せつか

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リビングのテーブルに数冊の旅行雑誌が広がっている。どれも表紙には夏のリゾートやフェス、花火大会などの賑やかな写真が使われ、見出しも『夏の絶景ドライブ』『今年こそ行きたい!花火大会』『夏のひんやり旅』と、テンションを上げるための言葉が並ぶ。

同居人はコーヒーを片手にソファに座ると、その中の一冊に手を伸ばした。
「夏休み、どこへ行こうか?」
パラパラと雑誌をめくりながら独り言のように呟く。
隣に座り、同じように並んだ雑誌を手に取って眺めてみたが、ガチャガチャした表紙の賑やかさに圧倒されて二、三ページめくっただけで挫折してしまった。
「お前の行きたいところでいい」
ソファに背を預け、天井を見上げる。
シーリングライトにうっすら埃が積もっていた。

「あなたがどこに行きたいのかを私は聞いてるのに」
私の答えに納得出来ないのか、彼はページをめくる手を止めると雑誌をテーブルに放り投げてそう言った。

唇を僅かに尖らせて、咎めるような視線を向ける。
淡い色をした瞳が微かに揺れて、私の胸にさざなみが訪れる。――これは鍛錬なのだ。そう思った。
自分の意思で決める。
自分の興味を知る。
自分の嗜好を知る。
欲しいもの、好きなもの、興味を引くもの。
そしてそれを伝えること。
奪われ続けた過去と決別する為に、自ら選んだ彼と歩んでいく為に。
淡い色をした瞳は、今は私だけを見つめている。

「そうだな·····」
考える。
視線がやわらぐのを感じる。
「あまり人のいないところ」
「うん」
「海外でもいい」
「うん」
「海·····というか砂浜が綺麗なところ」
「あぁ、いいね」
穏やかな声が心地よい。
「夜は星が見えるといい」
「うん」
「国内ならドライブがしたい」
「私も久しぶりにあなたの車に乗りたいな」
「そうなると国内、か·····」
互いの気持ちが近付くのを感じる。
「そうだね。ホテルに泊まるなら予約しなきゃいけないし、時間を見つけて少しずつ計画立てようよ」
「分かった」
「決まり」
そう言って彼はぬるくなったコーヒーを飲む。
満足げな彼の表情を見ながら、私の中に欠落していたものの正体が分かった気がした。

END


「どこへ行こう」

4/23/2025, 4:55:53 PM