郡司

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刹那

「俺達がガンダムだ!!」…冗談です。わかる人にしかわからないですね、はい。出オチですね、はい。

…まじめに行こう。

刹那。もともとは仏教の中の言葉だ。瞬間よりも短い、とても短い時間だと。

個人的な感覚では、刹那というのは「内なる時間」に類するもののように感じる。自分の外で測られる「同意された時間尺度(つまり時計の動きに即した)」ではなくて、自分の内側、「意識の領域」に近いところに「刹那がある」感じがするのだ。“指をはじいて鳴らす音の間に60もの刹那がある”のが、意識領域で扱う情報量のことを指すなら、すんなり腑に落ちる気がする。

以前、ある者と時計時間で20分間、対話した。双方とも言葉の中に含む情報密度の非常に高い対話で、私は「きちんと記憶する」ために、対話内容を脳知覚に合わせて再展開し、自分の内側の、樹状のような「知のシステム」に組み上げていった。その作業に5日間を費やした。20分間の対話をシステム整理するのに5日間だ。

意識領域に時間などないが、動きはある。…と、大師たちは言う。また、「情報」は「マテリアル」であるとも。色即是空 空即是色と量子物理とは同じ本質を指差すようになった。意識領域の「経過感覚」を示そうとするのに、「刹那」という表現が最大のものだったかもしれない。「時間」でも「動き」でも、その内側に「流れ」を包蔵する。

現実は意識に伴って明滅する、とも聞く。あまりに速く細かで、その明滅は人間の脳知覚で捉えることができないと。その「刹那」は、1秒の10マイナス6乗あたりなのかも知れない。

いずれにしても、日々使っている「チクタクな時計」では、「刹那」は測れなさそうだ。

4/28/2024, 1:00:21 PM