らーらーら、ららーら、ことーばに、できなーい………小田和正氏は、私の父と同じ御年だ。
2016年の冬、テレビから聞こえてきたその歌に、祖母は「きれいな、良い歌が聞こえるな」と言った。
「あなたに会えて、本当によかった」という文言がしみる歌だな、と思う。
さて、言葉にできない想いや概念は、たぶん多い。
どんなに言葉を尽くしても、言葉では核心の周りをぐるぐる回ってしまうこともある。
例えば、どんなに愛しているかを伝えるのは言葉以外の方法もいくつかあると思う。先日のお題じゃないが、瞳の内にそれが静かに確かに顕されるとき、それは言葉を絶している。感情的に波立ち過ぎて言葉にできないというのではなく、言葉よりも「明らかな表出」だったりするのだ。これは「心から発する響き」がほぼ直接的に顕れるものだから、誰彼構わず出るようなものではない。
他には、想いが膨大過ぎてすぐ端的な言葉にはできないとか、何かの説明を試みようとしたら手短にするべきでないことに気づいて言葉に窮するとか…これは「言葉にできない」のとは違うな…
まさに「行間を読むべし」というものなら仏教経典はそのようなところがたくさんある。「脳ミソで考える」ところを凌駕しているが故に、「脳ミソよりも深いところで掴む」しかない部分だ。理解ができても、言葉に組み上がらない。
4/11/2024, 1:23:42 PM