郡司

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4/11/2024, 1:23:42 PM

らーらーら、ららーら、ことーばに、できなーい………小田和正氏は、私の父と同じ御年だ。

2016年の冬、テレビから聞こえてきたその歌に、祖母は「きれいな、良い歌が聞こえるな」と言った。
「あなたに会えて、本当によかった」という文言がしみる歌だな、と思う。

さて、言葉にできない想いや概念は、たぶん多い。
どんなに言葉を尽くしても、言葉では核心の周りをぐるぐる回ってしまうこともある。

例えば、どんなに愛しているかを伝えるのは言葉以外の方法もいくつかあると思う。先日のお題じゃないが、瞳の内にそれが静かに確かに顕されるとき、それは言葉を絶している。感情的に波立ち過ぎて言葉にできないというのではなく、言葉よりも「明らかな表出」だったりするのだ。これは「心から発する響き」がほぼ直接的に顕れるものだから、誰彼構わず出るようなものではない。

他には、想いが膨大過ぎてすぐ端的な言葉にはできないとか、何かの説明を試みようとしたら手短にするべきでないことに気づいて言葉に窮するとか…これは「言葉にできない」のとは違うな…

まさに「行間を読むべし」というものなら仏教経典はそのようなところがたくさんある。「脳ミソで考える」ところを凌駕しているが故に、「脳ミソよりも深いところで掴む」しかない部分だ。理解ができても、言葉に組み上がらない。

4/10/2024, 1:32:15 PM

4月の言葉、「春爛漫」。私の暮らす街では少し遅れて来る。ここ数年の気候は「調子外れも甚だしい」ので、早いか遅いか、予測しにくくなっている。

どの家の庭も花、花、花、花…と、あちこちで花が溢れていたのを確かに見たのは、上の子が生まれた1週間後だった。いつになく強い生命感に充ち満ち、どの花も“吾こそは”という鮮やかさで、まさに「咲き誇って」いた。

通常、この土地では雪解けが終われば、5月中旬にまず桜が咲き、続く下旬に春らしい暖気を待ちかねたように他の花々が皆一斉に咲く。モクレンも他の花達と一緒に咲く。ちなみに梅は居ない。気候が合わないのだろう。

ここ数日は、初冬に南へ渡って行った白鳥達が、ぼちぼち帰って来ている。三年前から飛行ルートが北北西へ300メートルほどズレた。それまでは必ず、私のすみかの真上を飛んでいた。渡り鳥は正確に地球の磁力線に沿って旅するから、磁場の状態が大きく変動したと思われる。真上じゃなくなって、すこし寂しい。

咲き出す花々のアグレッシブネスにあやかれるのはもう少し先だ…。そのかわり、変な風邪みたいなものがぽつぽつ聞かれる。とても中途半端な、しかし不快な体調不良をあらわすものだ。自律神経も調子を外すこの春、皆さん御自愛くだされ。

4/9/2024, 12:53:33 PM

誰よりも、ずっと……だと…?
昨日のお題は「これからも、ずっと」。
もしかして「ずっと」のベクトル全部やるの?

⚪⚪よりも~は比較する言葉。「誰」と来ると大抵は人間、時々動物。人も動物もそれぞれ違うから、比較線に並べること自体が…えっ、各個人にとっての表現? うーん、自分から見たコトバのアヤ?

ないわー。

だいたい誰も、誰かを測る物差しになどなり得ない。自分自身の「人格的実寸(実寸なんてあるのかもわからん)」みたいなのとか、「存在としての全容」すら“計り知れない”のに、たくさんの「誰か達」を並べてみても、比較のしようがない……と、個人的には考える。

もちろん、私にも大事な人達が居る。私の見える範疇にも「すごいなぁ」と感嘆してしまう人達が居る。私にはいくつもの「だいじ」があり、私に見えるいくつもの「すごい」があって、それは一人ひとり違う。「誰よりも」が当てはまらないのだ。

イージーに考える「誰よりも、ずっと」だと、適用範囲としては…あれか、家族(ワンニャン含む)とか恋人とか親友とか、あるいはライバルとか、自分自身を叱咤激励するときとか。

だがしかし、私の「最愛」は比較という次元を絶しているのだ。他の誰とも並んでない。絶対的。

以上。

4/9/2024, 6:20:53 AM

この春はいったいどうしたと言うくらい日々の気温差が大きい。自然、あちらこちらで体調不良が現れる。自分もだ。トホホ。

さて、お題「これからも、ずっと」と。

来し方を振り返る…ずっと、続いてきたもの…えーと、「ずっと」って、どれくらいの? 生まれてから? どこらへんから考えたら「ずっと」なのか、しばらく考え、考えてたらぼやけてわからなくなってしまった。

「ずっと」って、「長さ」の感覚とコンビになっている言葉だとは思う。「長さ」に「これからも」と聞くと、時間的長さのことだろう。

昔、ショーン・コネリーの出ていたTVCMのキャッチコピーに「時は流れるのではない。時は降り積もる」というのがあった。確か酒のCMだったと思う。
確かに、酒の熟成は「酒の中に時間の累積がある」感じはする。

他方で「時間、というのは概念で、“時間”とやらに実体はない」と、よく聞くようになった。先日の法事に来られたお寺の御住職も、世間話的にそのようなお話をなさった。昔々のお坊さんも「前後裁断、今だけがある」と言った。「今に生きる」ことを積み重ねて「馥郁と香る存在感」の顕れるのが人生なのかもしれない。…そうなれたら良いんだけど…

さて、「これからも、ずっと」だ。
これからもずっと、「今に生きる」…って、課題だなと思ってしまう。燃える焔のようだ。

4/7/2024, 3:22:25 PM

沈む夕日が、私にとって「よきしらせ」だった時期があった。一日が終わりゆく。辛いことしかない今日の一日も、なんとか終わる。誰とも関わらないで良い、わずかでも安心できる時間帯までたどり着きつつあることを、沈む夕日が知らせてくれた日々だった。

家の中も外も苦しく痛い場所だった。身近な「近所」には怖いものが居た(5歳のとき襲われた)し、家の中には諸事情あっていつも痛かったし、学校にはいじめがあった。夕日が沈んでゆくなら皆眠りへ向かう。私を脅かす人達も住み家へ、眠りへ引っ込んでゆく。息ができる時間が来る。

そんな状態の期間、当然ながら朝なんか大嫌いだった。優しい夕日、容赦ない朝日。せめて家という「居場所」を失わないですむためだけに、「いじめの溜まり」へ向かう毎日。

家のなかの「毒」に苦しむ人達の気持ちがわかる。
学校でのいじめに苦しむ人達の気持ちがわかる。
犯罪被害にあって脚が竦む人達の気持ちがわかる。
私もこれらをくらった。

今現在の私は、その時期の痛みを持ち越していない。目に見える助けの手があったのではない。私は自分の内側に湧き上がり溜まる怒りに、正直だっただけだ。

学校で、怒りの感情は私の「考え」を変えた。私の立ち居振る舞いには「暴力的雰囲気」が現れた。クラスの全員に「心当たり」が確としてあったため、全員が怯えた。無記名アンケートによってクラスの状態を知っていた担任は私を責めなかった。卒業で終わりが来た。

暴力犯罪行為にしても、恐怖で脚が竦んでいるうちは類似案件を自分に引き寄せてしまう。ここでも、やはり自分の「怒り」が、大きな作用をした。恐怖故にあれこれ考え試し、大人になった私は強かった。呆気なく怯えた成人男性が、逃げるように引っ越して去った。自分が強い自覚は私を自由にした。

家の諸事情が解消されると、徐々に「毒」は薄れていった。

あらためて「沈む」夕日を思い出してみれば、出てきた記憶はこんなものだ。書いて見るとまるで力押しだけみたいに見えるが、意識の底近くにはいつも光を探す意思があった。実際、光に飢えていた。絶望しきらず、希望をあきらめられない心は本当に自分を助ける。見るべきを見ろ、考えるべきを考えろ、為すべきを為せ、その本質は何かを掴め…と、自分に言い聞かせていた毎日だった。

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