郡司

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「もっと知りたい」とき、どうやら私は猪みたいにそれに向かうようだ。躊躇逡巡なし。右顧左眄なし。

お題に従い、自分が何か知りたいときにどうしてきたか、思い巡らせて気づいた。もっとも、「知りたいこと」のほとんどが、“答えの核心は自分の内にあるもの”だからこそ、思い立った瞬間すぐに、“内側へDIVE”するのだが。しかし、これがコミュニケーションの課題になると非常に難しさを感じる。物事の捉え方はみんな違うし、ただの一語でさえ、意味をどう定義しているかが違っていて、話す前に前提の確認が必要なことも少なくない。

今…というより、今も続いて「知りたい」と思っていながらなかなか掴めないテーマのひとつは「どう表現すればストンと伝わるのか」という辺りだ。

例えば、友人が自身の抱える何かの課題について話し出したとき、聞いている私は自分の経験則や知り得たことをもとに「こんな方法もあるかも」などと言ってみる。すると、「ムリ。あんたならできるんだろうけど私はムリよ」と返ってくる。ほかにも、「あんたは強いもん。私はそんな強くないし」も多い。

正直ここで一番私自身が引っかかる思いのするのは、いったい私はどんな人間に見えているのか、ということなんだが、人間関係の問題としては「コミュニケーションがぶっつり切られてしまう」のは、その先が無いのである。「えっ、お悩みはほっといて良いの?」とも思うが、なんだか言わんとすることが伝わってないような気もする。

平たく言って、相手が何を思ってそう言うのかわからないときもある。で、結局「何がしたいのかな?」と首を捻ってしまうのだ。知りたい、コミュニケーションの機微。コミュ神降臨してほしい。

3/12/2024, 1:38:35 PM