Q.あなたにとっての楽園とはなんですか?
「楽園? ……そうだなぁ、会いたい人に、会える場所……とか?」
「楽園っていったらそりゃあ、好きなことやりほうだいな場所だろ!」
「うーん……。誰も苦しむことのない場所、でしょうか」
「自分にとっての最愛がいれば、既にそこが楽園なんじゃない?」
「楽園かぁ、欲しいものが欲しいだけ手に入ったら、楽園かもね」
では、楽園へ行くにはどのようにすれば良いと思いますか?
「えぇ……? そりゃあ、死んじゃった人に会う方法なんて一つじゃない?」
「まぁ、この世に無いってんなら……あの世だろーな」
「極楽浄土、というものがありますでしょう?」
「簡単さ、自分にとっての最愛を見つければいい。どこかの誰かにとってのエリス。俺にとってのあの子みたいにね」
「二度と目覚めないくらい、深ぁく眠ったら行けるんじゃない?」
「て、言うか。別に俺たちの意見なんてどうでもいいんでしょ?」
「自分のやりたいことが間違ってないか、確認したかっただけ」
「そうでもなきゃあ、こんなとこまで来ねーよな」
「ましてや、怪しい人影に声をかけたりもしない」
「つまりさ、」
「誰かに死んでもいいよって、言ってもらいたかったんでしょ?」
「その背中を押してほしかったんだ」
「まぁ別に、物理的に押したりはしないけどね」
「まだ勇気がでねーのか?」
「なら、もっと直接的に言って差し上げます」
「トんじゃっていいよ!」
「ほら、あと一歩」
「こんなところまで来れたんだから、出来るって!」
「大丈夫、きっと楽園に行けますよ」
「かわいこちゃんが待ってるんじゃない?」
『さぁ、ほら、もう一歩!』
放課後の、誰もいない屋上で最近始めた日課がある。差出人も宛名もないラブレターをよく飛ぶように折った紙飛行機にして飛ばし、誰にも届きませんようにと祈るのだ。
飛ばしたら飛んでいった方まで行って、回収するまで帰らない。……届いて欲しいけど、誰にも見られたくない。
そんなぐちゃぐちゃな気持ちを抱えながら今日も紙飛行機を飛ばした。そしたら、強い風が吹いて、いつも絶対に飛ばさない方向に浚われていってしまった。
「まって!」
そう、手を伸ばしてもすり抜けて、あっという間に見えなくなってしまった。
「嘘でしょ……」
早く、回収しないと。だって、あっちには書けない宛名の相手が住んでる家がある。
急いで、落ちたかもしれない場所までいった。道路の隅から、街路樹の上まで。見過ごすことのないように何度も、辺りが薄暗くなっても探し回った。
「よぉ、なにしてんだ?」
「! さ、探し物」
「ふうん、もしかしてこれか?」
そうやって見せてくれたのは、確かに探してる紙飛行機で。
「……それ、中身見た?」
「ん? いや、ついさっき見つけたばっかだし。見てねぇけど」
「見たい?」
「……まぁ、気にならないっていったら嘘になる」
「見ていーよ。もともと、お前宛のやつだし」
そうなのか? 何て言いながら、折り目を一つずつ開いていく指先から紙飛行機を奪い去りたい衝動を押さえて読み終わるのを待つ。
「……これ、お前から?」
「じゃなかったら、どうしてお前宛ってわかるの」
「そーだよな。……あのさ、スゲー嬉しい」
そう言ってはにかんだ顔が、今まで見たどんな顔よりも輝いて見えて思わず目をそらした。
「なぁ、俺も好きだよ。お前のこと、何時も目で追ってた。だから、俺の恋人になってくれませんか」
「そんなの、断るわけないじゃん!」
住宅街の道端ってことも忘れて、思わず抱きついた。届けるつもりもなかった思いが、風にのって届いて、両思いだったなんてこと、きっと他にはいないだろう。
「僕は刹那的享楽主義者なんだ。今が楽しければ明日死んだって構わない」
そう嘯く彼に、恋人が出来ても同じことが言えるのか? そんな疑問をぶつけた。
「恋人が出来たら? 出来たことがないからわからないね。でも、こんな僕と付き合ってくれるんだ。さぞや理解のある子なんだろうね」
恋人が欲しいと思ったこともないのか?
「そもそも、僕は恋なんてね、したくて出来るものではないと思ってるんだ。よく言うだろう? 恋に落ちた、とか稲妻が走った、ってさ。それぐらい衝動的に始まるものとも言うじゃないか。僕だって一度は恋とはどんなものかしら、なんて恋に恋したときもある。……なに? 似合わない? うるさいな、わかってるさ。そういう君はどうなんだ? 君だって恋人が居たことないだろう」
私の事はいい。今は君の事だよと言うと「いいじゃないか少しぐらい。ずうっと僕ばかりが話してたんだ、一つくらい答えてくれたっていいだろう?」何て言うので、仕方がない一つだけだと許可をした。
「やった! そうだな、何を聞こうか……。そうだ、僕に随分と恋はしないのかと聞いていたね。君も恋をしたことがないのかい?」
いいや、しばらく前から叶わないものをしているよ。
「えっ! そうなのかい? なんでもそつなくこなす君でも、成就させると言うのは難しいことなんだなぁ! どんな子なんだい? 可愛い子か、綺麗な子か……。君が好意を寄せる相手だ、きっと素敵なんだろうね。今度紹介してくれないか? 是非見てみたいんだ」
「無理だ」
「どうして! 意地悪かい? 君には時々そういうとこがあるよな」
「……なら聞くが。君に君を紹介とは、どうすればいいのか教えてくれるか?」
「えっ」
つい、口を滑らせてしまった。いくら懐の広いやつでも、親友……友人からお前の事が好きだと言われて、これまで通りに仲良くするのは出来ないだろう。
「……悪かった」
沈黙に耐えきれず、話をしていた喫茶店から出ていこうとしたとき「待って!」と、腕を掴まれた。
「なんだよ」
「あの、ちょっと、待ってくれないか」
「振るなら、早くして欲しいね」
「違う! 違うんだ、本当に、頼むよ……僕に言葉をまとめる時間をくれないか」
「……わかった」
他の客達には騒がしくして申し訳ないと思うが、手を離して貰えないから仕方がない。どんな顔をしているのだろうと確認したい衝動に駆られるが、どうやってうまく断ろうかと考えている顔だったりしたときには、私が交流を持つのに耐えきれなくなるだろう。
飲みきっていなかったアイスコーヒーがなくなって、氷が形を失うほどの時間が経っても何も言ってくれない君に、いい加減腹が立ってきて何か言ってやろうと正面を向いた。ら、まさか。顔を真っ赤に染め上げて、明らかに挙動不審になっているとは思いもしなかった。
「……は、」
「あっ、うぅ……。……信じて、もらえないかもしれないがね、君に、ここまで言わせてようやく、僕も君に恋していたことに気が付いたんだ。どんな友人といるよりも、誰に持て囃されても、君といる時間が、君のたった一言が楽しくて嬉しかったんだ。君は僕の親友だから、他の誰といるよりも楽しくて嬉しかったんだと思っていたし、君が別の友人と遊んでいたときの話を聞いて、そんなやつより僕と遊んでくれたらいいのにって思ったこともあった。こ、これが嫉妬だなんて思ってもいなかったんだよ……。幻滅したかい? こんな僕じゃ、君の恋人にはなれないかな」
この後の結末? そんなもの、わかりきったことだろう。言うなれば、読者の想像にお任せしますというやつだ。好きなように想像してもらって構わない。では、またどこかで。
『貴方の小説が私の生きる意味です』と言う、熱烈なファンレターを貰ったことがある。そのときは確か、長編の何冊にもわたる物を定期的に刊行していた時期で、それを読んだのは完結編が出たあとの事だった。
もとよりこういった長編でもなければ、定期的な刊行など行えた試しはない。アイデアが湯水のように湧き出て、筆が止まることもないような人間でもなければ、シリーズが完結してしまえばその次に出る本は何時になるのかとこちらが聞きたいぐらいだ。
だから、……だから。二年ほどの間を開けてようやく書き上げた新作が、発売されて少したった頃。今回の本にもファンレターが届いていると、担当に貰ったいくつかの手紙のなかにあった、可愛らしい花柄の便箋に綴られた言葉を見て。
『貴方の作品を娘が大好きでした。新刊が出る度に今回はここがよかった、あの話が伏線になっていたなんて、と。とても楽しそうに話してくれました。娘は重い病気で、毎日が死と隣り合わせで明日にはもう目が覚めないかもしれないと不安ばかりでした。そんな不安がる私に、娘は先生の新しい作品を見るまでは死ねないわと笑い、また楽しそうに話し始めるのです。この手紙は娘の代わりに書いています。最期に最新刊が読めて幸せだと微笑んで逝きました。先生のこれからの活躍を心より祈っております』
私の小説が生きる意味だと言うのなら、新しい作品がでなければその意味が無くなってしまうのではないか。あのファンレターを読んでからいつも頭の片隅で考えていたことだ。その結末がこれなのだろう。
霞む視界に少女の幻想が見えた気がした。
善と悪という概念がある。
人は生まれたときから正しく清らかであり、悪いことをしてしまったのならそれは育った環境が悪いのだという性善説。
人は生まれたときから悪であり、もしも清く正しい人に見えるのならそれは理性が強靭で、輪を乱すことを嫌っているだけだという性悪説。
この二つは善と悪というものを語る上で、よく話題になるものと思う。
諸君らも一度は考えたことがあるのではないか? "どちらの説が正しいのか"と。
故に、私は善人、聖人と呼ばれる人を無作為に十人。悪人と呼ばれる人を無作為に十人。合わせて二十人を実験の被献体とすることにした。
勿論事前に説明を行い、同意の上で参加してもらった。
実験はシミュレーターを用いて行う。善人には悪人の生い立ちを、悪人には善人の生い立ちを。それぞれ記憶を失った状態で追体験してもらい、どのような行動をするのかを観測する。
これによってどちらが正しいのか、証明されるはずだ。どちらの説も、言いたいことは変わりないということが。
悪いことをする必要はなく、その発想に至ることもない環境の人間と善いことという概念を知らず、その発想に至ることも出来ない環境の人間は記憶を失くし、立場を入れ換えてしまえばその立場に居た人間と同じように育つだろう。それが証明されれば、いかに性善説、性悪説と言うものが無意味なのか。それを世に知らしめることが出来る。
そうなれば、彼女のように吊るされる人が減るだろうか?