現在深夜3時。寒い空気に息苦しさを感じながら、ただ一心に自転車を漕ぐ。30分前に来た、あいつからの連絡。あの山頂で、待ってるから。そこから鬼電しようも何しようも連絡がつかなくなる。何故こんな夜中に必死になって自転車を漕いでいるのだろう。とんだお人好しだな、と息切れながら自分を嘲笑する。山の麓に着く頃にはもう汗だくで、自転車を投げ捨てる勢いで止めマフラーもコートも脱ぎ階段を駆け登る。時計を見るともう4時だ。息も絶え絶えで山を登りきり、山頂に乗り込む。そこには着膨れて寒さで顔を真っ赤に染めたあいつがいた。少しの間目が合った後、遅いよ。と笑いながら目を細めた。あまりの寒さに途中脱いだものをまた着直す。そうしてしばらく無言で身を寄せ合いながら星を眺める。いつの間に時間が経ったのか日の出の気配がして、隣にいたあいつが突然立ち上がった。そして夜と朝の狭間に立ちながら、少し泣きそうな顔で、 何処にいても必ず迎えに来てね 。と小さく呟く。その顔を見て自分は少し躊躇いながら、自転車でもいいかな。とはにかみながら返事をした。
#自転車に乗って
冷えた暗い部屋で冷たい氷を齧りながら、手元のブルーライトをじっと見つめる。今日一日ほとんど布団から出ずにそうしている。布団から出るのは飲み物を取りに行くか小用を済ませに行くときだけ。何もやる気が起きない。飯を食う気にも課題をやる気にも、全くならない。とにかく憂鬱で動きたくない。布団にくるまり横に倒れると充電コードと目が合う。これを自分のどこかに挿したら、この怠惰な心をエネルギーで満たしてくれるのではないか。そんな考えを深い溜息と同時に吐き出す。そういう日なのだ。そういう日なのだから仕方がない。動けない身体を無理に動かしても心の健康を損ねるだけである。今日はもうこのままで、また明日から頑張ろう。そうしてまたブルーライトを眺めながら深く溜息を付いた。
#心の健康
私、貴方の歌好きよ。君は興奮で汗ばむ額を先程までピアノを弾き鳴らしていた指で拭いながらそう言った。君は音楽に愛されたような人で、楽器を渡せば自由自在に弾き鳴らし歌を歌わせれば周りに感動の嵐をもたらす。それに比べ私は何をしても凡以下で唯一好きと言える歌でさえ、満足に歌えないのだ。そんな私を君はステージへと連れ出し、広い世界を見せた。君が弾く曲は時に情熱的で恋に焦がれる恋歌、時に陽気で鼓舞されるような応援歌、時に憂いの帯びた哀歌。それに合わせて歌う私の歌はそれらの曲を褒め称える賛美歌のような錯覚に陥る。君の奏でる音楽に君と私の全てを乗せ、誰もを魅了してく。君が好きだと言ってれたこの歌はきっとこのためだけにあるのだ。私は君だけにこの歌を捧げる。君の奏でる音楽には私の歌が必要なのだから。
#君の奏でる音楽
濃い青色で晴れ渡る夏空に私は低く呻いた。記憶の中のあいつはそう、生気に満ち溢れていてよく笑っていた。海に行こうと私を誘う、賑やかな声が頭から離れてくれない。決まって麦わら帽子とサンダルを持って、私の周りをぴょこぴょこと跳ねるのだ。今日のような青空に麦わら帽子と白いシャツがよく映えていて柄にもなく似合っている、そう思った。あいつが海に攫われてしまって、でもあの夏の記憶は色鮮やかに思い出せるようで。手元に残った麦わら帽子も随分と色褪せてしまった。青空の日は頭の後ろが酷く痛む。記憶の中の私を呼ぶあの大きな声が頭に響く。あいつは今日もこの麦わら帽子を被り、あの笑顔とともに私の手を海へと優しく引いていく。
#麦わら帽子
人生はまるで線路のようになっていて、私が電車なら色々な人が駅から乗ってくる。それは私を育ててくれた両親だったり、かけがえのない友人であったり。だが、乗ってくる人がいるということは降りていく人もいるのだ。それが少し悲しくもある。ふと考えることがある。このまま生きていって、その最後にこの電車には誰が乗っているのだろう。この線路の終点に、誰が乗っているかなど私には予想もつかないしわかりたくもない。きっとどこかの駅で乗ってきた人がずっと座っているなんてこともある。そんなことを考えながら私は人生の終点まで目指していくのだろう。
#終点