平穏な日常には、「育む可能性」が、たくさんある。
平穏に慣れ、平穏に飽きて、平穏が吹っ飛ぶまで、平穏というものが尊いことを忘れてしまいがち。
平穏が支えてくれるもののなかに、「選択肢の幅広さ」がある。生きたいように生きるには、いくつもの選択肢を持つには、平穏というベースが必要なのだ。内戦地域や、貧困飢餓が席巻している場所では、豊かな選択肢だとか自分を育む可能性に手を伸ばすスペースなんか望めない。
まあ、一方では「平穏な場所だからできる悪い所業」に余念のない界隈もあるのは確かだ。「鳩のように穏やかに、蛇のように聡くあれ」と、かつてイエスが言ってたらしいが、これは実際役に立つ考えだろう。のらりくらりと、詐欺師をスルーできそうだ。
平穏は大切な状態なのだ。飽きて「取りこぼす」のはもったいない。存分に享受し、自分の生きたいように、より一層、“自分自身”であれるように、「平穏というスペース」を使わなくちゃ。
「私は戦争を非難する集会には出ません。平和を想う集会には是非呼んでください」…マザー・テレサの言葉だ。
愛する故郷と、そこに暮らす大切な人のため、ひろく自分の国の人達のため、それだけを胸に、いくさに出た人は多い。彼らが目指したのは、「勝って、だいじなみんなの平穏を、人生の幸せを守る」ことだった。征きつつあるとき、彼らの胸の内では確かに、そうであったろうと思う。いくさに入り、殺しに手を染め、自らの所業に傷つくも、「自分は傷ついたと言う資格が無い」と考えて黙する。
戦争を始めた国家が、彼らに愛深いわけでもない。負け戦ならなおさら、それは戦勝国の恣意下に捻れてゆく。次なるプロパガンダに染まった故郷は彼らを責め苛む。彼らはわからなくなる、何を守ろうとしたのか。国家レベルに尽くした果てに、個人レベルで起こる諍いでまた傷ついてゆく。どちらも戦争を軸にして。
二次大戦後まもなくの日本は、このようなケースが多かったようだ。
さて、お題は「愛と平和」なのに何故戦争の話なのかと言うと、私の場合は世代的な理由かもしれない。ここに書いたのは、戦地の前線に出て、そして生還した人達のことだが、日本の戦時は、普通に生活していた人達もずいぶん撃たれ、焼かれ、吹っ飛ばされ、狙い撃ちされ、原子爆弾の実験投下で、たくさん亡くなった。日本人で昭和生まれで家族にも周りにも生還者があり、ごく小さかった頃には街なかで「国に補償を求める傷痍軍人な出で立ちのおじさん」を見かけたこともある私は、「平和」という文言には対になるように「戦争があった現実」を考えてしまうのだ。
多分、3月10日という日だからこのお題なのだろう。東京大空襲があった日だ。
愛さえあれば世界は平和だろうか。「愛」という、世間ではあまりにも幅広く多様な解釈がなされるぼやけた概念は戦争をなくせるだろうか。二次大戦は、ある種の恐怖が戦争へと世界を駆り立て、原爆という恐怖が戦争から各国の手を引かせた。投下した国でさえ、原爆の現実に恐怖した。
アインシュタインは自分を責めた。原子の持つエネルギーについて、自分が科学界にインスピレーションを与えてしまったことを。だから、終戦の後、「自分はどうしても、日本に行かなければならない。どんなものを見ても、事実を受け入れなければならない」と考えて、日本へ来た。自分の「罪」を正面から見るためだ。
その頃の日本人がどんなふうであったかは、立場や地方や、戦時の経験の質によって違っていただろうと思うが、日本を訪れた後のアインシュタインの言葉から、彼がどう感じたのかを考えてみることはできる。当時の日本人の多くは、前を向いて生きようとしていた。原爆投下という、苛酷に過ぎる衝撃にあって、「こんな悲しいことはもうやめよう。戦争なんてしないで、皆で平和の幸福へ歩いて行こう」という雰囲気があった。少ない物に工夫と心を尽くして笑顔でいようとする人が多かったのは事実だ。
街も人も残酷に手酷く吹き飛ばし、焼いて、目に見えない放射線が長きに渡って苦痛を与える原爆は、人の心も残酷に焼いてしまう兵器だ。それがアインシュタインに見せつける「罪の様相」は、「心もいのちも焼け野原」という地獄の続き……だろうと思いながら日本へ来たのであろうことは想像に難くない。
アインシュタインの目に、焼け跡の日本と日本人はどう映っただろう。彼は訪日後、「日本という国が、日本人という人達があることを、神に感謝する」と言ったそうだ。
まったくの推測しかできないが、アインシュタインは「生命力の発現」を、当時の日本で見たのかも知れない。「きっと胸を抉るものを見る。自分は命への冒瀆に種を蒔いてしまった」と思っていたのに、実際には、新しく生きようとする芽吹きの原に、あしたへ向かって吹く風が渡るような人々の姿を見たのでは。爆心地から程近い寺の銀杏が半年後に芽吹いたとき、涙の出た人は多かったはずだ。
平和を大切に考え、命として精いっぱい人生を歩くことは愛だ。ちゃんと生きることは愛だ。それはとても地道で、派手に祭り上げられる称号なんか持たない。でも、そんな地道な愛はとても確かで温かく、平和の支柱になる。まさに「希望の愛」だと、私は思う。
お題更新時間に間に合わなかったという不覚。法事の準備……自分が主立ってやっていること自体にトシを感じるここ数日。と、いうわけで長文だ。
「お金より大事なもの」なんてたくさんあるにきまっている。けど、現実問題として人間社会システムのなかに生活するのであれば、お金というものは重要だ。だからこそ勘違いも横行する。紙幣自体を食べることはできないし、小銭自体だって食べられない。紙も金属も、それ自体が命の糧にはならない。紙幣や貨幣は「価値を所有する権利の印」以上でも以下でもない、「お約束の証」でしかないのだ。いわんや、「自分自身の力」などでもない。
さて、「お金って何よ?」から考えないと、いまいちぼやけた話になってしまいそうだ。なので、遠く過ぎ去りし日々に始まって現在では「便宜のシステム」として確立している、カネの話をしてみよう。
私が学校で習った「銀行と貨幣のはじまり」とは、ざっくり言ってこんな話だ………
昔々、いちばん価値ある「もの」と考えられていたのは、金(きん)という鉱物でした。王様はそれをたくさん持っていました。でも、自分のお城に金を置いておくのは、いろいろとたいへんでした。金はとってもきれいに魅力的にかがやくのですが、とっても重たくて、運ぶのも大仕事です。買い物をして金で支払うにしても、どれくらい使って、どれくらい残っているのか、ちゃんとわかっておくのもたいへんでした。
そこで、王様の知る中でも計算が得意な者に、金を使ったり保管して管理する仕事を任せました。王様は、このやり方をすれば、金のいろいろと面倒な取り扱いを自分でやらなくてもいいと考えたのです。重たい金を自分で運ばなくていいし、自分でいちいち金の数量を数えなくても、管理をする者に「今どれだけある?」と尋ねればいいのです。このやり方は、瞬く間に貴族たちにも広がりました。金の管理をする者は、王様をはじめ幾つもの貴族家の金をひとりで管理するようになりました。
王様や貴族たちが喜ぶいっぽうで、金の管理を任された者は、悩みをかかえていました。自分の持っている金の量よりも多く金を取り引きしてしまう人が出てきたからです。「お預かりしている金はこれだけです」と言っても、貴族は「なんとかならないのか、お前の手元にはたくさん金があるだろう」などと無理を言います。管理者は平民でしたから、貴族はワガママ放題な態度です。管理者は仕方なく、他の貴族家の所有する金から少し金を取り出し、ワガママ貴族に言いました。「これはよその貴族家の金です。お困りのようですから特別に今はお出ししましょう。しかし、必ず早くお返し下さいね。あなたも他の貴族家の皆さまと険悪になるのは不都合でしょう…」
“使い過ぎた”貴族は帰って行きました。管理者がほっとしていると、先ほど少しだけ金を取り出した「よその貴族家」がやって来て言いました。「やあ、ちょっと大きな買い物をしたのでね、預けてある金を全部出しておくれ」
さあ大変です。この貴族家から預かっている金から、仕方なかったとは言え無断で少し取り出してしまったので、金の量が足りません。このままでは自分が処罰されてしまうでしょう。死にたくないな、と管理者は思いました。何とかバレない方法を必死に考えて、管理者は思いつきました。ダメもとですが、試してみる価値はあります。管理者は死にたくないのです。
「金を全部出すとたいへん重いですから、私の署名を付けて、あなたがお持ちの金が確かにあることを証明する文書を出す、というのはどうでしょう。その証明書を相手様にお渡しして、相手様がその金を所有する権利の証とするのです。この方法なら、重い金を苦労して運ぶことなく、金のやりとりができます」
その提案は気に入られました。管理者は事なきを得ました。でも、きっとこれからもこんな出来事は起こるでしょう。度重なってしまったら、やはり自分の命が危ない。それは嫌だな、と思った管理者は、金を預かっている貴族家すべてに、同じ提案をしました。そして、貴族達が自分の預けている金の量より多く金を使いたがる場合に備えて、きまりを定めることにしました。「自分の持っている金より多く金が必要になって、他の貴族家の金から“借りる”とき、“借りたぶんの金”を確かに返すことと、“借りたことへの礼金”を出すことを約束する文書に、借りる人が署名する」というものです。管理者はこの考えを王様に提案しました。
…と、いう話だった。昔、授業で実際に聞いたときの内容はもっとえぐみのある「詐欺じゃね?」という内容だった。銀行の始まりは詐欺だったのかと思ったくらいだ。管理者は積極的に「証書を使った金ころがし」を、金の所有者達にナイショでやっていた、と。預かっている間はどう扱おうと、最後に帳尻が合えば問題ないだろ?ってなことだ。他人の金(きん)を、あたかも自分が所有しているように振る舞い、「貸してやるから手数料付けて返せ」を繰り返して自分自身の財とする。その手法の骨子は現在も変わらない。これを現代経済は「信用創造」と呼んでいる。しかし現代は「ペイオフ制度」というものがあるから、信用創造もへったくれも無い気がするが。
つまるところ、通常「お金」と呼ばれてみんなの財布に入っているものは、「価値を保障する日本銀行発行の証書」なのだ。日本は「金本位制」をとっているから、まさに上記のお話にあるとおりに「証書」である「日本銀行券」、つまり見慣れた「紙幣・硬貨」が、扱い難い「金(きん)という鉱物」のかわりに世間を巡っているのである。今となっては、紙幣・硬貨の姿に合わせた対価交換システムが社会に浸透していて、金(きん)では買い物できないのが現実だから、「法的なお金のおおもと」や「お金の概念」が何なのか解り難い。
金本位制のもとで日本銀行券を正しく「価値」たらしめているのは、「連続性」であると言っても過言ではない。日銀は国内外に存在する「日本銀行券・硬貨の総量」をいつもほぼ一定に保つことも担っている。紙幣・硬貨は程度の差こそあれ、みな「消耗品」だ。擦り切れた紙幣一枚を回収したら新しく一枚を造幣して出すような「物理的連続性」を担保している。鉱物の金(きん)は勝手に増殖しないし、大抵の状況下では腐食もしないから、紙幣・硬貨も同様に「総量は増えず、減らず」でなければならないのだ。
お金の動きを記録する「帳簿」にもそれは反映されていて、“どこから出たのか判らないお金の数値・どこへ消えたか判らない金銭取引”の居場所など無い。…だから「明らかでない、明らかにしたくない」お金は、“記載しないで闇の中でやりとりする”のだ。国会のセンセー達はこれが大好きみたいだが、はっきり言って「おカネはまさに自分のチカラだって勘違いしてるバカで~す!」と自己紹介しているも同然だ。…バカ多いな。
私個人としては、お金より大事なものとは、命から発して命へ還るもの、だと考える。お金は「経済活動上の、人間社会の中でだけ交換可能な価値の証明・媒介」であって、命と天秤にかけても、お金に勝ち目はまったくない。命が「主」であり、お金は「従」だからだ。例えば、月面に自分ひとりしかいないとき、紙幣で百億円持っていても、金(きん)をたくさん持っていてもまったく無意味だ。
長すぎるな。ここまで。
月夜。世界中で、これほど歌われ奏でられ、物語の場面に静かな光を注ぐものは他に無いのじゃなかろうか。しかも「見上げる人の数だけ月は在る」と思えるくらい、千変万化に心を映す。
月夜のなかでは動植物もたいへん「サマになる」。現実的なところはさておいて、静かに響く夜に沈みたくなる。…ちゃんと浮上するよ、問題ない。
月の光は太陽の反照。だからだろうか、月夜はなんだか、遠くを想う。
「絆される」という表現をよく見るようになったのは2011年くらいからか。確か、「今年の一字」に選出されたこともあった。
もともとの意味を調べてみたら、正直うんざりした。
まったく個人的なことで誰にも関係無いし、表現したところで誰も理解できないものなんだが、今は自分自身のために吐き出してしまうことにする。私は今のところ、この本来意味するところの「ほだし」というやつに、人間の闇と、怖れるからこその暴虐の姿と、依存の極みを見ている。毎日だ。苦しみにしがみ付くことを頑としてやめない者の姿を毎日見ている自分も、ともすれば無力感が湧いてくるので、「観」のバランスを取ることにエネルギーを多く削られる。…と、くさくさしていたら、新しい「厄介な要因」が顕れる。またか、と頭の隅で毒づきながら全力で「シャレにもならない“イタズラ”を成敗」しては鼻血を出しているのだ。平たく言って今の脳ではキャパオーバー。
疲れたな、と思う。
うまく「自分自身のメンタリティを休ませる」スキルが必要だ…
自分の底流にある自由のもとで。