月明かりが差し込む。
時刻は草木も眠る午前2時。
私の時間はここから始まるの。
大きな音は出してはいけないから、足音も鳴らないように気を配る。
un,deux,trois
un,deux,trois
1人ダンスのステップを踏む。今は人目を忍んでしか踊れないけど、いつか私をエスコートしてくれる人と一緒に踊ることを夢見てーーーー。
私は所謂、地方を治める男爵のひとり娘。
貴族階級では下も下。領地運営に多くの経費を割いているため私達家族は質素な生活をしている。
領民は私達領主一家に好意的で、よく働く人ばかりのため領民の生活は豊かな方だと思う。
私の父は貴族然としているのとが苦手らしく、日々領民と混じっていろいろな仕事をしている。
雑談の中であれが困ってる、これが壊れてるなど聞けばすぐさま修理や改善の手配をするような領民思いな人だ。
母は家の事を進んで行う人で運営会議や外交のみならず、屋敷の維持管理などの掃除まで行うのだ。
母が掃除に参加するのもあり、家の使用人は少数精鋭で多くない。
単に地方なため働きに来てくれる人がほとんどいないっていうのもあるかもしれないが…。
そんなふたりのもとで幼少期を過ごしてきた私は、領民の仕事の手伝いも屋敷の掃除も楽しく行う淑女とは異なる貴族令嬢へ育った。
勉強はそこそこに、淑女教育は最低限のマナーさえあれば問題ないわと家庭教師泣かせな子だった。
そんな私でも舞踏会への憧れはあった。
舞踏会なんて王族から招待されない限り出席しない我が家だけど、いつの時代も女の子として1度は運命の人と舞踏会で踊ることを夢見ることはあるわけで。
領民の子供らと話すときに、年頃の女の子がいるときは必ず舞踏会への憧れの話が上がるのだ。
夜更けに1人、練習するのには訳があった。
淑女教育は放り出してるため、ダンスがからきしなのだ。
ダンスが難しすぎてステップや首の角度など細かいことを覚えながら動くのが私にはどうも合わず放り出す要因なのであった。
苦手でも憧れはあるわけで。
こうして時間を作っては練習をしているのだ。
「いつか、こんな私でも一緒に踊ってくれる人が現れたらいいなあ…」
そんな日々を過ごしていた中、社交シーズンに入った。
社交シーズン開幕を宣言する舞踏会が開催されると、王家より招待を承った我が家は慌しく準備をし参加する運びとなった。
開幕を宣言する舞踏会は初めて社交界へ参加する貴族令嬢のデビュタントを兼ねている。
私はここで社交界デビューするのだ。
緊張で動悸が激しい。足が竦む。ミスは許されない。
舞踏会参加が決まってから今日までの毎日はあっという間に過ぎていった気がする。
気がついたら会場へ入場待機しており、気がついたら開幕宣言を国王陛下がしていた。
私、ミスをせず入場できたってことでいいのよね??
緊張で入場前後の記憶がまっさらだ。
地方貴族の私は、王都に交流のある同年代の貴族がいないため開始早々壁の花になっていた。
『これなら、領民と話ししたり仕事したりしてたほうが楽しいかも…』
ポツリと1人、人々を眺めてると領民とワイワイしてるときのことが浮かんできて早く帰りたいなと思えてきた。
もちろんそれができないことはわかってる。
貴族にとっては社交は立派な仕事の1つだからだ。
父も母も他貴族と話術の応戦をしているなか、娘の私のわがままで退席するわけには行かない。
「中庭にでも行こうかしら…」
中庭は立入禁止とお触れがなかったなら、散策することは可能なはずだ。
私はそっと会場を出て中庭へと進む。
道中、案内役のメイドや見張りをしている騎士があちこちにいた。
そのうちの1人に中庭への道を聞き、中庭を目指す。
「ここなら静かで落ち着くわ。」
中庭に着き、キレイに整えられている薔薇を眺める。
人気はなく、月明かりに照らされてる薔薇はとてもきれいだった。
「…ちょっと踊ろうかしら、もし失敗しても誰もいないし恥ずかしくないわよね。
まだ時間もあるだろうし、やろう」
デビュタントした令嬢は、ダンスホールで1番に踊る慣習があることは知っている。
ただそこで失敗したらデビュタントでダンスを失敗した令嬢とレッテルが貼られるのは確実だろう。
流石にそれは避けたい。
un,deux,trois
un,deux,trois…
いくらテンポについて行けるようになっても、ステップを間違えないようになっても、姿勢がキープできても、所詮1人練習。
パートナーのステップがどう動くかわからないので、相手の足を踏んでしまうかもしれない。
そんな不安はどんなに練習しても拭えなかった。
「はぁ…不安って練習しても拭えないのね…」
思わず心配が溢れる。
くすっと笑い声が聞こえる。
誰かに聞かれた!?
声がした方へ勢い良く振り向く。
そこにはきれいな顔立ちをした同年代と思われる男の子がいた。
正装をしてるためどこかの貴族令息だとは思うが、なにぶん貴族には疎いので誰かわからない。
どう反応すればいいか固まっていると向こうから声をかけられた。
「覗き見するつもりはなかったんだ。失礼した。
ダンスタイム前に夜風に当たりたくて人気がないところを探して歩いてたら、1人踊ってるきみを見かけてね。
つい見入ってしまったんだ」
丁寧に謝罪をいただくも、1人見られた恥ずかしさでそれどころではなかった。
「いや、誰もいないと思ってたので…お恥ずかしい…
今見たこと忘れていただければと存じます」
最低限のマナーじゃだめだと痛感した。
きっと謝罪を受けたときの返事の仕方とかあるのだろうけど、私は知識として持ち合わせてない。
家庭教師は、言葉の言い回し一つで今後の人生を大きく左右するなんて大袈裟なって思ってたけど外の世界では必要でした先生すみません。
慌てる私を見て、また男の子はくすりと笑う。
早くこの場から立ち去りたい!!
相手の方が上位貴族の場合、私からアクションを起こすのは失礼に当たったはず!
どうすればいいかぐるぐる悩んでると、男の子が口を開く。
「ここは公式な場ではないから、ここにいる間は楽にしてくれて構わないよ。
私が不躾に令嬢が1人でいるところを覗いてしまったんだしね」
発言から上位貴族であることが伺えた。
建前で楽にしてって言われたのかわからず戸惑う。
「うーん…いきなり楽にしてって言われても難しいよね。私の配慮不足だごめんね。
お詫びにはならないかもしれないし、デビュタント前の令嬢に提案するには失礼かもしれないがよければ私が練習のお相手をしても?」
意外な提案がとんできてどう答えていいか逡巡する。
「え、と…
魅力的な提案ではあるのですが、私と練習とはいえ踊ることであなた様の婚約者様の気分を害しませんか…??」
男の子は目をぱちくりさせ面くらった表情をする。
え?貴族って幼い頃から婚約者がいることがほとんどって教わったけど違った??もしかして失言!?
反応に慌ててると男の子は大きく笑う。
「あはは!面白いこと言うね!
大丈夫だから気にしないで!
ほら、嫌じゃなけば私の手を取って?」
差し伸べられた手を躊躇いがちに取り、男の子のリードで練習をする。
un,deux,trois
un,deux,trois…
「1人で練習するくらいだから、ダンスにとても苦手意識があるのかと思っていたが中々上手じゃないか」
男の子の感想に嬉しくなる。
「ほんとですか?
私、ダンスの練習時間より領民と仕事をするほうが好きで全然練習してなくて…さすがに人前で見れるくらいには踊れなきゃと思って1人で練習してたんです。」
「へぇー1人で?言われなきゃわからないくらい上手だから自信持っていいと思うよ」
初めて踊った人にこんなに褒められてとても嬉しく、きっと大丈夫と何処かで思えるようになってきた。
「初めて人と踊って、そんなふうに褒めてもらえるなんて思ってなかったです。ありがとうございます。」
踊ってるあいだ、顔をまともに見ることはできなかった。
ダンスのマナーとしては良くないと思うが、きれいな顔立ちを近距離で見る耐性は私には備わってなかった。
「あ、そろそろダンスタイムですよね。
私の練習にお付き合い頂きありがとうございました。
きっとこのあとのダンスも問題なく踊れそうな気がします!
名前も顔も存じ上げない失礼をお許しください。」
お礼も謝罪もそこそこに私は逃げるように会場へは足早に戻る。
不敬だと言われてもおかしくないだろうが、私の精一杯がこれだった。
なんとか開始前に会場へ戻り、姿が見えないことを心配していた父母に中庭で涼んでいたとだけ伝え国王陛下のお言葉を待つ。
「皆のもの、楽しんでいただけてるだろうか。
今宵がデビュタントの令嬢たちよ、このあとのダンスデビューに向け日々練習を重ねてきた努力をここで見せてもらう事となる。
このあとのダンスは一生の出来事になるであろうから楽しんでくれ。
デビュタントの令嬢たちよ、ダンスホールへ」
国王陛下の言葉でデビュタントする私を含む令嬢たちが緊張を含みながらダンスホールへ進み出る。
私のパートナーは父。知り合いの同年代貴族は居ないし、親戚にパートナーを務められる男性がいなかったから。
周囲が少しざわつく。
そうよね。父親がパートナーってなくはないけど珍しいわよね。と思いながらエスコートしに来る父を待つ。
周囲が次々にエスコートされながらダンスホールの中央へ進む中、なかなか来ない父。
不安になり見回すとまっすぐ私に向かってくる人影を見つけた。
だが、父と背格好が異なる。あの方は誰ーーー?
《あの方は王太子殿下では…》
《本日は出席されないと伺っていたのですが…》
《あの方のデビュタントのエスコートをされるのかしら…》
《てことは婚約者…?》
ざわつきの中でいくつか聞こえた声。
王太子殿下って言ってた…???
私へ向かってきてた方は私の前で立ち止まると片膝をつき手を差し伸べる。
「不躾な申し出をお許しください。
今宵のあなたをエスコートする栄誉を私めに賜らせていただけないでしょうか?」
周囲のざわつきが大きくなる。
私でもわかる。この手を取ればもっとざわつきが大きくなる。
戸惑う私に彼はいたずらをするように笑いながら小声で言う。
「私を知らないというのも新鮮だった。
それに先程の時間は私にとって楽しいひと時だった。
あなたが許すなら楽しい時間をまた私に過ごさせてほしい。
ご令嬢、私の手をお取りいただけないでしょうか?」
ゆっくり手を差し伸べる。
夢なのではないかと思いながら。
手が重なった時、彼の体温を感じる。
これは夢ではないんだ。
瞬間、ブワッと湧き上がる感情。
私今、物語のお姫様みたい。
運命の人と舞踏会で踊るってこんな感じなのかな。
「さあ、踊りませんか?」
【踊りませんか?】
10/4/2024, 12:51:08 PM