林立するビルの屋上。
巨大な墓標のような真っ黒な塊に、小さな影がある。
――人だ。
ぞわりと鳥肌が立つ。嫌な予感がして思わず周囲を見回すが、〝ソレ〟に気付いたのはどうやら僕だけのようだった。
どくん、どくんと心臓を波打たせながら〝ソレ〟を見上げる。嫌な予感が当たらないよう内心で祈っていると、遂に影が動いた。
「·····え?」
僕は最初、夢か何かじゃないかと思った。
夜行性の猛禽類のように影は夜空に向けて飛び上がり、ビルとビルの間を渡ったのだ。
羽根のように大きく広がったのはマントだった。
その影はファンタジー映画で見た騎士のように、西洋風の甲冑を纏い、マントを着けていた。右手には身の丈ほどもある剣を持っている。
そんな現実離れした姿をした人が、遥か頭上の高層ビル群を鳥のように舞っていた。
走り出す。
その影を追って、人波をかき分ける。
時折火花のようなものが散っているのは、影が持つ大剣が何かを斬っているのだろうか。オレンジ色の火花が弾け、真っ黒なビルの海に新たな星を生む。
僕はもうその影から目が離せなくなって、すれ違う人にぶつかるのも構わず夢中で追い続けた。
影絵の騎士は、僕には見えない何かを斬りながらビルの間を駆け巡る。高低差のあるビルとビルの間を跳躍し、飛び降り、走り抜けながら、軽々と大剣を振るっている。影が剣を振るたび青白い燐光とオレンジの火花が散って、それが黒いビルの窓ガラスに反射する。
――なんて綺麗なんだろう。
息が切れてしんどいのに、僕は影を追うのをやめられない。夜空に輝く無数の星よりもっと僕に近い場所で、次々に新たな星が生まれては消えていく。
「はぁ、はぁ·····」
やがて影は街の中心部にある塔のてっぺんに辿り着いた。大剣を軽々と振り回し、マントをはためかせながは夜空を駆ける影絵の騎士。
何百メートルも走り続けていた筈なのに、僕が最初に見た時と変わらない静かさで、影は立っている。
呆然と見上げていた僕の視界から、不意に影が消えた。
「え? あれ?」
戸惑う僕の耳元に、突然の気配。
「君。見えてるね」
低くて艶のある、ビロードのような声だった。
すぐ隣に立っているのに、見上げるほどに背が高い。
そしてそれまで影になって見えなかった顔は·····まるで作り物みたいに綺麗だった。
「·····」
「ちょうど良かった。少し手伝ってくれるかな?」
こうして、僕と影絵の騎士の奇妙な道行が始まったのだった·····。
END
「夜空を駆ける」
もし、お前が·····。
たとえ嘘でも悪いのはあの女だと言ったなら。
あの女が誘惑してきたのだと言ったなら。
私はあの女を放逐してお前を許していただろう。
それがたとえ嘘だとしても。
あの女の命を救う為の方便なのだと分かっていても。
私の歪で卑屈な劣等感を、ほんの僅かな間だけでも忘れてしまうことが出来ただろう。
そうしていれば、お前にあれ以上の憎悪を抱くことはなかった。
あの女を視界から追いやってしまっていれば·····。
ああそうだ。
誰よりも私こそが。
本当はお前という存在を·····
失いたくなかった。
END
「ひそかな思い」
こちらの世界では誰もが憧れる理想の男。
あちらの世界では恋に狂って何もかもを壊した男。
さらに別の世界では記憶を無くして友人に助けてもらってる。
こんなにいろんな顔を持つあなたはいったい誰なんだろう?
何百年という時の重なりで、いろんな顔を持つに至ったあなた。
人の理想や、夢や、憧れや·····時には偏見を塗り込められて、いくつもに枝分かれしていったあなた。
新しい文献に出会うたび、私の知らないあなたがいる。
あなたという存在を知って五年以上の時が過ぎた。
それでもまだ、私の知らないあなたがいる。
読書というあなたを知る旅は、まだまだ終わりそうにない。
END
「あなたは誰」
「あの方は、何か仰っていましたか·····?」
「いえ。何も言付かってはおりません」
「あの方から、手紙か何かは·····」
「いえ。何も預かっておりません」
「あの方は、今·····」
「さて。私の元を去ってもうだいぶ経ちましたから」
全部全部、嘘だった。
彼はいつも彼女の身を案ずる言葉を私に向けて零していた。そして私が城に赴く度に彼女にその言葉を伝えて欲しいと言っていた。
私は「必ずお伝えします」と嘘をついた。
言付けでは我慢出来なくなった彼は彼女への手紙を私に託した。彼から預かった手紙を私は開封し、そこに書かれた愛の言葉に身を滾らせた。
私は彼のその手紙を破り捨て、「手紙は彼女に確かに渡した」と嘘をついた。
何年経っても彼女に会えない事に彼は遂に痺れを切らし、会いに行くと言って旅支度を始めた。
私は彼に「彼女はもう貴方のことなど忘れている」と嘘をついた。
彼は·····信じないと言って私に背を向け、私はその背に思わず縋って·····、そして·····。
◆◆◆
「彼から手紙を預かって参りました」
「まぁ。ありがとう」
嘘だらけの手紙を彼女は嬉々として読んでいる。
私はその光景に昏い喜びを見出しながら、あの日この手が感じた感触を思い出す。
彼の確かな脈動を感じた両手。
彼の体温に触れた両手。
彼女が遂に触れることのなかった、彼の皮膚の感触。
――私のものだ。
END
「手紙の行方」
雨上がりの駐車場。
顔を出した太陽に雨に濡れた砂利がキラキラ反射している。黒い石、白い石、ガラスの欠片。
なんでもない砂利だらけの駐車場が、きれいだと思った。
END
「輝き」