僕のまだ知らない君を、いつか知る日が来るのかしら?
それは嬉しいことなのかしら?
それとも悲しいことなのかしら?
僕のまだ知らない心を、たくさん持っている君。
僕のまだ知らない歌を、たくさん知っている君。
僕のほんとうの気持ちを、小さく笑って受け流す君。
もし君に拒絶されたら、僕は僕のまだ知らない心を、知ることになるのかしら?
僕はほんの子供だけれど、君を好きな気持ちはほんとうで、どうしたらほんとうだと伝わるのか、ずっとずっと分からないでいるけれど。
僕はこの伝え方しか知らなくて、君がそれで困っていることは知っていて。
いつかこの気持ちが届くと信じて、ずっと好きだよと言い続けて。
ねえ、僕のまだ知らない君。
いつか出会えたら、きっと笑っていてね。
END
「まだ知らない君」
夏になると恋しくなるし、冬になると避けたくなる。
季節が理由なのもあるけれど、それだけではない気もする。
夏のバカンス、フェス、花火大会といった浮かれた空気に、ほんの少し気後れする瞬間があって、そんな時に逃げるように日陰に飛び込むのだ。
逆に冬になると肩を竦めて早足で歩く人や、雪が降る直前のどんよりと重い雲に気が滅入って、更に薄暗い日陰から逃れるように遠のいてしまう。
ずいぶんと身勝手だと思うけれど、黙って受け入れてくれる場所の一つくらい、あってもいいはずだ。
END
「日陰」
クローゼットを開けると不意に何かが降ってきた。
床に落ちたそれを拾いあげ、軽くほこりを払う。
それは同居人が夏の間使っていた麦わら帽子だった。
「·····」
猫の額ほどの庭だが、同居人はそこでの時間を割と気に入っているようだった。
伸びてきたひまわりに水を撒く横顔。
しゃがんで草むしりをする後ろ姿。
蝉の死体を見つけた時の、小さな声。
季節が変わっても小さな庭には何かしら花が咲いていて、彩りを添えていた。仕事の合間に時々庭いじりをするのが彼の気晴らしになっているらしい。
私はといえば、自分では直接何かを育てることはせずもっぱら彼の手伝いをするだけだ。
最初に植えたチューリップが咲いた時の、彼の微笑が忘れられない。
その時私の心に初めて浮かんだ、あたたかくやわらかなものの感覚も·····。
窓へ向かう。
冬の庭には小さな薄赤い花が咲いている。
彼に名前を聞いたが忘れてしまった。細いリボンのような花びらが冬の風に揺れている。
休みの日にはまた手入れをする彼の姿が見られるだろう。
「ただいま」
続く名を呼ぶ声に、振り返る。
真冬に部屋の中で麦わら帽子をかぶる私に、同居人は目を丸くして·····次の瞬間弾けたように笑った。
END
「帽子かぶって」
大丈夫ですか? たった一言そう聞けたなら。
最悪の事態を避けられたかもしれない。
何か苦しんでいらっしゃいますか?
そうやって視線を合わせることが出来たなら。
荷を分け合うことが出来たかもしれない。
私に出来ることはありますか?
そう言って手を伸ばすことが出来たなら。
たとえ話を聞くことだけしか出来なかったとしても、ひと時の安らぎを与えることが出来たかもしれない。
そうやって小さな勇気を少しずつ出していれば·····
みんながそれに気付いたのは、全て終わった後でした。
END
「小さな勇気」
「わぁ!」
恋人同士や親子で悪戯をしているような、なんだか微笑ましいやりとりが連想される。
「わぁ·····」
何かにドン引きしているか、何かに感動しているか、どちらかに見える。
「ワァ!」
本当は驚いていないのに、わざとらしく驚いているフリをしている気がする。
これに更にクエスチョンやエクスクラメーションがつくとまた印象が変わるし、小さい「つ」がつくとまた別のシチュエーションが浮かぶ。
表音文字の選び方で会話の印象が大きく変わるのは、日本語だけなのかな?
日本語で話を書きながら時々考える。
END
「わぁ!」