せつか

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「何度も思い出しました」
彼はそう言いながら、一つ一つ旅装を解いていく。
大きな荷を床に置き、ローブを椅子に掛け、靴紐をほどく。
彼が動くたび、砂埃が舞って光に反射する。
キラキラと、汚い筈の砂埃が綺麗に見えるその瞬間が、私にはとても尊い時間のように思えた。

「大切な人達のことを、何度も」
髪を留めていたリボンをほどくと、長い髪がふわりと広がる。彼の白い髪が陽に透けて、まるで薄いレースのようだ。

「苦しくて、何度も諦めようと思いました」
彼の旅が長く、途方もなく長かったことを知っている私は、その言葉に応える術を持たない。
「何もかもを投げ出して、もう全部報われなくてもいいと、とにかくこの足を止めて休みたいと、何度も思いました」
だが彼は、止まらなかった。
「そのたびに、思い出したんです」
「大切な人達の、声を」
「大切な人達の、笑顔を」
長く苦しい旅を終えた彼は、だが達成感のようなものはなく、ただ旅を通して得た万感の思い浸っているようだった。

「夜は長いよ」
私は短くそう言って、彼の前にコーヒーを置く。
「長かった君の旅を、聞くには丁度いい長さだろう」

彼はそこでよくやく笑ってこう言った。
「気が利きませんね。私が紅茶党だともう忘れてしまいましたか?」
緑の瞳が悪戯っぽく輝いている。


END



「旅の途中」

1/31/2025, 3:48:35 PM