愛情
『ねぇ、エドガー。愛とはどんなものかしら』
斜め下から見上げてくるその美しい瞳には信頼と期待に満ちたキラキラとした美しい色を宿したものだった。
私はその期待に応えられるかな?
わざとおちゃらけた風を装ってみたものの、目の前の少女の瞳からの輝きはすこしも曇らない。
『愛、かい?随分と難しい謎かけだね、レディ。』
いつもの唐突な問いかけにもこちらは慣れたものだ。
にこりと笑いかけてふと考える。
愛、愛か。
そう言われてみると具体的な愛というものを考えたことがない。
男にとって愛というものはあまりにも身近にありすぎて空気の様に存在感のないもので、目の前の純粋な少女が望む様なものとは到底思えないどろりとしたものに満ちたものだった。
愛という美しい器はパンドラの箱だ。
輝きに満たされた器の中には人のあらゆる欲が満ちている。煌めきに満ちた世界を夢見られるほど、男は穏やかな生き方を知らなかった。
『そうだね、教えてあげても良いけれど』
目の前の艶やかな小さな手の甲に軽くキスをしてウインクを一つ。少女のキョトンとした顔に苦笑ともつかない穏やかな気持ちを覚える。この綺麗な子供に自分の知る薄暗いものを教えたくなかった。
『そうだね、君はどう思う?』
少しだけ、ズルい大人は答えをはぐらかしながら質問を返す。純粋に、目の前の少女の答えが気になったのもあるけれど。
………
休憩☕️
夫婦
『誰だって女の子はお姫様』なんて誰が言ったのか知らないけれど。片付けていた部屋から後生大事に仕舞われた懐かしい結婚情報誌を眺める。
所々に赤いチェック、古びた付箋に書かれたメモ、何よりもそこに書き込まれた詳細な数字を懐かしむ。
今ではとてもじゃないが着ることの出来ないサイズのウェディングドレスを着た美しいモデルたちに自分を重ねてその日を待ち遠しく夢みていた、そんな気持ちを思い出しては遠い日のように思った。
結婚は思ったよりも大変で、病める時も健やかなる時も慌ただしく過ぎていく。いつか怒れる日や嘆く日を数えた方が多かったかも知れない日々を呆れる様に困った様に笑いながら話すのだろう。
いつか自分がこの世をさる時、これを持っていきたい。
この本に、初々しく照れくさそうに写る二人の写真を挟みながら。
どうすればいいの?
時々ふいに泣きたくなる。
随分前に泣き方を忘れてしまった。
真っ暗なオフィスに一人で残りカタカタとパソコンを叩く。
程のいい『頼られている』という言葉。
押し付けるのに都合のいい相手として他人と比べて数倍仕事を抱えている、そんな現状に嫌気がさしてそれでも仕事を放り投げられない。
こんな筈じゃなかったな、もっと早くに辞めたらよかった。
断るという選択肢を選ぼうにも『君の』仕事であると言われて仕舞えば拒めない。そんな性格を優しいと思っていた。優しい、と言えた環境がそれを優しさと評価してくれていただけだった事を知った。
人はそんなに優しくは出来ていない。
それって貴方の仕事ですよね、なんて言えなかった。
言える人が羨ましかった。
こんな筈じゃなかったな、こんな所に応募しなければよかった。
無視されて、いびられて、我慢して我慢して我慢して。
我慢した先は相手の言い分だけに形作られた『私が悪いというストーリー』。
そんな中で悪役として生きる私。
報われない。何でかな。物語ではシンデレラではないかしら。いつになったらカボチャの馬車はやってくるの?
怒鳴られて、怒鳴られて呼び出されては怒鳴られる。
他に何人もいるはずなのに呼び出されるのは私だけ。
依存されて『頼ってるんだ』と縋られて、どうしてわかってくれないのかと怒鳴られる。
それでも周りは私を悪者にすれば楽だから。簡単に見捨てるくせに頼る時だけ私に擦りつける。
アイツは悪い奴だけど使える。
悪意の大義名分は正義の彼らにどんどん一方的に捏造されながらそれを知りつつ黙って仕事に従事する。
私の立場代わってよ。
それならあなた方の言い分もわかってもいい。
介護を知らない人間が介護をする人間に求める理想論を求めるように、貴方が私に代わって知ればいい。
報われない報われない報われない。
カタカタカタカタと静かなオフィスにキーボード音が響く。
時計の針はもう夜の9時。
不意に、ああ無理だなぁと思う。
どうすればズルい人たちに勝てる。
誠実に生きたい。生きるだけでは報われない。
真面目に生きる事をバカにする奴らばかりが報われる。
報われない報われない。
カタカタカタカタ必死に仕事して仕事してやらなくていいはずの仕事すら一人で仕事をしている。
ふと思い出す、悲鳴をあげた日の上司の声
『君以外じゃみんな辞めちゃうよ。みんなが可哀想でしょう』
どうしたらいい。
どうしたら報われる?
耐えて耐えて耐えた先は皆んなの幸せのためのゴミ捨て場だった。
どうしたらこの憎悪に近い憎しみをぶつけられる?
誰に?どうやって?それをして何になるの。
ふーと深い深いため息をついた。
携帯の転職サイトアプリに入れた40代という条件。
もっと早くに動くべきだった?
いつか報われると信じてた?
ほんっと馬鹿みたい。
随分前に泣き方を忘れてしまったのに
ずっと嘆きが止まらない。
報われる為には、どうしたらいいの。
どうか助けて欲しい。
助けてくれる魔法なんて何もない。
無情に過ぎていく時計を片目に
終えた成果を力一杯床に叩きつけた。
宝物
こんな風に星が煌く夜は、世界の何処かにいる
小さな魔女に出会える様な気がする。
ふと隣の部屋から聞こえる歌声が懐かしい
歌だと気がついた。
本当はそっとしておくべきなんだろうな、と思いつつこっそりと聞き耳を立てた。
この上なく優しさのこもった歌声に堪らずに後ろからこっそりと近づく。
『いい声ですね』
耳元でこっそりと話しかける悪戯にぴたりと歌声が止まる。せっかくだから止めないで欲しいのに。
こちらの思惑に反してギギギとこちらを振り返った顔はバツが悪そうだった。
『いつから』
そこにいたか、なのか聞いていたか、なのか。
どちらにも答えることがなく横に座って腕の中を覗き見た。
小さな天使はどうやら魔法にかかっておねむの様。
『懐かしいね。私も見てた』
あまりに懐かしくて声をかけてしまった事を軽く謝りながら続きを歌って欲しいとおねだりしてみた。
『知ってるなら自分で歌ってよ』
照れくさそうにそっぽを向くものだから可愛くなってしまう。
『でも、パパの魔法が聞きたいのよ』
ねー?なんて腕の中の小さな娘に同意を求めれば先程までは眠たそうにしていたのにぱっちりとした目をこちらに向けている。
ね?と促せば娘の方を確認してこちらを見ておずおずと歌い出す。
昔、私たちが子供のころにいた魔女の話。
小さくて可愛くてドジっ子で、いつも笑顔をくれた。
『二つの心が溶け合ったら、奇跡さえ呼び起こせるの』
温かな歌声に小さく自分の声を重ねてみる。
腕の中の小さな手に指を重ねて幸せに感謝した。
『遥かなみち歩いてゆけるね』
子供だった頃は過ぎてしまったけれど
これから先に生きる子供達に笑顔の魔法を伝えたい。
そんな魔法をパパとママは君に贈る。
歌声に魔女から教えてもらった魔法を込めて。
『貴方はたからもの』
※おジャ魔女世代
たくさんの思い出
『御朱印集めしてる人って変な人多いですよね。』
初対面の人間に、しかも婚活の場で笑顔で吐かれた毒に眉間に皺を寄せて黙り込む。
売られたケンカは買う主義だが、買うケンカは選ぶべきである。買う価値すらない相手のくだらないトスをいちいち打ち返すだけの無駄な動作すら惜しい。
レスバを即座に返さなかった自分の賢明さを全力で称賛した。そもそも他人の趣味にとやかく言える程の高尚な趣味をお持ちな顔には見えませんが?
黙ってしまったこちらの態度に何を勘違いしたのか己の趣味をひたすらに語り始める声をBGMに精一杯頭を回すことに集中する。
『ね?僕友達多いからさ』
にこやかに笑いかけてくる相手の目を見ながら
一言。
『ごめんなさい。私、御朱印集めしてた時の楽しかった思い出ばっかり考えてたから。』
ニコリと笑って席を立つ。
伝票を確認して自分の分だけ置いて立ち上がった。
『え?』
戸惑う相手を見下しながら笑いかける。
『ごめんなさい、厄除けに神社に行かなきゃ。
お疲れ様でした。いいご縁があるといいですね?』
『変な奴!』悔しそうに吐き捨て男を置き去りに
じゃあ、と言って立ち去った。
旅の思い出はたくさんある。
御朱印はその思い出のかたちだった。
閉塞感を脱却したくて始めたスタンプラリーはいつしか各地を巡るたくさんの思い出と共に形を残してくれる。
思い出は宝だ。
限りある時間の中で、思い出の輝きは消えない。
『他人の趣味にケチつけるなんてほんと品がない!』
案外と神様が裏から手を回して縁を繋がないでくれたのかもね。
まぁいいか、と切り替えて週末にでも御朱印帳を片手に日帰り旅行に行こうと考えた。
※某ツイート見た