郡司

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7/26/2024, 8:30:14 AM

鳥かご

私が鳥で、鳥かごの中に入れられたら、どう感じるだろう…?

今の時代は、人間が鳥を飼うときはペットショップで出会うのが大多数だろうから、もしかしたらケージや鳥かご以外の世界を知らなくて、「空を想う」こと自体が無いかもしれない。

餌と水が絶えず、天敵の脅威も遠く、人間が危険でないなら、特に思うところも無いかもしれない。

そして、生きるサバイバルから隔絶した認識のすみっこで、人間たちが自ら「鳥かごのような制限」のなかに居ることに気付いてしまうかもしれない。

人間たちは己の持ち合わせた力(翼)を全開で使うことが無い
自分のように

人間たちは大空(生きものに当然ある内的自由)がそこにあっても自由を見ない
自分のように

人間たちは退屈そうだ
自分のように

みんなそうなのかな
なんだかモヤモヤするけど
よくわからないな…

人間と動物の関わり方はいろいろだから、鳥かごが閉ざされていないただのねぐらで、人間たちと楽しく過ごしてる鳥も居るだろう、たぶん。私はその辺りに明るさを見ることにしよう。

ただね、「鳥かご」がお題になると、焦点が鳥じゃなく鳥かごになっちゃうよね。“鳥かごに鳥を閉じ込めるように、肉体的物理認識に自分を閉じ込めて、そこを己の限界とする”ような、息苦しい感じは否めないね。

私というトリは、でっかいシマフクロウになって、華奢な鳥かごなんざ破って出てくぜ。

7/25/2024, 5:44:43 AM

友情

ありふれた言葉のはず、なのに「友情」と考え始めるとわからない「友情」。少なくとも、私にはピンと来ない曖昧さ。はたして私の周りに、一般に持たれているイメージどおりの友情なんてものはあったろうか。少なかった気がする。

今の私が「友」と呼びかけるのは(極端に少ないが)、心延えに信頼が置ける人格であるのはもちろんながら、互いの間に、ありがたくないものも含めて“何でもあり得る自由意志”が尊重され、「自分の生きる責任」を自ら担い、己の道をゆくが故に「全く対等」を認め合う者だ。なので、物騒な可能性も僅かながら含んでいる相手もある。しかし、だからといって「お前はお前の好きにしろ。如何であろうが知らぬ」というわけではない。「もっと良い選択肢がぶら下がってないのか」などと“お節介スレスレ”な対話や働きかけはする。

…と表現すると、やたらに硬質で「どこの世界のハナシだ」という印象になるな…うーん。でも本質を抽出して言葉で顕すと、私から見た「友」はこうなのだ。

全体を見渡してみると、自然のなかの種族たちの関係性はまさにそのままだ。人間だけが、違う理由と要因で「友」を擬態したりする。それぞれにそれが必要である「ワケ」が有るのだろうけれど、疲れないのだろうか…?

「友情」が友情でないものをたくさん見てきたし経験してきた。薄ら寒いと思う。だからこそ私は「くそ熱い、圧の高い奴」で居ようと思う。自分の中に「氷の冷たさ」もある。自分の「熱」を忘れないように生きて行くことは、命あるものへの、私なりの「友情」だ。

7/24/2024, 8:07:07 AM

花咲いて

咲き出す花を楽しみにするお話が出揃っているようだ。さて、私は違う方向の花を考えてみようか。

10年以上前、夜明けの青い薄明るさのなか、山あいを車で通り抜ける機会があった。晩夏にさしかかる時期、明け方だと霧が紗幕のように遠景を隠す。
道路以外の見える範囲には、どこまでも花が咲いている。すべて同じ形の白い花。隙間もなく、色違いなどただの一輪もない。霧の隠しが被っている青の薄明に、広大過ぎる花の原。すでにしばらく花のなかを走っているのに、花の原が尽きるところが現れない。異界につながっているかのような、幻のような、白い花の世界に、突然鮮やかな黄色が現れた。それは大きくはない小屋のように見えた。人の気配は無い。よく見ると、小屋らしきものにはタイヤが付いている……さて、現実に帰って来ようか。

黄色い小屋のような「車輛」は、収穫のための農機「ハーベスター」だ。農機としては山のようにでかい。白い花の原は蕎麦畑である。上記の風景は実際に私が通りがかりに見たそのままだ。昔は田んぼだったところを、畦を壊して蕎麦畑にしたので、ハーベスターみたいなでっかい農機でないと、収穫が間に合わない。

蕎麦を食べて「美味ーい!」と喜ぶとき、蕎麦の花の風景も一緒に…などと思うこともないではないが、わが胃袋は、腹ペコ時には食べものに全集中だ。花を想うにはお腹を空かしていてはダメなのだろう。

平和という花も、餓えたこころを癒してやっと、見たり咲かせたりできるのだろう。
花よ咲け。でもその前に「ごはん食べ」なさい。「食べない」奴は自分を生かしてくれるものに触れる機会に乏しいから、りっぱな「ハーベスター」になれないわよ。そんなのお母さん許しませんよ! 「いただきます」と「ごちそうさまでした」って、ちゃんと言うのよ!

7/22/2024, 1:58:19 PM

もしもタイムマシンがあったなら

もしもー、ピアノがー、ひけーたならー、……というところにつながる私は昭和の子。

音楽はタイムマシンだと思う。いつかの音楽で思い出す自分のいつか、という辺りに覚えのある方も多いはず。

最近、音楽のそういう効果を通して興味深いと思うことがいくつかあった。半世紀生きている私が「少し前の曲」と感じる音楽を聴いて、「すっごい古い曲」と言う13歳。このズレは、過ごしてきた期間の尺の違いなのかもしれない。私の感覚で「すっごい古い曲」とは、生きてる人が目の前で歌ったものとしては「東京行進曲」だ。私が子どもの頃、祖母が一度だけ歌って聞かせてくれた。昔の流行歌だと言いながら。なぜか私はその歌を一度で覚えて、たまに歌っていた。昔恋しい銀座の柳、徒な年増を誰が知ろ……子どもが歌うにゃシュールだわね、ははは。

うちの子どもが見ていたショート動画にたくさん乗せられていた「ビビデバ」という曲、じわじわと頭の中で回るようになり、改めて聴いてみた。なぜか懐かしい感じがしたので、何にそう感じるのか少し考えたら、昔自分の車に載せていたウーファーボックス(28cmスピーカー2発並び)の低音にそっくりであることに気づいた。若くてバカだったんですよ、ははは。

いっときまさに一世を風靡していたらしい「アイドル」も、何かが感覚に引っ掛かって聴いてみた。この曲の何に耳が引かれるのか、注意しながら何度も聴いていて気づいた、私はドラムロールとストリングスを聴いていたのだ。ドラムロール…。持ち越した感覚なのかもしれない。

さて、記憶を引き出すものとして音楽は優秀なタイムマシンだが、「タイムマシンという機械」がなくても、人間の意識は狙った時空座標へ「認識を降り立たせる」ことができる。物理的身体はもちろん持たずにだが。…そこで何をするのか? 私は大好きな人の赤子の時へ降り立った。しばし抱っこしていた。ママが戻って来るまでの間。嬉しく、あたたかく、幸せな、祝福のときだった。

7/21/2024, 1:01:24 PM

今一番欲しいもの

こんなに暑い今日という日に、エアコンが壊れた。20年働いてくれたから、さすがに寿命だろう。窓枠エアコンと呼ばれる簡易型のものだが、小さな住処には絶大な冷却能力がある。

今夏はやたらに暑くなる予想が早くからアナウンスされ、子どもの学校の夏休みは例年より1週間も日にちが増えた。長い夏休み、エアコンの無い状態で乗り切るための消耗品を補充し続けるのと、新しくエアコンを購入するのと、どちらが安いか。

などと考えあぐねていたら、きょうだいのところで引退した同様のエアコンが、まだ使えるかもしれないと聞いて引き取った。さっそく設置して稼働テスト。休眠していた機械が「眠りから覚める」のにしばしかかったが、無事に冷風が出始めた。これも20年ものだというから、この先何年もというわけにはいかなそうだが、今年はいけそうな確りさはある。ホッと一安心。

「必要なものは得られる」と、たまに聞く。今日の私が欲し、必要としたのは、「今夏を無事に過ごせる安心」だった。必要とした同日に、その本質は得ることができた。

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