流行っているので皆様お気をつけください~。
「風邪」
重い雲が垂れ込めて、いつもより暗く感じる。
あと数時間もすれば雪になるだろう空を恨めしく見上げながら、いつかのように彼と屋上に並んだ。
「·····」
今夜は星が見えない。
あの分厚く重い雲が隠してしまっているのだ。
いつかの夜、彼は星を見ながら「雪を待ってる」と言った。真っ暗な冬の夜、降り積もる真っ白な雪に埋もれたらきっと気持ちいいんじゃないか、などと――。
無邪気な子供の妄想にも、倦み疲れた大人の希死念慮にも聞こえる言葉に私は耳を疑い、以来こうして彼と二人きりになる時間を見つけては話をするようになった。
誰もが羨望と憧れの眼差しで見つめる美しい男。
何の憂いも無いように見える彼の翳りが、ひどく気になったからだった。
彼はいつかの夜のことを、覚えているだろうか?
「雪になりそうですね」
煙草はやめたと言っていた。
あの日、暗い空に抜け出た魂のように見えていた煙も今は無い。
「·····うん。だから、待ってる」
煙草はやめたと言っていたのに、零れ落ちた小さな声は抜け落ちた魂のようで――。
右腕を伸ばし、柵に寄りかかる彼の手を掴む。
「貴方は·····」
続く言葉は、彼の唇によって塞がれた。
「君の指·····やっぱり冷たくて気持ちいいいな」
楽しそうに笑った彼の手こそ、冷たくてまるで死人のようだと、私は思った。
END
「雪を待つ」
「綺麗だね」
「そうか? 眩しいだけだ」
「あなたは星が好きだからね」
「そもそも人間が星の輝きを真似ようなんて、傲慢にも程があるだろう」
「厳しいなぁ」
「事実を言っただけだ。それに普段は地球環境を守ろうなどと綺麗事を言う癖に、こういうモノの無駄やエネルギー消費量の話をすると屁理屈を捏ねて自分達を正当化しようとする。度し難い愚かさだ」
「うーん。でも、さ·····」
「なんだ。歯切れが悪いな」
「神様はその愚かさを愛したんじゃないかな?」
「·····それはお前個人の考えだろう」
「それはそうだけど」
「それに私達はその神の意思でここにいるんだぞ。奴等は神が許せるレベルをとっくに超えている」
「·····分かってるよ」
「あぁ、お前には前科があるからな」
「意地悪な事を言うね。·····今度は間違えないよ」
「そう願いたいな。お前の監視なんてつまらない仕事を押し付けられて、はなはだ迷惑してるんだ」
「もう、分かってるよ。だったらさっさと仕事を済ませて帰ろう」
「帰れるのは当分先だと思うがな。私達の担当地域だけで対象がどれだけあるか知ってるか?」
「もう、うるさいよ」
◆◆◆
ブツン。
その夜、眠らない街の明かりが一斉に消えた。
今にして思えばそれが、終末の始まりだった。
END
「イルミネーション」
「人も植物も一緒だよ」
老人はそう言って、冬枯れの庭を見つめた。
私は椅子に座る彼の傍らに膝をつき、窺うようにして見上げる。皺だらけの口元は笑っているようにも、悔やんでいるようにも見えた。
「水をあげすぎて根腐れしてしまう花もあれば、水辺の近くでなければ育たない花もある」
目の前の庭は何年も手入れがされていない。
草は伸び放題で、かつては色とりどりの花がつけていたであろう木々は草に埋もれ、葉を全て落として貧相な姿を晒していた。
「陽の光、土の養分、虫の駆除。どれも植物一つ一つで対応が違ってくる。間違った育て方をしていては駄目なんだ」
しわがれた声に疲労が滲む。
「私は·····間違えた」
一代で財を成した老人は、多くの子供と愛人に恵まれていた。全盛期にはメディアを賑わせたことも一度や二度では無い。
だが今は·····この広い屋敷にいるのは彼と私だけ。
子供達も、愛人達も、みんないなくなった。
彼が丹精込めた筈の庭は荒れ地に成り果て、広い屋敷も年月のせいで全て色褪せてしまっている。
豪奢な調度品は持ち去られ、不釣り合いな小さな椅子とテーブルだけが残されていた。
「愛情の注ぎ方を間違えた」
子供達のことか、愛人のことか。それとも庭の植物達のことか。言葉だけでは判然としない。
私は彼の膝に乗った手に自分の手を重ねる。
かさついた指。皮膚のたるんだ甲。年月を感じるそれはまるで枯れ枝だ。
「旦那様」
努めて柔らかく呼びかける。
「旦那様には私がいますから。どうかご安心ください」
庭も、彼自身も。最後まで傍にいて見守らなければ。
――彼には私しかいないのだから。
冬枯れの庭を見つめる彼の目は、虚ろで。
かさついた指が私の手に重なる。
「――旦那様?」
ぎゅ、と唐突に強い力で握られた。
「気付いていないと思っていたのか」
しわがれた声。だがその鋭さは往時となんら変わっていない。
――あぁ、私も間違えた。
そう思った。
END
「愛を注いで」
目に見えない心というものを、何故か全ての人が信じている。
みんなどうして目に見えない、本当にあるかどうかも分からないものを信じられるんだろう?
心無い言葉、という表現がある。
「お前なんか嫌いだ」
「バーカ」
「うっざ」
「鈍くせえ」
こういう言葉を〝心無い言葉〟と言うけれど、そこにも確かに心はあって、相手を拒絶したい、相手を攻撃したい、という感情もある意味〝心〟なのだろう。
本当に心が無い、というのは相手が何をしようが何とも思わない、相手がどうなろうがどうでもいい、そういう事を言うのだと思う。
攻撃的な感情も、心だ。
感情と心は厳密には違うらしいけれど、目に見えないという共通点もある。
どちらも相手の〝本当のところ〟は分からなくて、「多分こうなんだろう」と思いながら互いに窺うようにして近付いたり離れたりしている。
心と心。
感情と感情。
近付いたり離れたり、ぶつかったり反発しあったり。
あれ? 何かに似てる。
あ、分かった。
磁石だ。
END
「心と心」