涙の理由
涙にはね、きっといろんな理由があるわけですよ。
春風が目に入ったとか
ちょっとトイレで力んできたとか
あくびをした後だとか
ふざけた理由ばかりだって?
やだな、怒らないでくださいよ。
別に深刻な時もあるって知らないわけじゃないんです。
でもねぇ、私のこれは大した理由じゃないから。
悲しいことも、苦しいことも、分からないことも
なんにも、なんにもないんですよ。
そう言っても君は聞きもしないんだよな。
やめて、僕の腕を掴まないで。
君の方が本当に泣きそうじゃないですか。
涙の理由にだってね、くだらないものもあるんですよ。
私、汗っかきだから目のくぼみに汗が溜まってそれが溢れてるだけなんだよなぁ。
目から汗が、とか言い出した人誰なんだろ。
僕の涙の理由は誰にも理解されないまま。
コーヒーが冷めないうちに
私がカフェを好きになったのは、ポニーテールのよく似合う店員さんと仲良くなってからだと思う。
ある日、カフェで私が小説を読んでいると、思わずといったように声をかけられた。私が読んでいたのは素朴な印象の恋愛小説で、彼女も丁度最近読んだらしい。そんな偶然をきっかけに、あまりお客さんの来ない静かなカフェで、私たちが同い年くらいだったことも相まって私たちはすぐに仲良くなった。
いつもついつい話し込んでしまって、そんなときに彼女は少し慌てながら言う。
「コーヒーが冷めないうちに!」
今日も同じように言ってとたたと駆けていく彼女に、思わず声を出して笑ってしまうのをこらえて、頑張ってねとゆるく手を振って見送る。こみ上げてくるおかしさを代弁するかのように、コーヒーカップからカラリと氷の溶ける音がした。
パラレルワールド
もしもね、君がいたらって思うことがあるのよ。
もしも君がいたらね、今日もそばにいてね、この青い花畑を一緒に見れたと思うの。
もしも君がいたらね、この場所に君も一緒に来てね、何かを分け合って食べた気がするの。
そう思うと、どんなにいい日でもちょっと損した気持ちになるよね。
でもきっとね、もしも君がいる世界と君のいない世界があったとしてね、君がいないほうが私の正しい世界なのよ。君がいる世界はね、私が寂しい世界なのよ。
きっと、大人になっていくにつれて私たちは離れていくはずだったの。ともだちからクラスメイトに、クラスメイトから知り合いに、知り合いから赤の他人に、少しずつ離れた道を歩くようになっていたのよ。
でも君はいなくなって、私の中にいるの。なんだか薄情ね。結局は君の抜け殻が好きなだけなのよ、きっと。
でもね、もし君と私が重なる世界があるなら、それは素敵だなって思うのよ。本当にそばにいてくれる君も、本当に好きだったから。
時計の針が重なって
多分これは、卒業式のことだったと思う。私の卒業式か、先輩の卒業式かなんてことはよく覚えていない。とにかくどっちも長いこと座らされてしんどかったってことだけが確か。
しんどくてしんどくて、座ってるくらいなら卒業式中ずっとグラウンド走り続けるので許してくれとすら思っていた。
だからたぶん、気を紛らわせるために時計をみていたんだと思う。
秒針が分針の上を通る、時針の上を通る。また、分針の上を、また、時針の上を。出会っては別れて、出会っては別れて。いつの間にか長い針が太い針を通り越していたりする。
延々と時間が流れているようで、今日この日の別れも大したことがない気がしてしまう。
それでもなんやかんや楽しい毎日で、時計の針が重なった、そんな一瞬みたいな幸せに。
ありがとうと言おう。さようならを言う時間はないけど、僕たちはまた出会うから。
時計の針が重なって。
時計の針が重なって
お題 僕と一緒に
【君からのタナトス】
僕には夢というものがなかった。
特にやりたいことも無く、呼吸という単純作業に明け暮れていた。
生きるという当たり前の行動を赤の他人と同じように繰り返すだけで何の意味もない。そのくせ夢なんてものがいつかできるとぼんやり思っていて、その夢により何か特別な僕ができるんだと思っていた。
変わらないまんま汚れていくだけの日々に自分が埋もれていいくんだと勘違いした、ぼんやりとした、欲の一つもない僕に衝動を与えたのはたった一つ君だった。
ゴミが散らかって濁りきった海のある小さな港で君と出会った。
海へと続く階段に腰掛けて、僕は猫の亡骸をスケッチしていた。その姿がとても美しく見えて、息も忘れそうだった。
猫の亡骸には既に虫が群がっていて、カラスは電線からそれを狙っていた。
「この猫は無事に帰れたみたいだね。こうやって自然の中で正しく無に戻っていく。人に見つかってしまえば叶わないことだ」
君は厳かに語りだした。
「君にはその重要性がわかるかな?」
薄い薄い、笑みにも満たないそれを浮かべて君は僕を見透かした。
「火葬だって人なりに考えてできた文化だ。それは他の埋葬の仕方にも言えることだけど、それが正しいとは思えない。この猫のような還り方のほうが正しいと思えるんだよ。だって神様が最初に定めた方法だろう?」
その語り口はありえないくらい神秘的で、可怪しなくらい僕は君を信じ切ってしまっていた。
「今の時代では神様の方法で還れないんだよ、命の終わりを待ってしまえば。必要なんだ、正しさを実行する覚悟と」
覚悟と、それともう一つは動機、いや衝動だろうか。
例えば今僕が感じているかのような。
この熱は、早まる鼓動は、初めて感じたもの。
僕が変わる衝撃。
それを始めたのは夢なんて希望のあるものではないかもしれないが、僕が初めて感じた衝動だった。
「ねぇ、僕と一緒に踊ってくれないかい?」
そして僕を最後に正しくしてくれたのは君からのタナトス。
いや
君というタナトスだったのかもしれない。
「うん」