郡司

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4/28/2024, 1:00:21 PM

刹那

「俺達がガンダムだ!!」…冗談です。わかる人にしかわからないですね、はい。出オチですね、はい。

…まじめに行こう。

刹那。もともとは仏教の中の言葉だ。瞬間よりも短い、とても短い時間だと。

個人的な感覚では、刹那というのは「内なる時間」に類するもののように感じる。自分の外で測られる「同意された時間尺度(つまり時計の動きに即した)」ではなくて、自分の内側、「意識の領域」に近いところに「刹那がある」感じがするのだ。“指をはじいて鳴らす音の間に60もの刹那がある”のが、意識領域で扱う情報量のことを指すなら、すんなり腑に落ちる気がする。

以前、ある者と時計時間で20分間、対話した。双方とも言葉の中に含む情報密度の非常に高い対話で、私は「きちんと記憶する」ために、対話内容を脳知覚に合わせて再展開し、自分の内側の、樹状のような「知のシステム」に組み上げていった。その作業に5日間を費やした。20分間の対話をシステム整理するのに5日間だ。

意識領域に時間などないが、動きはある。…と、大師たちは言う。また、「情報」は「マテリアル」であるとも。色即是空 空即是色と量子物理とは同じ本質を指差すようになった。意識領域の「経過感覚」を示そうとするのに、「刹那」という表現が最大のものだったかもしれない。「時間」でも「動き」でも、その内側に「流れ」を包蔵する。

現実は意識に伴って明滅する、とも聞く。あまりに速く細かで、その明滅は人間の脳知覚で捉えることができないと。その「刹那」は、1秒の10マイナス6乗あたりなのかも知れない。

いずれにしても、日々使っている「チクタクな時計」では、「刹那」は測れなさそうだ。

4/28/2024, 3:59:47 AM

生きる意味、なんて言い出せるなら、それは平和で心に余裕のある世であると喜ばしく思う。皮肉ではない。本当に。

自分に「生きる意味」があるかどうか?…という文言を頭の中に置いてみた。途端に自分の周りがボヤッとモヤッとした。どうも「明晰さ」を撹乱する言葉であるようだ。イラッとするね、はっはっは。“おととい来やがれ”と言うのが「正しき返礼」かな。

生きる理由ならある。
それで充分だ、人間の私には。
理由が明らかでないときでも、身体がそれ自身の生きる必要を以て「生きること」を繋いでくれる。
「意味」は先にあるものじゃなく、生きて歩み来た背後に生まれてゆくもの、まさに「靴跡に咲く花」だろう。どんな花が咲くか、その花の響きは何処へたどり着いて、他のどんな花を呼ぶか。その花を以て「意味」とするなら、まあわかる。

「生きる意味」などと「今」に吊して撹乱を呼ぶものは、斬って捨てるが「今生きる自分」の最上だ。

4/27/2024, 1:42:09 AM

善悪

善とは、悪とは

イメージだけで声高にがなってはならないテーマみたいな気がする。

「善とは、ところを得たもの。悪とは、ところを得ないもの」という話を聞いたことがある。“相応しいかどうか”で、相応しいなら善、相応しくないなら悪、という考えだったと記憶している。卑近な例えをするならば、御手洗いでするべきものを居間でするのは「相応しくところを得ていないので悪」という…

古事記の中で須佐之男命が、高天原にて「甚だところを得ない行い」を連発して追放されている。赦されるには、フル武装した覇気満々の姉(天照大御神)に、自分の内の「ケガレ無く優しき心」を証明せねばならなかった。何処にあっても乱暴狼藉しかできない、つまり「ところを得た行為・行動を表す力に枯れている」なら、また高天原を追い出される。結局須佐之男命はきちんと清明な優しさを顕す力が充分にあり、赦された。ここに「善悪」の裁きは無い。悪しき者よ、という否定性なく、ディスりも無い。「ところを得た適切」を為す力を発揮できるかどうか、そのポテンシャルの有無が焦点になっている。そも、善悪ラベルが無い。

枝葉の先で、善だ悪だと考えても、すっきりと清明へ着地できない。堂々巡りだ。

4/25/2024, 3:25:03 PM

流れ星を見かけても、頭がとろいのか何も考えない。消えてしまってから「流れ星…」とか思うだけだ。そして考える、「燃え尽きちゃったのかな」と。

ところで、隕鉄を持っている。「流れ星が地上に着いたやつ」とか言えたら夢の気配もするのかも知れないが、売っていた店の説明によれば、“カンポ・デル・シエロ”と区別名称売りされているものだそうで、これは地名だ。地名の意味は「空の草原」で、メキシコである。でっかいクレーターがあって、そのあたりでたくさん見つかるポピュラーな隕鉄らしく、値段も高くない。衝突のエネルギーはクレーターが示している。大昔のものだという。流れ星にしては繊細さに程遠く、落ちて来たときは「火球」と呼ぶのも適切でない轟音と光を持っていただろう。不思議な構造と、溶けかけたらしい表面が、何万年も前という時間経過を無視した生々しさを醸している。

隕石や隕鉄も、一部の界隈で「願いを叶えるのを助ける」と言われている。ただしシビアなところがあって、「願いを叶えるために努力するに必要な馬力をくれるんだ」と。まあね、そんなもんだよね。でも、地に足着けて歩むのは地上の自分だから、「お空の星」よりは「地上にある星」の方が、私と一緒に歩いてくれる…と、思う。

星のかけらと、自分自身に願いを。がんばれ自分。

4/25/2024, 4:07:38 AM

ルール、となるものにはすべて同意がある。
不本意だろうが賛同だろうが、容認という同意が。

rule 規則・規約・支配
おおもとは木の棒を意味する言葉が語源らしい。木の棒で長さを測ったところから派生した語とか。そういえば「~~といった空気が支配的であり」なんて、ニュースでたまに聞く。「暗黙のルール」なんてのも、そういう文脈・背景からにょきにょき生えて来るのだろう。実体のない「空気」を「バケモノじみた支配力」として練り上げてしまうものは、たぶん「容認」なのだ。

いたるところにルールがある。
歪みがルールになることも多々ある。
小学校の教室から国会議事堂に至るまで、「個人の都合」と書かれた木の棒が理不尽にあてがわれることも珍しくないようだ。容認するべからずと掴みに行けば棒の持ち主は逃げる。自分の棒が捻曲がっていることに自覚があるようだ。

そんな木の棒捨てちゃえばいいのに。
えっ、じゃあ何で測るんだ、って?
ハートで測るんだ、ハートで。

…って、簡単にいけば良いんだけどね…

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