沈む夕日が、私にとって「よきしらせ」だった時期があった。一日が終わりゆく。辛いことしかない今日の一日も、なんとか終わる。誰とも関わらないで良い、わずかでも安心できる時間帯までたどり着きつつあることを、沈む夕日が知らせてくれた日々だった。
家の中も外も苦しく痛い場所だった。身近な「近所」には怖いものが居た(5歳のとき襲われた)し、家の中には諸事情あっていつも痛かったし、学校にはいじめがあった。夕日が沈んでゆくなら皆眠りへ向かう。私を脅かす人達も住み家へ、眠りへ引っ込んでゆく。息ができる時間が来る。
そんな状態の期間、当然ながら朝なんか大嫌いだった。優しい夕日、容赦ない朝日。せめて家という「居場所」を失わないですむためだけに、「いじめの溜まり」へ向かう毎日。
家のなかの「毒」に苦しむ人達の気持ちがわかる。
学校でのいじめに苦しむ人達の気持ちがわかる。
犯罪被害にあって脚が竦む人達の気持ちがわかる。
私もこれらをくらった。
今現在の私は、その時期の痛みを持ち越していない。目に見える助けの手があったのではない。私は自分の内側に湧き上がり溜まる怒りに、正直だっただけだ。
学校で、怒りの感情は私の「考え」を変えた。私の立ち居振る舞いには「暴力的雰囲気」が現れた。クラスの全員に「心当たり」が確としてあったため、全員が怯えた。無記名アンケートによってクラスの状態を知っていた担任は私を責めなかった。卒業で終わりが来た。
暴力犯罪行為にしても、恐怖で脚が竦んでいるうちは類似案件を自分に引き寄せてしまう。ここでも、やはり自分の「怒り」が、大きな作用をした。恐怖故にあれこれ考え試し、大人になった私は強かった。呆気なく怯えた成人男性が、逃げるように引っ越して去った。自分が強い自覚は私を自由にした。
家の諸事情が解消されると、徐々に「毒」は薄れていった。
あらためて「沈む」夕日を思い出してみれば、出てきた記憶はこんなものだ。書いて見るとまるで力押しだけみたいに見えるが、意識の底近くにはいつも光を探す意思があった。実際、光に飢えていた。絶望しきらず、希望をあきらめられない心は本当に自分を助ける。見るべきを見ろ、考えるべきを考えろ、為すべきを為せ、その本質は何かを掴め…と、自分に言い聞かせていた毎日だった。
4/7/2024, 3:22:25 PM