郡司

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鳥かご

私が鳥で、鳥かごの中に入れられたら、どう感じるだろう…?

今の時代は、人間が鳥を飼うときはペットショップで出会うのが大多数だろうから、もしかしたらケージや鳥かご以外の世界を知らなくて、「空を想う」こと自体が無いかもしれない。

餌と水が絶えず、天敵の脅威も遠く、人間が危険でないなら、特に思うところも無いかもしれない。

そして、生きるサバイバルから隔絶した認識のすみっこで、人間たちが自ら「鳥かごのような制限」のなかに居ることに気付いてしまうかもしれない。

人間たちは己の持ち合わせた力(翼)を全開で使うことが無い
自分のように

人間たちは大空(生きものに当然ある内的自由)がそこにあっても自由を見ない
自分のように

人間たちは退屈そうだ
自分のように

みんなそうなのかな
なんだかモヤモヤするけど
よくわからないな…

人間と動物の関わり方はいろいろだから、鳥かごが閉ざされていないただのねぐらで、人間たちと楽しく過ごしてる鳥も居るだろう、たぶん。私はその辺りに明るさを見ることにしよう。

ただね、「鳥かご」がお題になると、焦点が鳥じゃなく鳥かごになっちゃうよね。“鳥かごに鳥を閉じ込めるように、肉体的物理認識に自分を閉じ込めて、そこを己の限界とする”ような、息苦しい感じは否めないね。

私というトリは、でっかいシマフクロウになって、華奢な鳥かごなんざ破って出てくぜ。

7/26/2024, 8:30:14 AM