書けない。今は。
定義したり理屈を組み立てることをやめてみて、自分にしがらんでいるものの現況を掴もうとしているからだ。些細な枝分かれか、分水嶺か、霧に巻かれていることに気づいたから、ただ見つめてみる。
直感が何かを決めれば、また理屈っぽい思考回路がアクティブになるだろう。
大きな地震があって、私の暮らすところでも停電が続いたとき、夜の空には星が溢れていた。いつもは街の光が明るすぎて見えていなかった星が、そのときは地上に光を届けてくれていた。星で空が明るいさまを、私も子ども達も口をあけて眺めた。
家々の灯りも、街灯も、信号機も、何も光らず沈黙した数日間、夜空はきらきらと宇宙の姿の一部そのままだった。電気への依存が高く、脆弱に過ぎる街は住人の不安とピリピリした気分が漂っていたが、夜空を見ると誰もが不安をちょっと忘れたようだったことは印象深い。
誰も気付かなくても星の光は「在る」。ふだん見えなくても星はしっかりと輝ききらめいている。観測できないのは星の光が弱いからではなく、人間が「気付かない」か、「見ない」だけで、星の輝き自体は揺るぎないのだ。
何よりも、自分達人間の脆弱な社会的側面に起因する不安感を一瞬でなだめるなんて、星はやっぱりすごいと思う。キレイなだけじゃない。流石は星。
深い安らぎが満ちている場所があった。書斎のような部屋の風体で、胡桃材らしき机があり、その場所のあるじは机で文書のチェックと構造追加作業をしている。なぜか眼鏡をかけている…いつもはかけてない、はずだ。とても静かで、暑くも寒くもない、明るすぎず暗くもない。あるじの邪魔にならないように、私は静かに黙って座っている。机と同じような色合いのハイバックソファーのはじっこだ。机からいちばん遠い位置。
静かに確かに響いてそこに満ちる安らぎ。間違いなくあるじの響きだろう。眠くなったからはじっこで丸まってうとうとした。
「できたよ」と、静かでにこやかな声が聞こえて目の焦点がはっきりする…………と、いうところで現実感覚へ戻って来たことがある。
残念ながら、そこのあるじの瞳を覗き込むことはできてない。でも、静かさと安らぎの充ち満ちる「その場所」は、沈黙さえ美しい感じがした。どんな眼差しをしているか瞳を見るまでもない気もする。
時々そこへ戻りたいと思う。
隣に、良い考えを置いておく。自分が今の時点で起こしている感情の反応や、自分自身の洗練できない部分をあまり責めない。いつか、良い考えを自分の中にちゃんと取り込める。隣に置いておけるなら大丈夫だ。
「ずっと隣に」と考えてみると、よく見聞きする言いまわしは「誰かの隣に」というものだ。家族かと思い巡らすけど、私は一人二役の「マパ」だ。子ども達はいつか自分自身の独自な道を歩くし、寧ろそうでなければ心配というものだ。
じゃあ、日々をともに歩く伴侶が「隣」なのだろうか。しかし、「伴侶」なんて私にとっては夢みたいな存在なのだ。夢見ることを自分に禁じたりはしないけどね。でも、「隣」って距離はどうなんだ。距離ありすぎだろう。隣じゃすきまに風が吹いちゃうじゃないか。誤解の無いように断っておくが束縛はするのもされるのも嫌いだ。そういう意味じゃない。何処までも自由であれ最愛よ。…と、立て板に水の勢いで考える。
つまるところ、自分の心と命の真ん中に在る、と言った方がしっくり来るのだ、「誰か」なら。私は強欲なのだ。「隣」じゃ寂しい。だから私の真ん中にいて欲しい、そう思った。
「もっと知りたい」とき、どうやら私は猪みたいにそれに向かうようだ。躊躇逡巡なし。右顧左眄なし。
お題に従い、自分が何か知りたいときにどうしてきたか、思い巡らせて気づいた。もっとも、「知りたいこと」のほとんどが、“答えの核心は自分の内にあるもの”だからこそ、思い立った瞬間すぐに、“内側へDIVE”するのだが。しかし、これがコミュニケーションの課題になると非常に難しさを感じる。物事の捉え方はみんな違うし、ただの一語でさえ、意味をどう定義しているかが違っていて、話す前に前提の確認が必要なことも少なくない。
今…というより、今も続いて「知りたい」と思っていながらなかなか掴めないテーマのひとつは「どう表現すればストンと伝わるのか」という辺りだ。
例えば、友人が自身の抱える何かの課題について話し出したとき、聞いている私は自分の経験則や知り得たことをもとに「こんな方法もあるかも」などと言ってみる。すると、「ムリ。あんたならできるんだろうけど私はムリよ」と返ってくる。ほかにも、「あんたは強いもん。私はそんな強くないし」も多い。
正直ここで一番私自身が引っかかる思いのするのは、いったい私はどんな人間に見えているのか、ということなんだが、人間関係の問題としては「コミュニケーションがぶっつり切られてしまう」のは、その先が無いのである。「えっ、お悩みはほっといて良いの?」とも思うが、なんだか言わんとすることが伝わってないような気もする。
平たく言って、相手が何を思ってそう言うのかわからないときもある。で、結局「何がしたいのかな?」と首を捻ってしまうのだ。知りたい、コミュニケーションの機微。コミュ神降臨してほしい。