ざざなみ

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5/18/2025, 12:07:02 PM

『まって』

“ ごめんね、次は私よりも良い人のもとで暮らしてね”
そう言われて僕は、河川敷の橋の下に段ボールに入れられて捨てられた。僕は犬だから飼い主の匂いを辿れば、見つけることができる。
でも、僕はそれをしなかった。僕が“ まって”って心の中で叫んでも、吠えてアピールしてもあの人が足を止めることはなかったから。
僕が戻ったら迷惑になると犬ながら悟った。あれからどれくらいたっただろう。空腹で目を開けられなくなってきた。その時ふと頭の上から声が聞こえた。
「·····い、·····おい、大丈夫か?」
僕は必死に目を開けた。そこにいたのは僕の飼い主よりも少し幼い?くらいの青年だった。
「おまえ·····、もしかして捨てられたのか?」
僕はなんとか力を振り絞って段ボールから出てその人に向かって悲しい声で鳴いた。伝わるか分からなかったけれどやらないよりマシだと思った。
「·····うちに来るか?」
そう言われて僕は嬉しそうなアピールをした。それでも空腹で飛び跳ねたりはできないから尻尾を振るぐらいしかできなかったけれど。
「じゃあ、おまえは今日から俺の家族だな」
そう言ってその人は眩しいくらいの笑顔で笑った。それからは、病院に連れて行ってもらって検査を受けたり、体を綺麗にしてくれたり、ご飯ももらった。
僕はその日新しい飼い主の隣で一日を過ごした。
次の日。
飼い主が出掛けると言うので僕がついて行こうとすると留守番だと言われた。それでも、僕は置いていかれるのが怖くて、もうあんな思いはしたくなくて必死にアピールした。
そうしたら、飼い主が僕が寂しがっていることが伝わったのか急に抱きしめてきた。
すると、飼い主は優しくこう言った。
「前にも言ったが、おまえは、俺の家族だ。俺は絶対家族を置いて行ったりなんかしない。おまえの寿命が尽きる時までずっとそばに居る。だから大丈夫だ」
僕はびっくりした。今までの僕の行動でそんなことまで分かるのか。飼い主はその後も、前の飼い主に捨てられて辛い思いをしたなとか不安だよなとか色んなことを言いながら僕の頭を撫でてくれた。この人には伝わっていたんだ。僕の気持ちが。前の飼い主は僕のことをあまり見ようとしてくれなかった。思いを理解してくれようともしなかった。でも、この人なら僕のどんな言葉にも耳を傾けてくれる。僕のどんな思いでも聞いてくれるのだ。
僕は僕の頭を撫でているその手から温かい体温が伝わってきて感じた。
この人なら僕がどんなに歩くのが遅くても、“ まって”と呼び止めても、どんな時でも振り返って僕のことをまっていてくれると思った。
僕はこれから訪れるであろう未来をこの人と一日でも長くまってみたいと思った。

5/17/2025, 12:11:32 PM

『まだ知らない世界』

私は生まれた時から病弱でよく入退院を繰り返していた。最近は、体調を崩す頻度が多くなっていたため、検査のためということもあり、しばらく長期入院になってしまった。
私には母がいない。私を産んで直ぐに亡くなってしまったらしい。なので、父が時々様子を見に来てくれるけど、私の父は写真家で世界全国の美しいものや珍しいものを写真に納めては世界に発信している。
そのせいで父もあまり来れないのだ。父は何度か私を心配して“ 写真家を辞める”と言っていたけれど私は“ お父さんの写真を待っている人が世界中に大勢いるんだから”と止めたことがある。
そんな父に代わって毎日と言っていいほど私の病室に訪れてくれるのは幼なじみの男の子だ。
幼い頃から家族ぐるみで仲が良く私の体のことに理解があって手助けしてくれている。
私と彼は毎日病室で、お父さんが時々送ってきてくれる世界各地の写真を眺めるのが日課になっていた。
私はある時からお父さんの写真を見て思っていたことをポツリと呟いた。
『こうして写真を見てみると私たちにはまだ知らない世界が地球の向こう側には存在しているんだね、私には一生かかってもこの景色を見ることは出来ないや……』
つい、羨ましげに言ってしまった。でも、時々思うのだ。皆みたいに体が健康な人は日々どこかで毎日綺麗な景色や建物や動物を見ることが出来ているのだ。
私みたいに幼い頃から外で碌に遊ぶことが出来ず、人生の大半をこの病室で過ごしている人にとっては外の景色さえ見ることができないのだから。
彼は私の呟いた言葉を聞き、少し考えてから言った。
「たしかに、世界には僕たちのまだ知らないものがたくさんある。でも、外に出なくてもここでしか見られない“ 世界”があるんじゃない?」
私は彼の言葉が一瞬理解できなくて頭にはてなしか浮かばなかった。
彼はそんな私に庭を見てみろと目配せをした。
私はベットから少しだけ起き上がって窓の方へ目を向けた。
そこは、庭になっていてたくさんの植物が咲いていた。その中でも、彼の視線の先にあった花に目がいった。
この花はたしか「月下美人」という花だ。月下美人は別名ナイトクイーンと呼ばれていて、夜の間にだけ咲くという性質のある花だ。
でも、この花はここら辺では咲くことの無い希少な花だ。どうしてその花がここに咲いているのか。
そう思っていると彼が口を開いた。
「実は、日本でも6月から11月頃までは見られることもあるそうなんだ」
『そうなんだ·····綺麗·····でも、どうして私にこの花を見せたの?』
「この花は日本で咲くと言ってもどこでも見られるわけじゃないんだ。何故この病院で育ったのかは知らないけど僕たちは運がいいと思って」
『運がいい?それってどういうこと?』
「僕たちは、この病院で初めて月下美人を見た。咲いているところは夜の間しか見ることができないけれど花は見れたんだよ。それって今、君の言うまだ知らない世界なんじゃないかな?」
たしかに、彼の言うことは最もだ。私が病弱じゃなければ·····、この病院に入院しなければ·····、この花は見ることが出来なかった。
私は彼に“ そうかもね”と言いながら二人で笑いあった。
だって“まだ私たちの知らない世界 ”を見ることができたのだから。



5/16/2025, 10:52:53 AM

『手放す勇気』

私は明日、この家から引っ越すことになった。
ここは、私たち家族にとって辛いことを思い出させるからと家族みんなで話し合って決めたことだ。
数ヶ月前、飼っていた猫が死んだ。名前は凪と名付けていた。とても人懐っこくて家族みんなで可愛がっていた。けれど、もう寿命だったんだと思う。
ある日を境に、凪が急に歩かなくなった。両親は最初、ただ寛いでいたいだけだろうと言っていたけれど、たぶんあの頃から少しずつ体を動かすことが困難になっていたんだと思う。
日に日に衰弱していく凪を見て、私は見るのが辛くなって凪を構うことも少なくなって言った。
でも、凪はそんな私の気持ちを分かっていたのか私が構わなくてもずっとそばにいた。
たぶん、私が悲しいと思っていることを分かってそばにいてくれたんだと思う。
私もいつか、歩くのが遅くなっても、動けなくなっても私が手を差し出すと頬を擦り寄せて来る凪が可愛くて残り短い寿命を少しでもいい思い出にしてあげようと思うようになっていた。
その数週間後に凪は静かに息を引き取った。
その後はちゃんと弔って凪に凄く感謝した。
しばらく、凪のいない生活をしていたけれど、両親がこの家にずっと居るのはつらくないかと私に言ってきた。
いくら飼い猫と言えども亡くなってすぐに忘れて前を向いて生きていけるはずがない。
私はまだ、心のどこかで凪の死を悲しんでいたのだと思う。
もう私も前を向かないといけない時が来たのかもしれない。
今日、私はこの地を手放す勇気を胸に新たな地へ行くことになる。
凪の思い出をずっと忘れずに生きていくために。私が前を向いて生きていくためにも。

5/15/2025, 11:05:22 AM

『光り輝け、暗闇で』

私は、小学生の頃に男子の悪ふざけで狭い場所に閉じ込められたことがある。
暗い場所に訳の分からないまま閉じ込められて出られなくなってパニックになっていた時、中学生だった兄が見つけ出して助けてくれた。
兄は私を見た途端、力いっぱい抱きしめて“ 無事で良かった”と言った。
その後、兄は悪ふざけじゃ済まされないと学校側に男子達がやったことを包み隠さず話して、相手が耐えられなくなり泣き出すぐらい私の代わりに怒ってくれた。
でも、私はその日から閉所恐怖症になってしまった。
そんな私を家族は心配してくれた。もう、あの学校に通えないと判断した家族は私のために引っ越すことを提案してくれた。
引っ越すと言っても隣町に越すだけなので仲の良い友達とは何時でも会える。
私は少し考えてから引っ越すことに決めた。
あんなことをしたクラスメイトのいる教室には戻りたくなかったから。
―――数年後。
私は、新しい環境にすぐ馴染み、仲の良い友達とも巡り会えた。閉所恐怖症は今も治らないけど、クラスメイトも皆良い人ばっかりだし、仲の良いクラスなので満足している。
兄は希望の大学に入るため必死に勉強している。
実は私には、兄に言うのが恥ずかしくて言えていないことがある。
あの時、閉じ込められた時に助けに来た兄が一瞬暗闇に差す一筋の光に見えたのだ。
あまりにも光り輝いて見えたからその光を見て安心してしまった。
たしかに兄は明るい性格をしているけれど、あの光は性格からくるものではなく、私にとってヒーローのように見えたのかもしれない。
私は……兄には今のままでいてほしい。
ずっと、ずっと暗闇でも光り輝くことの出来る存在でいてほしい。

5/14/2025, 12:03:03 PM

『酸素』

私はいつも周りを気にするタイプだった。
ある女の子が悪口を言っているのを見かけたり、ある男の子が誰かの容姿について悪口を言っているのを見かけると、私のことなんじゃないかと思って不安になった。
だから学校では常に周りの人の反応や顔色を窺いながら生活していた。そのせいか学校では息をしている気がしなくていつも息苦しかった。唯一、家では酸素という名の空気を吸い込むことができたから自分が生きていると実感することができた。
ある日、近所にある家族が引っ越してきた。その家族は私と同年代ぐらいの男の子を連れていた。
私はその家族から彼は病気がちで体が弱いから自然が豊かで静かなこの地に越してきたのだという。
私は、いつの日か歳が近いこともあってその子の家に遊びに行くことになった。
彼が挨拶に来た時、私が体調が悪そうだったのに気づき部屋で休むように言った時から何故か彼の母親が時々家に招いてくれるようになった。
後で体調が回復した彼から聞いた話だが、今まで住んでいた地では誰も彼を私のように気遣ってくれる人はいなかったのだという。
彼の家に行き、彼と話すようになってから私にある変化があらわれたのだ。
それは、彼と一緒にいると体内に酸素を取り込めるようになった。つまり、息が出来るようになったのだ。
彼が穏やかな人だから居心地が良いのかと思ったけれど、少し違った。
彼は何に対しても、誰に対しても悪意のある話し方をしないのだ。
彼の話し方が、彼の優しさが、私に酸素を巡らせてくれているのだ。
私は家以外で、息苦しくないこの時間が好きだ。
彼がこの地に来てくれたから、私は息をしていられる。体に酸素を取り込むことが出来る。嫌な学校生活にも耐えることが出来るのだ。
あと何十年、いや…あと何年でいいからもう少しだけ彼のそばに……。

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