郡司

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もしもタイムマシンがあったなら

もしもー、ピアノがー、ひけーたならー、……というところにつながる私は昭和の子。

音楽はタイムマシンだと思う。いつかの音楽で思い出す自分のいつか、という辺りに覚えのある方も多いはず。

最近、音楽のそういう効果を通して興味深いと思うことがいくつかあった。半世紀生きている私が「少し前の曲」と感じる音楽を聴いて、「すっごい古い曲」と言う13歳。このズレは、過ごしてきた期間の尺の違いなのかもしれない。私の感覚で「すっごい古い曲」とは、生きてる人が目の前で歌ったものとしては「東京行進曲」だ。私が子どもの頃、祖母が一度だけ歌って聞かせてくれた。昔の流行歌だと言いながら。なぜか私はその歌を一度で覚えて、たまに歌っていた。昔恋しい銀座の柳、徒な年増を誰が知ろ……子どもが歌うにゃシュールだわね、ははは。

うちの子どもが見ていたショート動画にたくさん乗せられていた「ビビデバ」という曲、じわじわと頭の中で回るようになり、改めて聴いてみた。なぜか懐かしい感じがしたので、何にそう感じるのか少し考えたら、昔自分の車に載せていたウーファーボックス(28cmスピーカー2発並び)の低音にそっくりであることに気づいた。若くてバカだったんですよ、ははは。

いっときまさに一世を風靡していたらしい「アイドル」も、何かが感覚に引っ掛かって聴いてみた。この曲の何に耳が引かれるのか、注意しながら何度も聴いていて気づいた、私はドラムロールとストリングスを聴いていたのだ。ドラムロール…。持ち越した感覚なのかもしれない。

さて、記憶を引き出すものとして音楽は優秀なタイムマシンだが、「タイムマシンという機械」がなくても、人間の意識は狙った時空座標へ「認識を降り立たせる」ことができる。物理的身体はもちろん持たずにだが。…そこで何をするのか? 私は大好きな人の赤子の時へ降り立った。しばし抱っこしていた。ママが戻って来るまでの間。嬉しく、あたたかく、幸せな、祝福のときだった。

7/22/2024, 1:58:19 PM