陽が沈む。
空の端がオレンジ色に燃えている。
高層ビルも、公園の木も、行き交う車も、歩く人も、すべてを黒く塗り潰して。
黒いかたまりになった街は、そのまま一つの大きな生き物になってしまったようだ。
夜に向かって変貌を遂げる街の姿を、ビルの屋上で見下ろしている。
手すりに掴まって片足を跳ね上げる後ろ姿は無邪気な子供のそれに似ていた。
「しゅうまつだねー」
間延びした声で言う。
「そうだな」
短く答えて隣に並ぶ。
地平に沈む太陽の端が、黒い生き物に食べられて無くなってしまったようだ。ならばオレンジの光は黒い生き物の口から漏れた最後の吐息だろうか。
世界の終わりのような不吉な赤は、見ている者の胸をざわつかせる。
当たり前にやって来る週末のように世界の終わりも来るのなら、こんなに不安に駆られる事も無いだろう。
「最後に一緒にいられて良かった!」
「·····俺も」
陽が沈む。
オレンジの光が完全に消えてしまえば、待っているのは·····。
END
「沈む夕日」
「苦しくなるんだ」
彼はそう言って僅かに視線を逸らしました。
「君のそのまっすぐな、綺麗な青が私には眩しくて、私の汚れた心を見透かされているような気がして·····」
そこで言葉を詰まらせた彼は、俯いたまま黙りこくってしまいます。私はじっと、そんな彼の横顔を見つめて待ち続けました。
彼は私と向き合う事を恐れてはいても、逃げる事はしないと分かっていたからです。
やがて彼は意を決したように顔を上げると、私をまっすぐ見据えて言いました。
「君が私を許すと言うのも、自分にこそ責があると思っているのも知っている。だからこそ、私は言うよ。·····私を許さないで欲しい」
彼は私の目をまっすぐ見つめ返しながら、そう言いました。
――不器用なひと。
許すと言うのだから素直に受け止めればいいのに、自分にはそんな価値は無いと思い込んでいる。
苦しくなると言いながら、私の目を見つめることを止めようとはしない貴方に、許す以外に何が出来るというのでしょう?
本当は、過去の罪も、懐かしい記憶も、家族の思い出も、何もかもを手放して貴方と二人、誰もいない世界へ行ってもいいとさえ思っているのに。
彼の揺れる淡い色をした目を見つめる度に、苦しくなるのは私の方だというのに。
あぁ、本当に·····厄介なひと。
END
「君の目を見つめると」
こうして貴方とゆっくり話をするのは初めてかもしれませんね。
ここは不思議です。本来出会う筈の無い人達とこうして出会い、同じ目的の為に集まっている。時代も、国も、距離も、何もかもを遥かに超えて。
私はここに来られて良かったと思います。
あぁ、ほら。
今夜は特別冷えるから、星がこんなに綺麗に見える。
寒い季節の暮らしは辛いものですが、見上げればこうして数多の星が私達を見守っている。それだけで、少し冬が好きになれそうだと思いませんか?
数え切れない輝く星。
私はここに集った皆が、星そのものなんだろうと、最近思うようになりました。
貴方が私にとってかけがえのない友であったように、ここに集う皆が誰かにとって輝ける星で、星を見上げる誰かもまた、別の誰かにとって星なんだろう、と。
強く輝く星もあれば、弱く小さく光る星もある。
燃え尽きそうな星もあれば、生まれたばかりの星もある。そうしてみんな、輝いているのでしょう。
私にとって××は、輝く星空そのものでした。
誰一人、欠けて欲しくなかった。
貴方も、彼も。こう言ったら貴方はまた辛そうな顔をするのでしょうね。でも、本当にそう思うのです。
もっと早く、想いを言葉にすれば良かった。
飲み込み続けた言葉は紡がれる事なく消えてしまって、もう二度と彼等に、貴方に届ける事が出来ません。だから今は、ここにいる今だけは、想いを伝えようと思うのです。
上手く伝えられるか分かりませんが、時々こうして話をしてくれますか?
あぁ、やっぱり。
そうして貴方は泣くのですね。頬を伝う雫が、まるで星粒のようですよ。
END
「星空の下で」
「それでいい」
「それがいい」
「それでもいい」
「それもいい」
一文字違うだけでまるで意味が違ってくる。
学校の委員会で、アルバイトの面接で、今の職場で。
私を選んでくれた人は、どの言葉を呟きながら判子を押したのだろう?
END
「それでいい」
ヤツが死んだ。
年老いたヤツの母は実家近くの病院から出る事が出来ず、唯一の知人だった私に葬儀や遺品整理を頼んできた。
葬儀はごく簡単に済ませ、行政手続きはヤツの母の知り合いだという弁護士に任せた(胡散臭い奴だった)。
部屋の物は好きなようにしていい、と言われた。
「·····」
殺風景な部屋には遺品と言えるものはほとんど無かった。ベッドとテーブルと小さな本棚。作り付けのキッチンには量販品の食器が並んでいる。
死期を悟っていたらしいヤツは、嗜好品や趣味のものを以前から処分していたらしい。クローゼットには似たようなスーツが何枚かぶら下がっていたが、手に取る気は起こらなかった。本棚にあった筈の本も新聞と一緒に縛ってあった。――それをわざわざ解いて偲ぶような仲でもない。このまま遺品整理の業者に任せればいいか、そう思った。
最後にもう一度部屋をぐるりと見渡す。
ベッドのヘッドボードに、くしゃりと潰れた煙草の箱と、ライターがあった。
「·····」
何となく、手を伸ばす。
潰れた箱の中に一本だけ煙草が残っていた。
訪れる度に、咥えていたソレを慌てて消していたのを思い出す。
「体に悪いことは分かってるんだけどね。やめられないんだ」
ヤツはそう言って、困ったような顔をして笑った。
取り出して、ヤツの仕草を思い出しながら銜えてみる。ライターを数度擦ると細く火が点いたので、口元に近付けた。
煙を吸い込むと途端に喉を不快感が襲って噎せた。
激しく咳き込んで、思わず口から煙草を離す。こんなものを好んで摂取していたヤツの気が知れなかった。
ただの知人。仕事の付き合い。それだけ。
むしろ気に食わない相手だった。
だが、ヤツの書いた本は何がなんでも世に出したいと思わせる筆力を持っていた。そしてそう思った私の目に、狂いは無かった。
「·····」
もう一度、煙草を銜える。
気に食わない相手だった。声を荒らげた事も一度や二度では無かった。
だから今、視界が滲んで見えるのは煙草の煙が目にしみたからなのだ――。
END
「1つだけ」