郡司

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1/13/2024, 3:41:25 PM

昔むかし、とても素敵な夢を見た。目が覚めてきた自覚があって、「たいへん、まだ眠っていないと、ここから離れちゃう」などと思ったが、夢に戻ることはできなかった。そのとき見た夢は今も大切に胸の最奥にしまってある。
ちょっと昔、宝くじに当たった夢を見た。目が覚めた後は複雑な気持ちになった。

眠って見る夢、生きる現実のなかの道行きに展開したい希望、ひと言で「夢」と言ってもいくつものニュアンスがある。どんな「夢を見ていたい」だろう。

私はたくさん、逃げることを試みた。そして、どんなに逃げても、絶望的なまでに「らちがあかない」のが自分の現実なのだと観念した。本当に嫌なものや怖いものから逃げおおせることは出来ない。なら正面から突破…というか根本から解決しなければ、それらに「バイバイ」できないのだ。でもどうすれば良いのかわからない。
 結果から言えば、夢なのか夢じゃないのか判らない経験に助けられて、私の心臓は今も無事に鼓動を打っている。

私が見て自分の力になる夢は、自分の現実の道から遊離した夢見ではないようだ。想像力が創造力へ導く、生きてゆく現実に光のような希望を見る「夢」が、私にとって「夢」であるらしい。

どんな人生を生きていたいかを示すねがいを「夢」として考えるので、その意味で私は「夢を見続けたい」。時々それをアップデートすらするだろう。生きる熱を携える夢を。

1/12/2024, 12:46:07 PM

ずっとこのままでないことを祈る。
寒さはストレスを倍増してしまう。心身のストレスは危機を長引かせてしまう。
温度を、水を、食べるものを。
思いやりを、励ましを。

1/11/2024, 1:34:58 PM

寒さが身に染みているまさにそのときに、「寒さが身に染みて」という今日のお題…。

最近は急に気温が上がったり下がったりしているせいか、たかだかマイナス15度程度で寒さが骨身に染みるような感覚がある。また養命酒始めなくちゃダメかな、などと思ってしまう。

若い頃、もっと気温が低いのが当たり前だった頃は、首から上すべてを風に曝しても平気だった。寒いと感じなかったのである。「それが若さだ」と言うにはちょっと矛盾もある。当時の私は筋金入りの冷え症だったのだ。夜眠るとき、自分自身の手足から冷気が出て布団の中の方が布団の外より冷たくなっていく。室温は3度だった。でも今ほど寒さに「辛いなあ」と感じなかったのだ。今と昔、何が違うんだろう。

トシだということはちょっと脇に置いといて、メンタリティはどうだったか…?
うん、ひらたく言ってよろしくなかった。「心を閉じている」状態で、自分の環境に対して冷淡だった。時には冷酷だったかもしれない。自分の外にあたたかさや優しさを全く認めなかった(アホだったね)。「心理状態の面で、周りの寒さと同様にアクティブな冷たさ全開」だったぶん、「温度差」がなかった。切りつけるような冷たい風も空から来る氷の花も、気分が良いくらいだった。

今はまったく逆のメンタリティで居る。自分自身の内面がほこほこしているのは確かだ。そうすると「温度差」が大きくなる。寒さに入って、「さむいなあ…」とビシビシ感じる。もふもふした毛布にくるまるのは大好きだし、防寒着のおかげで寒くないときは安心する。

寒さが身に染みるとき、きっと心のどこかにあたたかさを持っているんじゃないかと考える。いや、絶対にそうだ。

1/11/2024, 9:02:01 AM

20歳と言えば成人式、和服で出席する人も多いだろう。 お祝いの晴れ着、その多くが鮮やかな色合いで縁起の良い柄の描き込みのあるものだ。
成人を迎えた若い方々、おめでとう。

さて、これからの「人生いろいろ」については他の諸先輩方もたくさん語っておられようから、私は少し目先を変えてみよう。成人式によく用いられる、着物(和服)のこと…辺りを。

和服。言わずと知れた日本の伝統的被服だ。形は基本的に皆同じ。近年は素材や飾りに目新しいものも増えて、思いのほか自由に楽しまれるようだ。しかし最もよく見かけるのは、テレビの時代劇ドラマの中のような気がする。
形こそ皆同じなのだが、どのような場であるか、年齢かでも「着方」が違う。素材や様式で「格式」が違う。日本に限ったことではないが、着方にも格式にもちゃんと理由がある。
私はいい加減トシなので、子供の頃の「おばあちゃんズ」は結構うるさ型と言うか、厳格な考えの人が多かった。

成人前の女の子は「えり抜き」をしない。髪の結い方にその必要性が無いから。成人後は結い方が変わるから必要な分だけ襟を抜く。現代でも、和服に慣れている人は髪型に従った襟の状態で着ているのを見かける。色の選び方、長襦袢の選び方、懐中の持ち物、なによりも立ち居振る舞いには、思想文化が如実に反映されていた。

最近は「ハーフ成人式」なんて言い回しも聞く。一度だけ、10歳の女の子の和服姿に目を剥いた(驚き怒った)が、それは私が「古い」のだろう。現代では何の意味も無い、ただのお洒落の自由なのだが、その出で立ちはまんま「禿」だったのだ。古都の着付師に着せてもらったと聞いて、更に怒りと呆れが倍増してしまった。今振り返ると無駄な怒りだったと思う。

被服は文化様式から生まれる生活のありようで発展する。日本にあった人間関係の姿や「敬い」を表す多くの振る舞い方もだいぶ廃れているが、そういう「独自文化の核心」こそは音も無く消え去るのかもしれない。

いかん、何だか晴れやかさの欠片も無いグダグダになってしまってる。こういうのを今の人は「老害」とか言うんだっけ?
いかんいかん、今日はこれにて退散だ。

1/9/2024, 12:57:08 PM

三日月。私は眼鏡をかけないと、三日月が三日月に見えない。裸眼で見ると、深い紺色の夜空には大きな光る花が咲いているように見える。縦の乱視と横の乱視があってそのように見えるらしい。だから、新月のとき以外で月が見えるときは必ず、空に大きな一輪の花を見る。比較的月が丸いときに、花弁が何枚見えるか数えてみたら、16枚あった。螺旋状にぐるぐると花弁の連なる花だ。

最初からそのように見えていたわけではない。子供の頃は、月は観測されるとおりに見えていた。いつの間にか月は花になっていた。
「心にしたがって見え方が変わる」と昔誰かが言っていた。じゃあ、いつも夜に眠れず涙をためて空を眺めていたせいで、そんな見え方になったのだろうか。今となっては、この見え方も気に入りだ。

もしかして、いつも涙をためている子供を見ていた月が、ちょっと魔法を使ってくれたんだろうか…?
「世話のやける子供だね、ほら、元気出しな」とか。
月が届けてくれる光は太陽からの伝達だ。太陽さんは沈んだ後も此方を気にしてくれるらしい。

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