せつか

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4/23/2025, 4:55:53 PM

リビングのテーブルに数冊の旅行雑誌が広がっている。どれも表紙には夏のリゾートやフェス、花火大会などの賑やかな写真が使われ、見出しも『夏の絶景ドライブ』『今年こそ行きたい!花火大会』『夏のひんやり旅』と、テンションを上げるための言葉が並ぶ。

同居人はコーヒーを片手にソファに座ると、その中の一冊に手を伸ばした。
「夏休み、どこへ行こうか?」
パラパラと雑誌をめくりながら独り言のように呟く。
隣に座り、同じように並んだ雑誌を手に取って眺めてみたが、ガチャガチャした表紙の賑やかさに圧倒されて二、三ページめくっただけで挫折してしまった。
「お前の行きたいところでいい」
ソファに背を預け、天井を見上げる。
シーリングライトにうっすら埃が積もっていた。

「あなたがどこに行きたいのかを私は聞いてるのに」
私の答えに納得出来ないのか、彼はページをめくる手を止めると雑誌をテーブルに放り投げてそう言った。

唇を僅かに尖らせて、咎めるような視線を向ける。
淡い色をした瞳が微かに揺れて、私の胸にさざなみが訪れる。――これは鍛錬なのだ。そう思った。
自分の意思で決める。
自分の興味を知る。
自分の嗜好を知る。
欲しいもの、好きなもの、興味を引くもの。
そしてそれを伝えること。
奪われ続けた過去と決別する為に、自ら選んだ彼と歩んでいく為に。
淡い色をした瞳は、今は私だけを見つめている。

「そうだな·····」
考える。
視線がやわらぐのを感じる。
「あまり人のいないところ」
「うん」
「海外でもいい」
「うん」
「海·····というか砂浜が綺麗なところ」
「あぁ、いいね」
穏やかな声が心地よい。
「夜は星が見えるといい」
「うん」
「国内ならドライブがしたい」
「私も久しぶりにあなたの車に乗りたいな」
「そうなると国内、か·····」
互いの気持ちが近付くのを感じる。
「そうだね。ホテルに泊まるなら予約しなきゃいけないし、時間を見つけて少しずつ計画立てようよ」
「分かった」
「決まり」
そう言って彼はぬるくなったコーヒーを飲む。
満足げな彼の表情を見ながら、私の中に欠落していたものの正体が分かった気がした。

END


「どこへ行こう」

4/22/2025, 4:19:23 PM

「萌え」「オレの嫁」「尊い」「推せる」「エモい」「助かる」「好(ハオ)」「〇〇からしか得られない栄養がある」「big Love」「メロい」etc

ネットが普及して、誰でもSNSが使えるようになって、〝好き〟を表現する言葉が次々と生まれては消えていく。
どの言葉も本来の使い方は違っていたり、本当はもっと長い単語だったり、言葉は時代を映す鏡、とはよく言ったものだと思う。

百年後も残っている言葉はどれだろう?
百年後も今と同じ意味で使われている言葉は果たしてあるのだろうか?
遥か昔·····平安時代の一人の女性の感性が分かったのは、紙に書かれた文章が残っていたからだ。
紙では無くSNSで発信している私達の言葉は、百年後を生きる人達に「分かる」と言ってもらえる日が来るのだろうか?

残らないまま消えていく言葉達。
それに抗い、消えてたまるかと蒐集し、地道にアーカイブ化している言葉の愛好者。
それこそ〝大いなる愛〟なのかもしれない。


END


「big Love!」

4/21/2025, 4:09:33 PM

ダイヤモンドダストのことを「天使のささやき」と言うらしい。

最初にこの表現を思いついた人の言葉選びのセンスが私にもあればと思う。


END


「ささやき」

4/20/2025, 4:16:00 PM

「×××××」
名前を呼ばれた。
でも眠くて目が開かない。午後十一時という私にしては遅い時間と走る車の心地よい振動、そして細く開けた窓から入る穏やかな風がとろとろと眠気を誘う。
ステアリングを握る彼は助手席で答えない私に小さく肩を竦めた。
「寝落ちしないでくれよ。もうすぐ着くんだから」
「分かってます·····」
それだけ言うのが精一杯で。
彼がため息をついたのを知覚したと同時に、私の意識は途切れた。

◆◆◆

「×××××」
名前を呼ばれた。
今度は瞼をすんなり持ち上げる事が出来た。開かれた目はエンジンを切って真っ暗になった車内を映し、彼の気配を探る。入り込む少し冷たい風の中、私に注がれる視線を感じた。
「着いたよ。ほら、起きて」
「起きてますよ·····」
うっそりとしたままそう答えて、私はゆっくり身を起こす。
「君が朝型なのは知ってるけど、どうしても見せたかったんだ」
そう言った彼の声の楽しげなこと。常よりはしゃいでいるように聞こえたその声は、私の興味をそそるのに充分だった。
促されるまま車を降りる。

「――」
そこにあったのは、空を埋め尽くすほどの無数の煌めき。何千何万、今にも零れ落ちてきそうな星々が見上げる視界一面で瞬いている。
強く弱く明滅するもの。ただ静かに光り続けるもの。
冷たく光るもの、温かさを感じるもの。様々な色と光が夜を夜と感じさせないほどに輝いている。
眠気はすっかり消え失せて、私は言葉を忘れてしまったかのように空の宝石に見入った。
「凄いだろう?」
隣に並んだ彼が囁く。
密やかな声に応えるように青白い星が瞬いている。
私は無言で頷いて、空を見続ける。

――夜は全ての生命が眠りにつく時だと思っていた。
仮初の死を迎え、翌朝再び目覚める為の静寂の時だと。だが、どうやら違ったようだ。
夜も確かに息づく生命があり、その中でこそ輝くものもあるのだ。
星明かりの下、私の隣に佇む彼もその一人なのだろう。

星から彼へと視軸を移しながら、私はそんな事を思った。


END



「星明かり」

4/20/2025, 12:09:31 AM

手で作るキツネやカニやカタツムリ。
それを当てるだけの遊びがなぜあんなにも楽しかったのだろう?
娯楽が無い時代だった?
そんなことは無い。小学生の頃にはファミコンもあったし人生ゲームもあったしけん玉もリカちゃん人形もあった。
遊び道具ならいくらでもあったのに、影絵があんなに楽しかったのはなぜなんだろう?
作ってくれた親や先生の、私を楽しませようという気持ちが伝わってきたからだろうか?
手で作る影絵を全部当てた次の日には、紙で人形や動物を作ってくれた。壁に映る影だけのウサギやお姫様がやけにミステリアスで綺麗なものに見えた。

今はもう、それに感嘆の声を上げることもない。

自分の子供に影絵を見せてあげることの無い私は、大人になるにつれて何かを無くしていったのだろうか。


END



「影絵」

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