窓の縁に長い足を掛けて、男は空を眺めている。
ここは軍のトップの執務室で、自分は現在仕事中であるにも関わらず、である。煙草を吸っていないだけマシだと思いながら、彼は物言わぬその背を見つめた。
「·····」
男とは長い付き合いだったが、こんなにも長い時間無言でいるのを見るのは初めてだった。
長期任務から帰ってきた男はいつになく憔悴しきっていた。大体の事情は把握していたから何も言わなかったが、男の中で何かが壊れてしまったことを、彼はその表情で悟った。
疲れ果てたと思われた男はしかし、帰還した翌日には報告書を携えてこの執務室にやって来た。
いつもと変わらぬ表情に驚かされたのは自分の方だった。一日の休養で立ち直れる任務では無かったはずだ。それなのに男はいつものように飄々とした表情で、「報告書、持ってきたよぉ」と紙の束を持ってきたのだった。
「·····」
男は何も語らない。
彼の地で何があったのか。男は何を斬り捨てて、その手に何が残ったのか――。男の口から語られるまでは何も聞くべきではないと、彼は思っている。
「明日から」
ずっと無言だった男が不意に口を開いたのは、彼が二杯目のコーヒーを淹れ始めた時だった。
「明日から復帰するよ」
その声も表情も、いつもと変わらない。
「·····いいのか」
「いいに決まってるでしょ。誰だと思ってんだい?」
「しかし·····」
彼が何か言おうとするのを遮るように、男は続けた。
「君が命令してくれるならどこでも行くよ。だから言ってくれよ、〝飛べ〟って」
窓の縁に掛けていた足を下ろし、男は彼に向き直る。
ニコリと微笑むその顔になぜか空恐ろしいものを感じて、彼は続く言葉を発することが出来なくなった。
「もうそれしか残ってないんだ」
「――」
「どこでも行くよ。何をすればいい? 誰を消す?」
「おい·····」
「あぁ、決着つけなきゃいけないのが一人いるね。行こうか? 」
「おい!」
「命令してくれ××××××。飛べって言ってくれ·····」
「·····」
「後生だからよ·····」
この時初めて、彼は軍人という仕事を嫌だと思った。
END
「飛べ」
宝くじでも当たれば人生一発逆転、忘れられないspecialdayになるのになぁ!!
そういえば、昔の胡散臭い広告にあった札束の風呂に浸かるやつ、最近見なくなったね(笑)。
END
「special day」
「我が娘ながら不思議な子でした」
女はそう言って、ナナフシのような細長い指を持ち上げた。
「あの、樹」
指の先にはこの街のシンボルとなっている大きな楠が、空に向けて枝を伸ばしている。
「あの樹の下で本を読むのが好きで、私はそれをここから見るのが好きでした」
視界を埋め尽くすほどの大木は、ここからでも葉擦れの音が聞こえそうなほどで、確かに子供が本を読んだり遊んだりするのにちょうど良い木陰だった。
「本を読みながら時々、上を見上げてるんです。あの子」
女の指は楠を指したまま動かない。
「誰かと話してるみたいにニコニコして、目を輝かせて。でも、誰もいないんですよ」
そう語る横顔は、愛しい我が子を思い出すというより、不可解な生き物を目にして戸惑っているようだった。
「誰もいないどころか、あの樹に寄り付くのはあの子くらいで」
言われてみれば、確かにあの樹の下には人っ子一人いない。街のシンボルであるのなら、憩いの場となって人が集まっていてもおかしくなさそうなものである。
「あの樹は私達を監視してるんじゃないかって、そんな気がするんです」
女の指が何かを諦めたように力無く落ちる。
「どこに行っちゃったんでしょう·····」
消え入りそうな声だった。
私はメモを閉じ立ち上がると、女に向けて言った。
「もう少し街の人に話を聞いてみます。娘さんについて何か分かったらまた伺います。今日はお時間を頂き、ありがとうございました」
「あの子は不思議な子でした」
ドアに手を掛けた私に呟きが忍び込む。
「けれどもっと不思議なのは·····あの子がいなくなったのに泣けない、あの子がいなくなったのにあの樹に近づいてあの子の気持ちを知ろうともしない、私なんです」
「·····」
「私は、あの子は·····」
――なんだったんでしょうね。
女の言葉に応える術を、私はまだ持っていなかった。
遠くで葉擦れの音が聞こえる。
END
「揺れる木陰」
白昼夢とは違うのか?
言葉の響きでだいぶ印象が変わるけれど、どちらも非現実的で、幻のようにとらえどころが無い。
真昼の夢、白昼夢、胡蝶の夢。
夜眠る時に見る夢に比べて、昼に見る夢は何故か不穏な空気が付きまとう。
END
「真昼の夢」
「ハッピーバースデートゥーユー」
「ハッピーバースデートゥーユー」
「ハッピーバースデーディア·····」
「嬉しいね。覚えててくれたんだ」
「なぁに言ってんだぁ。毎年プレゼントちょうだいってガキみてえにねだってたのは誰だい」
「誰だっけな」
「·····」
「アンタ優しいから毎年なんかくれたよな。三年前なんか·····」
「不法侵入で逮捕してもいいんだよぉ?」
「しないでしょ、アンタは」
「·····何しに来たんだよ」
「プレゼント貰いに」
「今年は用意してねえよ」
「いいよ。もう貰ったから」
「あぁ?」
「歌ってくれただろ。俺のために」
「別におめえのためじゃ·····」
「今日この日にアンタがハッピーバースデーを歌う相手が俺以外にいるの?」
「·····」
「毎年今日だけは俺のために空けてくれてたよな」
「勝手にいなくなった癖に」
「うん。でも会いに来た」
「もうおめえに渡せるものはなんにもねえよ」
「嘘だ。毎年アンタ、今日だけは俺だけのアンタになってくれてたじゃん」
「·····」
「夜が明けたら帰るよ」
「·····帰る、か。もう〝そっち〟が帰る場所になっちまったんだなぁ」
「·····ごめん」
「謝るこたぁねえよ」
「なぁ」
「んー?」
「やっぱりちゃんと言って欲しい。アンタの声で聞きたい」
「·····」
「ダメ?」
「誕生日おめでとう、×××」
「·····ありがと」
END
「二人だけの。」