「永遠なんて、君にはなんの価値も無いのだろうけれど」
そう言った彼の目は、ここではないどこか遠くを見ているようだった。
「それでも求めたくなってしまうものなんだよ」
白い髪、白い服。
白ずくめの彼の手の中で、その濃く鮮やかな紫だけがやたら鮮烈に私の目に飛び込んでくる。
「美しいものを美しいまま、ずっとそばに置きたくなる感情は君にも理解出来るだろう?」
私は無言で頷くが、そんな事は出来るはずがないとも心の内では思っている。
「夢物語だと分かっていても人がそれを願ってしまうのは·····、思い出せなくなることが怖いから、なのかもしれないね」
彼は覚えているのだろう。
かつて美しかったものの全てを。
失われ、忘れられてしまったものたちの在りし日の姿を。もういない人々の、目には見えない感情の不変と流転を。
「私はずっと見ていたよ。そしてこれからも·····ずっと見ている」
その言葉に微かな寂寥を感じたのは気のせいだろうか。
「永遠なんて、たしかに退屈極まりないけれど」
彼の手の中で紫色の花びらがくしゃりと音を立てる。
「時間だけは売るほどあるから」
その小さな花束は、何も言わずにただじっと彼の言葉に耳を傾けるように上を向いていた。
END
「永遠の花束」
下心を疑ってしまうから。
何も考えられなくなってしまうから。
うぬぼれてしまうから。
自分には価値があると、勘違いしてしまうから。
やさしくしないで。甘やかさないで。
勘違いさせないで。
冷静な私でいさせて。
END
「やさしくしないで」
あの日君に渡し損ねた手紙は、今も引き出しの奥にしまってある。
とっくの昔に無くしてしまったと思っていたが、私はどうやらあの時からずっと捨てられず、懐に忍ばせていたらしい。
しわくちゃで、字も掠れて、読むのにだいぶ苦労するその手紙を、私は与えられた部屋の引き出しにしまっておくことにしたのだ。
君に渡すことはもう出来ない。
後悔と、自己保身と、謝罪と·····、確かにあった君への愛。
今さらそれを伝えたところで、何になると言うのか。
割れた卵は元には戻らない。
壊れてしまったものは修復することが出来たとしても、その傷を無かったことには出来ないのだ。
あの日、私が君につけた大きな傷痕は、隠すことは出来ても無くなりはしないだろう。
それでも昔のように笑いかけてくれた君に、私は何を返したらいいのか。
これは私に与えられた試練であり、チャンスなのだ。
君にあの手紙を渡すことはもう出来ない。
引き出しの奥に隠したあの手紙の代わりに、私自身の在り方で応えようと思うんだ。
·····なんて言ったら、君はまた怒るのだろうな。
END
「隠された手紙」
「バイバイ」
そう言って彼女は〝文字通り〟僕の前から姿を消した。
あまりに一瞬のことで、僕には何も出来なかった。
「え」
と言って、足を一歩前に出して、そこで止まった。
彼女の長い黒髪が、未練のように僕の視界に残っている。彼女のではなく、僕の未練。
SNSで知り合って、ここ数年は彼女だけが僕の話し相手だった。家族ともクラスメイトともうまく付き合えない僕に、私も同じだと言った彼女。
地獄のような毎日を、うんざりだと言った彼女。
数年そんなやり取りをして、初めてリアルで会おうという話になって、待ち合わせをした。
黒髪が綺麗な、びっくりするような美少女が、僕のユーザー名を呼んだ。
SNSの延長のようなやり取りをして、とあるビルの屋上で夜景が見たいと言った彼女。
手すりから身を乗り出して、僕を振り返って、たった一言。
「バイバイ」
あの瞬間の、彼女の笑顔が忘れられない。
その後はまるで夢の中にいるようで、真っ赤に染まった地面を見てる間も、警察に事情を聞かれている間も、ふわふわとした感覚にとらわれたままだった。
地獄のような毎日を、彼女は自ら終わらせた。
あの笑顔の意味を、僕はそうとらえている。
僕はその終わりを見届ける役を与えられたのだ。
「バイバイ」
彼女の声が、僕の耳の奥にまだ残っている。
END
「バイバイ」
「何度も思い出しました」
彼はそう言いながら、一つ一つ旅装を解いていく。
大きな荷を床に置き、ローブを椅子に掛け、靴紐をほどく。
彼が動くたび、砂埃が舞って光に反射する。
キラキラと、汚い筈の砂埃が綺麗に見えるその瞬間が、私にはとても尊い時間のように思えた。
「大切な人達のことを、何度も」
髪を留めていたリボンをほどくと、長い髪がふわりと広がる。彼の白い髪が陽に透けて、まるで薄いレースのようだ。
「苦しくて、何度も諦めようと思いました」
彼の旅が長く、途方もなく長かったことを知っている私は、その言葉に応える術を持たない。
「何もかもを投げ出して、もう全部報われなくてもいいと、とにかくこの足を止めて休みたいと、何度も思いました」
だが彼は、止まらなかった。
「そのたびに、思い出したんです」
「大切な人達の、声を」
「大切な人達の、笑顔を」
長く苦しい旅を終えた彼は、だが達成感のようなものはなく、ただ旅を通して得た万感の思い浸っているようだった。
「夜は長いよ」
私は短くそう言って、彼の前にコーヒーを置く。
「長かった君の旅を、聞くには丁度いい長さだろう」
彼はそこでよくやく笑ってこう言った。
「気が利きませんね。私が紅茶党だともう忘れてしまいましたか?」
緑の瞳が悪戯っぽく輝いている。
END
「旅の途中」