郡司

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7/20/2024, 7:47:51 AM

視線の先にカメラのレンズを認めた一瞬の後、花咲くような笑顔のかたちに、筋肉が動いた。

困ったな、新しいハートを開いてほしいんだけど、まだ何か届け足りないみたい。

ほとんど物理を使わない方法で、どれだけ美しい花を咲かせることができるか、「作用」に「愛」と「真」を浸透させることができるか。試行錯誤の繰り返しだけど、そのかんばせに咲くにはどうすればいいか、探す方がウェイトが高い…ぐぬぬ。

7/18/2024, 1:35:54 PM

私だけ

「私だけ」って、いろいろあるね…さて……

私という者の内外を、意識的にせよ無意識的にせよ、「見る」のは、基本的に私だけ…と、以前は思っていた。人間とは分離分割した個別意識を持って、どこまでも「ひとり」だと。昭和の頃に周りの大人たちがたまに言っていた、“人間はひとりで生まれてひとりで死ぬ”という言葉の響きも、「私を知るのは私だけ」なんて暗示につながったかもしれない。

ところが、現在の私の近くには、他人の経験した事象を複層レベルまで体感を伴って見通してしまう者もあれば、他人の感情の色が見えたり頭の中の言葉が聞こえてしまう子もある。両者とも周りの人のいろいろな波動を自分自身の認識フィルターに通過させて知覚するのだが、厄介なことに「見ようとして見る」のではなく、「いつもそのように見えてしまう」のだ。これは、存在として誰もが持ち合わせるポテンシャルのひとつなのだが、「人間の知覚・感覚とはこんなもの」という、物理的知覚が主体の集団的汎用テンプレートにはまらないので、ストレスになる。「どんな認識の仕方をしているか、本当のことを他の人に話したところで通じないし、だいたいそんなことに誰も興味ないだろうし、不気味がられるのがオチだ」と諦めてしまうので、自分自身の知覚・感覚がおかしいのかまともなのか、測るための情報も得られないまま、不安感を抱え込む。

結論から言えば、その知覚・感覚はおかしくなどない。知覚レンジが広い状態なのだ。もともとの資質として知覚レンジが広く、物理的知覚に引っ掛からないはずのものを知覚する人は、存外に多いのではないかと、近年ますます思うようになった。「神経系に作用する薬(病院処方薬)とか、それこそ何かキめてるから変なものを見聞きしたりするのでは?」というツッコミもあることだろう。神経系に作用する薬は、認識のフレームの一部をはずす働きをする。すると、知覚レンジは広がる。人間の知覚・感覚は人それぞれの状態なので、そもそも「そんなわけない、頭がおかしいんだ」と決めつけるのは早計に過ぎるのだ。

自分に見えているもののうち、誰とでも共有・共感できるものもあれば、それが難しいものもある。状態に関する本質を突いた情報や知識が少ないことも、ままある。この世にひとり、わけわかんない場所に取り残されたような心細さや寂しさで心がつぶれそうになる人は、私の見る限り、少なくない。

私は、「私だけ…?」に不安が迫るとき、「なぜ、何がどうなってる? これの答えは何だろう?」と、“自分の真実”を求めることにしている。必ず次への間口は見つかる。大丈夫だ。

7/17/2024, 1:39:41 PM

遠い日の記憶

10歳のある日、いつもより痛く悲しいことがあって、ひとりフトンに隠れて泣いていた。孤独感に取り囲まれてオールレッド。心から血が出ている気さえする胸の痛さ。どうしようもなくひとり。

突然声が聞こえた。「泣かないで、ぼくがいるよ」

驚きで眼を見開いたのは、後にも先にもそのときだけだ。見覚えのない一瞬の姿。誰かは判らない。

なぜか40年経っても忘れない。

7/17/2024, 6:51:00 AM

空を見上げて思い浮かんだこと

その時々で違う。そしてすぐ忘れてゆく。

空には何もなく、そのくせ魔法のキャンバスのようにいろいろなものを顕す。なぜかいつも生きものの気配がある。空が何かで覆われたりしたら、息苦しさに苦しみそうだ。空に向かって呼吸しているわけでもないが。

太陽の光は空から来る。月の光も空にある。
大きすぎて、存在感がイマイチに感じる…のは、私の認識の力量が足らんのだろう。空は深く、大きい。間違いなく、地球に生きるものの生を支えている「ありかた」のひとつだ。

暑くてあたまがまわらない。今日もまたもやここまで。

7/16/2024, 3:40:27 AM

終わりにしよう

今、赤十字病院に来ている。今日は祖母の患った病に関する定期診察だった。採血室で検体をとり、検査結果が出るまで最短で1時間。混雑状況によるが、それから更に診察呼び出しを待つ。4~5時間はかかる。98歳の祖母には負担の大きいことだ。

今朝、私は「まだ通院せんばならんの? もうずっと検査スコアは良い状態の上で処方は鉄剤だけだし、でかい病院はいちいち負荷もでかいわ」などと言ってたのだ。ここの他にもかかりつけ医があって、基礎疾患のために定期診察を受けている。今週末までにそちらも受診がある。正直、この通院状況には2年ほど前からやきもきしていた。

診察室に入ると、医師は開口一番に言った。
「もう終わりにしましょう。検査値もずっと鉄剤のみで良い状態ですし、今回最大量処方しますから、その後はサプリメントとかでも大丈夫だと思います。98歳だしねぇ。私の患者さんでそれほどの歳の人って…いないんですよ。もういいんじゃないかな」と。

医師には医師の理由か都合でもあるような含みのある言い方だったが、ともかく終了との宣言だった。

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