こんな夢を見た。私は鳥になって、空を飛び続けている。ただもっと遠くの空へと、青と白の中を飛んでいく。上昇気流に乗りながら、どこまで飛んだのか気になって下を見ると、海が見えた。船でも浮いているのか、青のなかにちらほら白が見える。宙返りでもしたら、海と空が分からなくなりそうだ。
「…楽しそうだし、やってみようかな」
思い立って軽々とした身のこなしで宙返りをする。我ながら良い宙返りだと自画自賛していると、海面ギリギリを私は飛んでいた。慌てて、空へ急上昇する。海に墜落しなくて良かった、と安堵していると、違和感を覚えた。上昇するスピードが早い。上昇気流に乗っているわけでもないのに、まるで落下してるような速さだ。いや、私は空に向かって落下しているのだ。パニックになった頭を必死に回転させ、一つの単語が閃いた。
「そうだ、宙返り!」
今の状況は宙返りしたからだ。だったら、もう一度宙返りすれば良いのでは?成層圏に近づく体を海面に向かって上昇させ、宙返りをする。すると、今度は海へ落下しそうになった。すぐに体勢を変え、元の飛行に戻る。余計なことをするものじゃない、とため息をついた。空どころか宇宙に行くところだった。宇宙に行くのは地球の最果てに着いた後で良い。上昇気流に乗り、青空の中に私は消えていった。
こんな夢を見た。私は薄暗い部屋でキャンバスと向き合っている。白の上に筆で色を乗せていく。ある光景に、言葉に出来ないほどの感動を覚えたからだ。写真でも撮っていれば良かったのだが、衝撃でその場に立ち尽くすしかできなかった。だから、記憶を頼りに描くしかない。最初は、文字に認め自分のものにと思った。だが、あれを稚拙な私の言葉で表現出来るわけがない。今度は、絵を描くことにした。見たままを描ければ、きっとあの時の感情をこの中に永遠に閉じ込めることが出来る。そう信じて、私はひたすら描き続けた。だが、完成するのは何の感情もわかないただの絵だ。出来上がった絵を何度も破り捨て、私は頭を抱える。このまま描き続けても、私の記憶の中のあれには届かない。それに描いているうちに、あの光景の記憶が私の絵に上書きされている気がする。描くのはやめよう。あれは私の許容量を超えるほど、美しかったのだ。形として残すことは出来なくとも、私の中で消えることはない。無理やり自分を納得させ、筆を置く。外の空気でも吸ってこよう。部屋を出ようとして、足を止める。結局、私は熱心に何を描いていたのだろう。ふと、気になって絵の残骸を拾う。見れば、色が無秩序に塗られているだけだった。何だ、こんなものに感動していたのか。がっかりして絵を放り投げ、部屋を出た。家の外に出ると、眩しくて目を細めた。地面には、プリズムを通したような虹の帯が反射している。空に浮かぶ何かが反射しているようだ。見上げれば、空を覆い尽くすほどの大きい透明なクラゲがいた。それに太陽が反射し、虹の帯を作っているようだ。私はその場に立ち尽くし、それから歓喜する。思い出した、私が見たのはこれだ。
こんな夢を見た。桜を眺めながら、昼食を取る。昼食を終え、一息つく。午後の授業まで、一眠りしようか。そんな事を考えていると、誰かが花壇の前に屈み込んでいるのが見えた。私と同じクラスの女子だ。あまり人といるのを見たことがなく、休み時間はいつも教室にいない。どこに行っているのか分からなかったが、ここだったのか。彼女は、黙々と割り箸で何かを摘んでは花壇の外に放り出している。何をしているんだろう。少し逡巡したが、結局話しかけることにした。
「えっと、何してるの?」
話しかけると、彼女はゆっくりと振り向いた。
「…あ、どうも。たしか、同じクラスの人ですよね?今は芋虫を捕まえて捨ててます」
ほら、と彼女は割り箸で挟んだ芋虫を見せた。箸から逃げようと蠢くそれに思わず後退りした。
「やっぱり、気持ち悪いですよね。これが綺麗な蝶に成長すると分かってても」
「そ、そうだね」
「でも、この芋虫が蝶に成長することはないのでただ気持ち悪いだけですけど」
彼女は花壇の外に芋虫を放り出した。
「何で外に出してるの?」
「お花の葉っぱを齧るからです。齧られると、お花が光合成出来なくて枯れてしまうので」
「でも、外に出しても戻ってくると思うんだけど」
「大丈夫です。戻ってくる前に、鳥や他の虫たちに捕食されるので心配ありません」
彼女はまた芋虫を探しているのか、箸と目が葉っぱの上を動き回っている。話題作りのために花壇を眺めると、かなり手入れされてることに気づいた。花は全て綺麗に開花し赤や黄色、桃色などで彩られている。葉っぱも青々とした緑色だ。
「それにしても、ここの花壇は綺麗だね。春爛漫って感じ。君がいつも手入れしてるの?」
そう言うと彼女はこちらを見、それから目を逸らした。
「ええ、美化委員なので。それに他の人はあまり、お花の世話に積極的ではないし」
「そうなんだ、真面目なんだね」
彼女は花壇の花を愛おしそうに見つめる。
「というより、ここが心の拠り所なんです。お花の世話をしているときだけが、わたしの癒しでして」
「それくらい、お花が好きなんだね」
彼女は私の言葉に微笑む。
「ええ、大好きです」
また見つけたのか、葉っぱから芋虫を摘み花壇の外に放り出した。
「もちろん、芋虫は嫌いですけど」
彼女と花の話をしていると、予鈴が鳴った。
「もう、こんな時間ですね。わたしは、もう少しいるので先に行っててください」
彼女に促され教室に戻ろうとして、弁当箱を忘れたことに気づいた。取りに戻ると、彼女が地面をグリグリと踏みつけているのが見える。何となく気づかれてはいけない気がして、息を潜めた。彼女が去った後、駆け寄るとあまりの惨状に思わず悲鳴を上げる。そこには、潰れた芋虫や割り箸で刺され穴だらけの芋虫の死骸が転がっていた。
こんな夢を見た。大広間にずらりと布団が敷き詰められている。私は教授らしく、実験の準備や指示を出しているらしい。他の研究員は好きな場所の布団に座り、レジュメを読み始めた。今からここで眠り、深く夢の中に潜り込む実験をするからだ。集合的無意識に到達するとどうなるのか、それを実験する。だが、普通に眠るだけでは表層の夢だけだ。そこで、催眠を掛けた状態で眠ってもらう。
『お前は誰よりも、ずっと深く潜ることが出来るダイバーだ。たとえ、それが夢の中でも』
何人かに催眠を掛け、眠らせると私と研究員たちは測定を始めた。順調に夢の中へ潜っていくのが、数値を通して見える。急に機械の緊急アラームが鳴り出した。驚き、数値を見ると数字ではなく四角形を表示している。寝ていた一人がうなされ奇声を上げると、体がグズグズと溶け出した。
「何だ、これは!」
私の声を皮切りに、研究員たちの悲鳴が大広間に木霊した。他の寝ていた彼らも、次々に溶け崩れていく。まるで、炎天下に放置したストロベリーアイスのようだ。
「教授!この実験は中止にしましょう!危険すぎます!」
研究員の一人がヒステリックに、私に訴えかけた。確かに危険だ。しかし、夢に深く潜る実験自体は成功しているのではないか。みすみす、中止にしてしまっていいのか。いや、これはチャンスだ。私と怯える研究員で協議した結果、私と四人は夢の中に潜りその他は待機することになった。とはいえ、そのままだと私たちもアイスのように溶けてしまうだろう。命綱をしていて合図をすればすぐに目が覚める、を催眠の文言に追加した。催眠をかけてもらうと、私たちはすぐに気を失った。目を開けると、薄暗い空間を他のメンバーがゆっくりと降りていくのが見えた。これが、いつも見ている夢よりも深い場所か。しばらくすると、ぼんやりと明るく開けた空間に出た。下には、薄ピンクの海が広がっている。よく見れば、ゴボゴボと泡立っていた。もっと近づくと、海面には目玉や歯などの骨、毛髪が浮かんでいる。気づいて吐き気を催したが、研究のためだと言い聞かせもう少し近づいた。
「そうか、我々はあの場所から生まれたんだ」
「我々は、元々一つの生き物だった」
「あの海の中に還らなきゃ」
先ほどまで沈黙を守っていた研究員たちが訳の分からないことを呟きながら、海の中へ急降下していく。止める暇もなく、垂れ下がった命綱を残して彼らは海の中へ沈んでいった。
「なんてことだ」
これは、私一人の手で負えるものではない。今すぐ目を覚まして、上に報告しなくては。合図を送ろうとすると、足首を何かが掴んだ。
「教授、海に還らないんですか?」
顔をゆっくり下に向けると、海の中から体と顔が半分溶け崩れた研究員らしき何かが身を乗り出していた。
「ここは苦しみも痛みもないし、何より皆が自分を肯定してくれるのに。還らないんですか?」
私は必死で足首に絡みつくそれの手を蹴りつける。ふざけるな、私はそんな姿になってまで安寧を欲していない。強く蹴ると痛がるような素振りを見せ、手を離した。命綱を引っ張り、合図を出すと急激に引き戻される感覚がして目が覚めた。
「教授!他の人が…」
ちらりと見れば、やはり溶け崩れた肉塊に変わっている。精神が海に落ちると、肉体にまで影響が出るようだ。これ以上は危険だ、上に報告して…。突然、後ろで悲鳴が上がった。
「教授…!助けてくださ…」
振り向くと、肉塊から滲み出たあの海と同じ薄ピンクの液体が研究員の一人を呑み込むところだった。手を伸ばすも遅く、完全に呑み込まれるとくぐもった断末魔が聞こえた。周りからも悲鳴や命乞い、断末魔が大広間に響く。そして、私にもそれは這い寄ってきた。
「やめろ、来るな!」
(教授…教授のおかげです。貴方が誰よりも、ずっと研究熱心だったから帰ってこれました…)
頭の中に肉塊になったはずの研究員の声が響く。
(帰れなくなった僕たちのために、クモの糸を垂らしてもらえるなんて…)
クモの糸?もしかして、こいつらは海に落ちた彼らの命綱を登って…。
(教授…皆、ここにいますよ…怖がらないでください)
(死を恐れないでください…)
「来るな来るな!化け物どもめ!」
私が声を張り上げてもじわじわと寄ってくるそれのせいで少しずつ逃げ場がなくなっていく。
(教授も皆と一つになって幸せになりましょう)
恍惚とした声とともに、私の目の前は薄ピンク一色に染められた。
こんな夢を見た。目を覚ますと、真っ白な天井が見える。多分、病院だろう。事故か病気にでもなったのか。私の体はベッドに寝かせられていて、管がたくさん刺さっている。体は重くて、自分の体じゃないみたいだ。声を出そうとするが、声が出ない。ただ空気が漏れる音だけが聞こえる。私はかなり重傷のようだ。部屋の外から、スリッパを履いた足音が近づいてきた。その瞬間、本能的な恐怖を感じた。私が起きていることを気づかれてはいけない、そう直感して目を閉じた。
「おはよう、今日も来たよ」
ドアの開く音がして柔らかな男性の声が聞こえてきた。足音がベッドの横で止まる。
「相変わらず、可愛い寝顔だね」
頬に、むにゅりと柔らかいものが当てられた。正体は分からないが、何故か鳥肌が立つ。足音が遠ざかると窓が開けられたのか、風が吹いてきた。
「たまには換気しなきゃ。あ、花瓶の水取り替えてくるね」
足音が遠ざかり部屋の外へ出ていったのを聞き、うっすら目を開ける。誰もいない、と息をつく。窓の方を見れば、やはり開けられている。それにしても、あの男性は何者なんだろう。家族にあんな人はいないし、ただの知人への見舞いにしては随分…。パタパタとスリッパの足音が近づいてきた。もう戻ってきたらしい。慌てて、私は目を閉じた。
「花瓶の花もう枯れかけてるから、明日新しいの買ってくるね」
花瓶を置く音がして、ベッド横のイスに彼が腰掛けた気配がした。彼はしばらく自分の近況を話していたが、急に黙り込んだ。どうしたんだろう、話すことがないなら帰ってほしいのだけど。
「…なかなか、起きないね。あの時は、本当に驚いたんだよ。僕の目の前で、自分の首を掻っ切るなんて」
私は自殺未遂を起こしたようだ。私にそんな願望はない、何かしらトラブルでもあったのか。
「死んじゃったらどうしようって…ずっと心配してたんだ。でも、やっと意識が戻ったって聞いて僕、嬉しくて…」
かなり親しい関係らしいが、体と心は無意識に拒否反応を示している。一体これは…。
「意識戻ったのに、起きないのは僕が許せないから?ね、起きてよ。君の気持ちを知りたいな」
するりと彼の手が布団の中に入り、私の手を握った。やめて、と言いたかったが声は出ない。
「君の手は暖かくて、すごく安心するね。いつまでも握っていたいくらい」
一層強く握られると、頭に記憶の断片が入り込んできた。ツギハギの情報をつなぎ合わせると、私が彼を拒否する理由が分かった。彼は同じアパートに住む隣人であり、私のストーカーらしい。最初は世間話をするぐらいの仲だった。しかし友人に嫉妬したり、私の人間関係に口を出すようになった。そしてある日、包丁を持った彼が部屋に上がり込んで心中しようと迫ってきたのだ。抵抗している内に、私は首を包丁で掻っ切ってしまったらしい。
「…んー。唇にキスでもすれば、起きてくれるかな」
ギィ、とベッドに体重がかかり、顔に生温かい息がかかる。やめてくれ!と心の中で叫ぶ。
「…ふふ。まだ、お預けにしようか。焦らなくても、僕たちもう夫婦だもんね。君が眠っている間に外堀を埋めて、婚姻届も出しちゃったから」
これからも、ずっと末永くよろしくね。死刑宣告に近い言葉を吐きながら、彼は私の顔に唇を落とした。