匿名様

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5/13/2023, 4:32:08 PM

「たっだいまぁ」
鍵の開く音、玄関から聞こえてきたやけに弾む声色がルームメイトの帰還を知らせる。意味もなくタイムラインをスクロールしていた指を止め、先程まで子猫の動画に癒されていた視線を移動させた。
手洗いうがいを済ませた後にリビングまで来た彼女は、近くのスーパーへおつかいに行っただけだというのに、なぜか誇らしげに片手のマイバッグをこちらへ掲げている。
「おかえり」
ひとまずお決まりの台詞を返し、相手の次の行動を待つ。が、彼女はいかにも何が問いかけてほしそうな気配を漂わせ、しかし無言で私の正面に仁王立ちするのみである。彼女がこんな風に浮き足立っているのは大抵小さな、しかも私にとっては割とどうでもいいことであると知っているからこそ気は微妙に乗らなかったが、このまま無視することもできない。
「……何かいいことでもあった?」
私がそう問いかければ、彼女はたちまち表情を輝かせておつかいの成果を発表し始めた。
「ふっふっふっ……よくぞ聞いてくれたね親友よ」
ご機嫌なルームメイトはそう言うと同時にバッグの中へ手を突っ込み、まるで某有名猫型ロボットが秘密道具を公表する時のように「じゃじゃーん!」と高々にいつくかの箱や袋を取り出した。
共通してカラフルかつポップで可愛いデザインのそれらは確かに見覚えはあれど、今となってはもう買うどころかまともに見ることすらなくなったもの。
「知育菓子……?」
言いたいことは色々浮かぶも、予想もできなかったそれの登場にどれもまともな音となって発されることはなかった。
「なんで」
彼女と私の間にある明らかな温度差。少しの沈黙の後に口をついて出たその質問も、私の顔に浮かんでいただろう困惑の表情も彼女にはいつも通りに見えたのだろうか。全く気にしていなさそうな様子で首を傾げた。
「安くなってたから。やろうよ」
「ええ……」
あっけらかんと答える彼女に、そういえばこういうやつだったと今までのあれこれを思い出しては自分を納得させる。別にこれに付き合ったところで何か損をするわけでもないし、今日はこの後何をすべきかも考えていない。多少素直な戸惑いは漏れてしまったが彼女の遊びに付き合うのも悪くはない選択肢かもしれない。笑いと呆れを含んだ息をそっと吐いてから、まあいいよと了承を返した。

それから数分。
パッケージの内容物と水を混ぜて、出来た塊やらクリームやらを伸ばして、絞って。
やるからにはイメージ画像のように綺麗に作ってやろうと意気込むも、意外と難しいのか私が不器用なのかなんだか不格好な形が並んでいく。雑談をちまちまと交わしながら二人でテーブルを囲み、時折彼女の方を見れば、私よりずっと上手な出来栄えであることを知ってなんだか悔しさを覚える。
やがてフルコースだと言わんばかりにテーブル上にずらりと並べられた、寿司やら和菓子やらをかたどったお菓子たち。幼いころの自分が見たら手を叩いて喜んでいたかもしれないと想像し、先程までの自分も案外集中して楽しんでいたことを思い出しては気恥ずかしくなった。
「最後にやったのいつぶりだろうねぇ。こういうの得意だったんだよ。工作とか」
「たしかに。そんな感じする」
写真を撮り、いただきますをして、指先で摘める小ささの一つをまた少し眺めてから口に運ぶ。
甘い。コーラ味だとかグレープ味だとかの、当然ながら見た目の料理とは到底かけ離れたソフトキャンディやグミの味。スイーツの形のものはモデル風味らしいがどちらかと言えば駄菓子な気もする。好みの別れそうな何とも言えない味に懐かしさを覚えた。
「前動画かなんかでおすすめに流れてきてやりたかったんだよね」
「なるほど。それで丁度いいことに安くなってたのを見つけたわけね」
「そゆこと」
彼女はにまにまと楽しげに手元の菓子を練っては、スプーンですくわれた薄紫のふわふわに細かいキャンディを纏わせる。そうしてそれをひと口食べると、気まぐれな親友は「またやろうね」と笑った。
彼女がいなければ家の中で過ごす休日はこんなに新鮮ではないのだろうなと思う。普段ひとりでは思い付かないようなことを共有してくれる友人への好感をもって、私はいつも「気が向いたらね」と返してやるのだ。


【おうち時間でやりたいこと】

5/12/2023, 3:59:44 PM

影を踏んで、草花をちぎって、雲に形を見出して。
全ては途方もなく広くて、きらきらと色を教えてくれた。知り得た何もかもが不思議で、理解したことが自慢で愉快だった。

全てが “そういうもの” なのだと目に馴染んだ今、振り返ることしかできないそれらの思い出は多少なりとも都合よく脚色されているのだろう。それでも、妥協と暗黙を身につけて社会を歩かざるを得ないこの現状からしたら、その時代には確かに戻りたいと願うだけの価値があるのだ。
時間は不可逆である。世の理で、常識で、納得しきれないもやもやをいくら抱えようとも、自分では覆すことなど出来ない。だから理解したふりをして、そのもやもやをどこかちょうどいい所に収めておくしかなかった。

冷えた夜風に息を吐く。
こうして窓を開け、暗闇に浮く月と星を見て。いつか金色の粉を振り撒く妖精が偶然にも目に映ることをどこかで期待している。逃げた影を追う純粋で気ままな少年に手を引かれることを夢見ている。
自分は周囲が思うより大人になりきれていないのだ。正しく大人に成長する道のりも知らずに、時間に流されるままで外側だけ立派になってしまった。教えの乞い方も知らなかった。

他の皆はどうなのだろう。皆自分と同じように、大人になりきれない自身と片手を繋いで生きているのだろうか。もしかしたら本当の “大人” なんてどこを探してもいないのかもしれない。
そんなことを考えれば馬鹿らしくなって、塩気がしみた考えは次第に環境音に溶けて消える。

ああ、でも。やっぱり純粋に大人に憧れたあの頃が恋しい。
彩られた記憶より少し褪せた世界を眺め、もう届かないネバーランドを夢想した。


【子供のままで】

5/11/2023, 5:11:17 PM

「君といる時間は替えのきかない宝物だった!」

フェンスの向こう、彼は清々しそうな顔でそう声を上げた。それは狂気的であり、なおかつ青春じみている。晴天は祝福も批判もせず、ただ黙ってこの光景を見下ろしていた。
告白などとうの昔に済んでいた。毎度あきれて笑うような熱量の愛も十分すぎるほど受け取った。だというのに。
本当にばかな人だ。きっとその言葉を届けたい相手がどこにいるのかわからないから、どこにでも届きそうなこの場所で叫んでいるのだろう。残念ながら自分はその視線の先、天にも星にもいないというのに。自由で、でも以前よりずっと小さく見えるその背を見つめた。

彼の中で自分が占める割合は、自分が想像しているよりもずっと大きかったらしい。それは逆も然り。
まさに運命と呼ぶにふさわしい出会いだったのだろう。だからこそこんなことになってしまったのだ。
もしくは、未だこうして自分がこの人のそばに居るからだろうか。いるはずのない自分の存在が何かしら精神に影響を与えていると言われても否定はできない。
ただ、今更離れてやるつもりもないのだ。
これを呪いだ祟りだと思うのなら、どうぞそう呼べばいい。恋情なんて皆等しく狂気であるのだ。でなければ世界の中心で愛を叫ぼうだなんて思いつくはずもない。

心残りなんてなさそうに、未来に希望を持ちながら宙に踏み出す彼の背へと透ける手を伸ばして、すり抜けたフェンスの先で抱きしめた。
「やっと、やっぱり、また会えた」
目が合って、見開いて、涙は上に落ちていく。誰にも邪魔などされようのない、世界一幸福な再会の時だった。
そうして二人、地上に降り立ったのなら。自分たちだけが聞けるその声で、待ち望んだ「愛してる」でも人目をはばからず笑って言い合おうか。


【愛を叫ぶ】

5/10/2023, 3:40:39 PM

白い、いくつもの小さな花弁がひらひらと羽ばたき、宙を踊る。
春を実感し、その光景を眺める貴方の髪が、風に吹かれて溶けていく。周りの花に馴染んで消えてしまいそうな優しい香りがした。
無意識のうちに身体を寄せようとして、止めた。
貴方には少し大きいブラウスが柔らかくその裾を揺らし、不思議そうにこちらを振り返った貴方に口を開きかけた。止めた。なんでもないとまた微笑んで誤魔化した。

貴方は天使なのかもしれない。
崇高で、美しく、この世界には相応しくない。
触れることも、声を掛けることすら毎度躊躇ってしまう。しかし隣にいたかった。
春に貴方を見ると不安になる。
よく似合いすぎているから。貴方のためにこの季節はあるのだと錯覚してしまう。春が終わったら、元からそこにはいなかったように丸ごと消えてしまうような気がして。

そんなことはないとわかっている。
どれもこれも、自分が勝手に見た幻想であり、一人で吐いた妄言だ。貴方は自分と同じ人間で、本当は手を伸ばすことだって容易で、いや、手を伸ばさなければこれは続かないと。わかっている。
一度かけてしまった色眼鏡はそう簡単に取れそうもなかった。
だからこそ気軽に貴方へとまり、その四枚の花弁を休ませられる一頭が異様に羨ましく映ったのだ。


【モンシロチョウ】

5/6/2023, 3:56:15 PM

明日世界はなくなるんだって。

なんの前触れもないその言葉に、また君得意のもしも話かと軽く笑った。
指先で触れたグラスが冷たくて心地良い。君の注文したアイスティーはもう半分に減っていた。
同じことを繰り返すだけの日々だからこそ、そんなくだらない彩りは必要なのだと続ける君に同意して、話に乗る。
「もしも、そうだとしたらあなたはどうする?」
君は少し前に身を乗り出して、興味津々といった表情で首を傾げた。
「そう、そうだなぁ……。多分実感が湧かないまま、また普通に明日は来るんだって信じて寝るんじゃないかな」
「夢がないね」
まるでその答えが来ることを知っていたように目を細める君。
だっていつだか話題になった世界滅亡の予言だって結局嘘っぱちだったんだ。今回もそうかもしれない。
それに、どうせ世界がなくなるのなら夢なんてあっても仕方ないじゃないか。きっと夢のひとつでも叶えたら、実行に移せなかった夢がひとつ、またひとつと浮かんで止まなくなる。予め知ってしまった最後を未練ばかりに埋もれて迎えるのは、宝の持ち腐れというものだろう。かといって自分の返答がその知識を活かしきれているかと問われれば、何も言えないのだけれど。
「なら君は?」
空想を見て、いつも世界を楽しく生きようとする君なら、きっとさぞ夢のある答えを返すのだろう。そんな意味を込めながらその丸い目を見つめ返せば、君は随分丸くなった氷をからからとストローで混ぜた。その目は外から射し込む光をめいっぱいに受け入れて輝いている。君は少しだけ考える間をとってから、勿体ぶるように口を開いた。
「あたしはねぇ、告白でもしたいな」
「告白? なんでまた」
「臆病だから。そんくらいでっかいきっかけでもないと動けないの」
あと、なんかドラマチックでしょ。そう言って何故か得意げな顔をした君は、またアイスティーをひと口飲んだ。
臆病者なら世界の終わりという事実に怯えて行動を起こすどころではないのではとも思ったが、所詮はもしもの話なので、君をそのまま理想に浸らせてやることにする。告白する前には教えてよ、応援してあげるからさ、なんて軽口をたたいた。
「あとは、あとはー。好きなもの食べて、また明日、って言いたい」
「明日がないって知ってるのに?」
「知ってるのに」
やっぱり君の感性は自分のものとは大きく離れているようだった。君はどこまでも劇的なシチュエーションを追い求める主義らしい。自分はそれを自身であらわすタイプではないものの、君の話す非現実は好きだった。だから、願うならば世界最後の前日も、こうして君とどうでもいいもしもの話でもしたい。
何だか照れくさくて、それを本人に伝えることはなかったが。
窓から見た陽は傾いている。テーブルの上には空のグラスが二つ。話もひと区切りついたところで、そろそろ帰ろうかと席を立った。

「じゃあね、また明日」
別れ際、手を振った君の表情は逆光で見えなかった。


【明日世界がなくなるとしたら、何を願おう】

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