ヤツが死んだ。
年老いたヤツの母は実家近くの病院から出る事が出来ず、唯一の知人だった私に葬儀や遺品整理を頼んできた。
葬儀はごく簡単に済ませ、行政手続きはヤツの母の知り合いだという弁護士に任せた(胡散臭い奴だった)。
部屋の物は好きなようにしていい、と言われた。
「·····」
殺風景な部屋には遺品と言えるものはほとんど無かった。ベッドとテーブルと小さな本棚。作り付けのキッチンには量販品の食器が並んでいる。
死期を悟っていたらしいヤツは、嗜好品や趣味のものを以前から処分していたらしい。クローゼットには似たようなスーツが何枚かぶら下がっていたが、手に取る気は起こらなかった。本棚にあった筈の本も新聞と一緒に縛ってあった。――それをわざわざ解いて偲ぶような仲でもない。このまま遺品整理の業者に任せればいいか、そう思った。
最後にもう一度部屋をぐるりと見渡す。
ベッドのヘッドボードに、くしゃりと潰れた煙草の箱と、ライターがあった。
「·····」
何となく、手を伸ばす。
潰れた箱の中に一本だけ煙草が残っていた。
訪れる度に、咥えていたソレを慌てて消していたのを思い出す。
「体に悪いことは分かってるんだけどね。やめられないんだ」
ヤツはそう言って、困ったような顔をして笑った。
取り出して、ヤツの仕草を思い出しながら銜えてみる。ライターを数度擦ると細く火が点いたので、口元に近付けた。
煙を吸い込むと途端に喉を不快感が襲って噎せた。
激しく咳き込んで、思わず口から煙草を離す。こんなものを好んで摂取していたヤツの気が知れなかった。
ただの知人。仕事の付き合い。それだけ。
むしろ気に食わない相手だった。
だが、ヤツの書いた本は何がなんでも世に出したいと思わせる筆力を持っていた。そしてそう思った私の目に、狂いは無かった。
「·····」
もう一度、煙草を銜える。
気に食わない相手だった。声を荒らげた事も一度や二度では無かった。
だから今、視界が滲んで見えるのは煙草の煙が目にしみたからなのだ――。
END
「1つだけ」
4/3/2024, 3:33:14 PM