郡司

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隣に、良い考えを置いておく。自分が今の時点で起こしている感情の反応や、自分自身の洗練できない部分をあまり責めない。いつか、良い考えを自分の中にちゃんと取り込める。隣に置いておけるなら大丈夫だ。

「ずっと隣に」と考えてみると、よく見聞きする言いまわしは「誰かの隣に」というものだ。家族かと思い巡らすけど、私は一人二役の「マパ」だ。子ども達はいつか自分自身の独自な道を歩くし、寧ろそうでなければ心配というものだ。

じゃあ、日々をともに歩く伴侶が「隣」なのだろうか。しかし、「伴侶」なんて私にとっては夢みたいな存在なのだ。夢見ることを自分に禁じたりはしないけどね。でも、「隣」って距離はどうなんだ。距離ありすぎだろう。隣じゃすきまに風が吹いちゃうじゃないか。誤解の無いように断っておくが束縛はするのもされるのも嫌いだ。そういう意味じゃない。何処までも自由であれ最愛よ。…と、立て板に水の勢いで考える。

つまるところ、自分の心と命の真ん中に在る、と言った方がしっくり来るのだ、「誰か」なら。私は強欲なのだ。「隣」じゃ寂しい。だから私の真ん中にいて欲しい、そう思った。

3/13/2024, 2:36:44 PM