メンバーなため、本当に手伝ってもらうときはやばいときだけにしたい。
『今のところは大丈夫なためやばくなったら助けてほしいです;』
先輩へ返事をし、修正を命じられた資料を確認する。
チェックが入ってる項目は少なくない。
修正するための資料確認や情報精査に取り掛かる。
かなり時間を要するためあっという間に定時となり、殆どの社員は退社していった。
残っているのは自分と、上司だけ。
本当に嫌な空間だ。
私はもともと総務部所属を希望して入社した。
それなのに何故かマーケティング部へ配属され、自分のスキルより高い要求をされ、自分を嫌う上司がいて且つ今は他に人もいないという地獄。
早く終われ早く終われと思いながら必死に修正し提出する。
「まあマシになったから、今回はこれで受理する。
はじめからこのくらいの資料を作れるようになれ」
嫌味を言わないと受け取れないのか?!と思いつつオーケーが出たのでお疲れ様でしたと挨拶をし、足早にフロアを出てエレベーターに乗る。
エレベーターを降りたところでデスクにペンケースを忘れたことを思い出し、明日でもいいかなと思いつつ紛失でもして部内の人を疑うほうがやだなと思いため息をつきながら引き返す。
まだ上司は残ってるよな…と重い足取りでフロアに向かったが誰もおらず、自席のペンケースを回収し引き返そうとしたが、どこからか話し声が聞こえて足を止める。
どうやら会議室のほうから声が聞こえてくるらしい。
こんな時間に会議なんてないよな?という疑問と怖さもあったが、好奇心が勝り誰がいるかだけでもわからないかと少し様子を見ることにした。
どうやら声の主は自分の上司と商品開発部の部長らしい。
次の会議の打ち合わせかであれば自分が聞かないほうがいいだろうと思い立ち去ろうとした時に、商品開発部の部長の声で自分の名前が呼ばれた気がして立ち止まった。
振り返るも人影はなく、自分を見つけて呼んだのではなく話の中で私の名前が上がったらしいことを認識した。
自分の名前が出るような話とは何だろうと気になってしまい、良くないことだがどんな話をしてるか聞いてみたくなった。
「そういえばきみの部下の子、今日も厳しく叱ってたねえ。
フロアが違う僕のところにも話が届くくらいだから、だいぶ本人は参ってんじゃないかな。
今時はパワハラだの何だのってうるさいし、若い子は別の会社に直ぐに移っていっちゃうからもう少し優しくしてあげたらどうだい?」
商品開発部の部長が上司に向かって問いかける。
え?私が上司に怒られてるのって他部署にも筒抜けなの??
他部署にも知られているという羞恥と、自分を擁護する言葉に共感しつつ上司はなんと答えるのかと言葉を待った。
「アレでいいんです。今後も対応を変える気はありません」
「でもねぇきみ…」
断固として自分のやり方を変える気がない上司の回答に、商品開発部の部長は戸惑う。
部長!もっと言ってください!私の勤務環境変えてください!!と心の中で応援していると、戸惑う商品開発部の部長に上司が告げた。
「アイツはまだ伸びしろがあります。
ただ、本人がそれに気づいておらず現状が自分の限界だと思ってる節があります。
丁寧に伝えたり希望的な伝え方をするとお世辞と受け取る傾向がありそこまで伸びません。
厳しいと思われるかもしれませんが、実践してスキルを伸ばす方が伸びがいい。
アイツがこの先大きな案件を任されてもやりきれるように、私はやり方を変えるつもりはないです。」
「そこまで見据えてるとは…僕がとやかく言うようなことじゃなかったようだね、忘れてくれ。
来週の会議の打ち合わせをして、今日は帰るとするか。」
帰る気配が出てきたため鉢合わせないよう慌てて会社をあとにした。
帰路では上司の言葉が反芻していた。
正直、嫌われてそうされてると思っていたので自分のためと知って驚いた。
確かに褒めて伸ばすという手段をされた場合、褒められるのは嬉しいが自己評価が高くはないためお世辞ではないかと思い今が限界だと思うところがあるのはわかっていた。
今よりも伸びると信じてくれて、伸ばそうとした結果がアレかと思わなくもない。
キツくてやめたいと思ったことも一度や二度ではない。
それでも、期待されてると知ってしまったからにはいつか上司にダメ出し無しで良くやったと言わせたい。
今日聞いてしまったことは自分だけの秘密だ。
きっと明日からも今までどおりダメ出しの嵐だろうけど、目の前の仕事と戦うんだ。
打倒!上司のダメ出し!
頑張れ明日からの自分!
【きっと明日も】